■駄文(日々考えること)

なぜ自分は自動車を買うのか。あるいは自動車に対して金銭感覚が麻痺している件

2017/11/19

|ぼくは消耗品や日用品について、相当に支出をケチっている|

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ぼくら乗り物ジャンキーは、乗り物の価格について、一種麻痺しているところがあります。
ぼくは実際のところ比較的節約家で、消耗品や食品などを購入する際は、かなり安いものを選び、可能な限りコストパフォーマンスを追求します。
食品に至っては常に「グラム単位」で金額を計算してよりお得なものを購入するようにしているのですね(そのためぼくは暗算が得意)。

車は個人で購入できる製品においては、最も多くの要素が詰まっている

ですが、車に関してはついぞコストパフォーマンスなぞ考慮した試しは無く、日ごろ数円、数十円単位の出費を惜しんでいるのに、数百万の車でもイキナリ買ってしまうことが。
ある意味イカれているとしか思えませんが、こればかりは自制できるものではなく、開き直らざるを得ません。特に、心理的負荷がかかっているとき(辛い時)に車を衝動買いするケースが多いように思います。

車というのは個人が通常買える範囲において、もっとも多種かつ最新のテクノロジーが詰まった製品と言えるのかもしれません。
機械工学、航空力学、物理学その他をはじめ、さらに電子制御や、車によっては、人の感覚についての研究成果を取り入れたもの、最新のデザイン理論を応用したものもあり、そして言うまでも無く緻密なマーケティングやプロモーションの上に成り立つものです。

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異なる分野、異なる素材、異なる技術、それらが高い次元でバランスされた(または反対に著しくバランスを欠いた)工業製品が自動車だとぼくは考えます。
自動車は土地や貴金属、芸術品のように希少性や固有性、芸術性をベースにした価格設定ではなく、ぼくは自動車について実用品としての価値を備え、「(盛り込まれる技術や素材の割に)安い」という感覚を常に持っているのですね。

車を買うことは人生にとってムダにはならない

そういった各分野の最先端研究成果の集大成である自動車について、それらを自分のお金を払って購入するということは、ぼくにとってはけしてムダにはならない、と信じています。
なんといっても自動車は売却可能ですし、いろいろなメーカーの自動車を所有することで、そのメーカーの考え方、たとえば、どういったマーケティングを行ったのか(その結果どう市場に受け入れられたのか)、どういった目的で造られたのか(目的は果たせているのか)、エンジニアと販売サイドとの力関係や、クオリティから判断する生産管理体制、ライバルをどれだけ研究したのか、その上での独自性はあるのか、メーカーとしての確固たる意思はあるのか、メーカーが重要視しているのは何か、購入の際の販売現場はどういった理屈で動いているのか(経営方針)等、そういったことを製品から学び取ることができるのです。

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ぼくはそういった、とりとめのないことを考えるのが大好きで、そしてぼくは同様の理由で様々な世の中のモノたちが大好きです。
そして、ぼくにとって、いちばん何かを考えさせられる工業製品は自動車である、というだけなのです。
この価格で、これだけ楽しませてくれるのは自動車をおいて他に無い、とも考えることも(あくまでも個人的見解です)。

もちろん人によってそれは違いますし、ある人はそれが腕時計であったり、カメラであったり、衣類であったり、フィギュアであったり、文学や、芸術や、音楽や、その他様々なものであるかもしれませんね。

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