| さすがにここまで真っ白なランボルギーニ・カウンタックは見たことがない |
今までに2オーナー、27年間放置されていたもののレストアを受けて程度も良好
さて、スーパーカーの代名詞と言ってもいい存在、ランボルギーニ・カウンタック。
今回は1982年から1985年にかけて製造されたカウンタックLP5000 Sの321台のうちの1台、ビアンコ・オーバー・ビアンコ、つまり「ウルフ・オブ・ウォールストリート」仕様が競売へと登場予定となっています。
ランボルギーニ・カウンタックは現代のランボルギーニV12モデルにも受け継がれる「シザースドア」「フェンダーの切り欠き」「縦置きミドシップV12」といった要素を最初に採用したランボルギーニでもありますが、その登場が1970年代はじめというのが信じられないほど斬新なルックスを持っています。
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当時、ランボルギーニは革新を求めていた
ランボルギーニ・カウンタックの計画はミウラがまだ生産されている時期から始まったといい、ランボルギーニ創業者であるフェルッチョ・ランボルギーニは当時「フェラーリに勝つためには、常に革新的でなければならない」と考えていたといいます。
そして当時フェラーリが発表し、大きな反響を巻き起こした365GTB/4 デイトナに対抗することが可能なスーパーカーの存在を求めていたといい、そこでカウンタックが企画されたわけですね。
当時ランボルギーニが目指したのは、ミウラに積まれるV12エンジンのパワーを最大限に引き出し、そして可能な限りスマートなボディを持たせることだったといいますが、パオロ・スタンツァーニの指揮のもと、マッシモ・パレンティ、テストドライバーのボブ・ウォレスらとともに「LP112」なるコードネームにてプロジェクトがスタート。
もちろん「LP」とはイタリア語でlongitudinale/ posteriore、つまりエンジン縦置きを意味します。
「112」については単にプロジェクトの順番だったと思われ、しかしこれはのちのカウンタックLP800-4の限定台数の由来にもなっていますね。
そしてこのカウンタックのプロトタイプは1971年3月11日の午前10時に(ジュネーブ・モーターショーにて)世界初公開されていますが、もちろんデザイナーはマルチェロ・ガンディーニ。
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ただしプロトタイプが公開された後、実際に発売されたのは1974年で、その間はメカニズム、デザインともになんども「やり直し」の連続だったといいますが、マルチェロ・ガンディーニによれば、開発段階にて行き詰まった際、プロジェクトメンバーの一人であったピエモンテ出身のエンジニアが口癖のように「Countach」とつぶやいており、この語感が気に入ったガンディーニが英語圏出身のボブ・ウォレスに言葉の響きの印象を尋ね、「悪くない」ということだったのでこれを命名として採用することを推薦した、とのこと。※ただしパオロ・スタンツァーニはやや異なる記憶を持っている
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ランボルギーニ・カウンタックはつごう17年も生産される
ランボルギーニ・カウンタックの初期モデルはLP400と命名され、3.9リッターV型12気筒エンジンをリヤミッドに搭載し、当時の最高出力は375馬力。
1978年には改良版のLP400 Sが登場し、アグレッシブなボディワークとワイドフェンダーが装着され、当時のロードカーでは最も幅の広いリアタイヤが装着されています。
なお、ランボルギーニ・カウンタックは世界中にて高く評価され、フェラーリとしても無視できない存在となったため、フェラーリはこれに対抗してミドシップレイアウトを持つ512BBを投入しますが、今度はランボルギーニがその512BBに対抗してLP5000Sを発表するという仁義なき戦い状態に陥っていて、しかしこのカウンタックLP5000Sは、6個のウェーバーキャブレターを備える新設計の4.8リッターV型12気筒を搭載し、それまでのカウンタックのいずれのシリーズをも上回るセールスを記録することとなっています(やはりライバルがいてこそお互いの発展があるようだ)。
今回オークションに登場するカウンタックLP5000Sは1984年初めにランボルギーニから出荷され、ボディカラーはホワイト、内装もホワイトという「ウルフ・オブ・ウォールストリート」仕様。※ただし「ウルフ・オブ・ウォールストリートに登場したのはカウンタック25thアニバーサリー
なお、このカウンタックLP5000S」はホイールがホワイトという珍しい仕様です(初めて見た)。
それにしても、ここまで「ホワイト」な内装は珍しく、しかしいかにも「当時のスーパーカー」という雰囲気ですね。
ウインドウ昇降用のハンドルまでもがホワイトというこだわり仕様。
なお、この個体(シャシーナンバー12675)はドイツ市場向けに製造されており、1984年2月10日にホルスト・クイエトマイヤーによってハノーバーで登録され4年の間に5万キロという驚異的な距離を走破したのち、1988年に彼が亡くなったために彼の娘の名義へと変更されたという記録が残ります。
ただし彼の娘はこのカウンタックLP5000Sに乗らず、そのまま27年間倉庫にしまっていたといい、突如として2015年12月にオークションに現れ、そこでこのカウンタックLP5000Sを手に入れたのが現オーナー。
なにぶん長期間放置されていた個体なので、ランボルギーニのスペシャリストであるジョー・マカリの手によって、大規模なレストアが行われ、2018年5月18日から8ヶ月間にわたって数十箇所に及ぶ不具合パーツの修理や交換が行われたといいます。
なお、これら点検の詳細、修理や交換を行った内容、請求書の全ては保存されており、2018年12月に再点検を行ったのちにずっと保管されて現在に至っている、とのこと(現在の走行距離は51,800km)。
これまでにわずか2人のオーナー(名義は3人)、工場出荷時と同じマッチングナンバーのエンジン、そしてまたとないカラーコンビネーションを考慮すると、このカウンタックLPSは非常に資産価値が高いと考えてよく、これまでの最高額に近い価格、もしくは最高額で落札されるのかもしれません。
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