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「サーキットの狼」に影響を与えたミウラSVRがランボルギーニの手によってレストア。日本へ帰還

2018/06/23

| 1976年以降、日本人によって所有され日本を出ることはなかった |

ランボルギーニが「もっとも有名なミウラ」として知られる”ミウラSVR”のレストアを完了した、と発表。
これはもちろんランボルギーニのレストア部門「ポロストリコ」が担当したもので、今回完成を記念して日本の中山サーキットにて披露されることに。
これは日本だと「ミウラ・イオタSVR」もしくは「イオタSVR」として知られるものですが、ランボルギーニは「イオタ」の名称は用いておらず、「ミウラ」SVRと表記しています。

ランボルギーニによると、今回このミウラSVRのレストアには19ヶ月を要し、さらに「通常のプロセスではレストアできなかった」とのこと。
というのも当時ほぼワンオフに近い形で(ランボルギーニが)カスタムした車両であるために資料が残っておらず、ほぼ手探り状態でレストアを進めたようですね。

もともとはグリーンのミウラSだった

このミウラSVRはもともと「ミウラS」として生産されたもので、シャシーナンバーは3781(エンジンナンバーは2511、ボディナンバーは383)。
生産完了時はヴェルデ(グリーン)のボディカラーとブラックのインテリアを持っており、1968年11月30日にイタリアはトリノにあるランボルギーニのディーラーへとデリバリー。

その後50回目のトリノ・モーターショーへと展示され、イタリア国内で8人のオーナーの手を経たのちに1974年にドイツ人のハインツ・シュトラーバー氏がこのミウラを購入。
その後同氏はランボルギーニへとこのミウラを持ち込んで18ヶ月かけて「SVR」へとコンバートした、とのこと。

その後1976年に東名モータース代表の伊藤広光氏がこれを購入し、漫画「サーキットの狼」に影響を与えて”潮来のオックス”の愛車として登場したことでも知られます(このときにイオタSVRとして漫画に登場したので、日本では”イオタSVR”として定着したのかも)。

「ミウラ」と「イオタ」って?

ミウラのハイパフォーマンス版が「イオタ」と思われることがありますが、これは構造が異なる「別の車」だとされています。
ランボルギーニのカンパニーポリシーとして「会社としてレース活動を行わない」というものがあり、しかしランボルギーニのテストドライバーであったボブ・ウォレス氏はモータースポーツに参加したいと考えていて、苦肉の策で考えたのが「イオタ(とのちに呼ばれることになるレーシングカー)」。

この車はランボルギーニの社内的には「ミウラ改良のための試作車」というカモフラージュを用いたため外観がミウラに近くなっているものの、FIAの定める競技規定「アペンディックス(付則)J」に合致するように作られた純然たる競技用車両(ミウラを改造したものではなく、競技のために造ったクルマであり、それにあたってミウラのパーツを使用した、ということになる)。

なお、この車両は当初「J」と呼ばれていたものの、のちに「Jota(イオタ)」へと転じていますが、この「J」と同じ外観にしてほしいという依頼が顧客から出てくるようになり、ここで何台かの「J(Jota)風ミウラ」が誕生した、とも言われます。※少なくとも7台。なおもともとの”J”は事故で廃車に

今回レストアを終えたシャシーナンバー3781は、1976年に日本へとやってきたのちに各地のスーパーカーショーに展示されるなどしたそうですが、当時の写真を見ると内装はブラック。
ランボルギーニはこの「3781」ミウラSVRは京商によってモデルカー化されているということにも触れており、京商のモデルカーもやはり内装はブラックですね(ぼくも京商のミニカーを持っていて、今確認すると製品の名称は「ミウラSVR」ではなく「イオタSVR」となっている)。

しかしながら2015年にビンゴスポーツに展示された際の画像を見ると内装はタンレザーなので、どこかの段階でタンレザーに変更されたものと思われます(当時のビンゴスポーツの説明文には”レストア済み”とあるので、その際に張り替えた?)が、色々と謎が多そうな車両ではありますね。

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VIA:Lamborghini

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