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フェラーリのイベントに行くと必ずといっていいほど展示されている「250GT」。なぜフェラーリはこのモデルを特別視し、重要なモデルだと位置づけているのか

フェラーリのイベントに行くと必ずといっていいほど展示されている「250GT」。なぜフェラーリはこのモデルを特別視し、重要なモデルだと位置づけているのか

| ロードカー故にモータースポーツでは活躍していないが、企業としてのフェラーリを成長させ、その礎を築いたのはこの250GTである |

その意味では250GTなくして今のフェラーリの成功は無いと考えていいだろう

さて、フェラーリがその歴史上もっとも重要なクルマの一つとして250GTをピックアップするコンテンツを公開。

フェラーリの歴史においては数え切れないほどのエポックメイキングなクルマが存在し、「初のフェラーリの名を冠したロードカー」である1947年の125S、初のル・マン優勝車となった166MM、最も高額な相場にて取引さえるフェラーリのひとつである250GTO、商業的なはじめてのスペチアーレであるF40など、見方によっては様々なクルマが様々な観点から「重要」となってくるわけですね。

ここでなぜフェラーリが「250GT」を重要なクルマだと捉えているのかについて見てみましょう。

フェラーリF40の初期デザインスケッチは実際の市販車とは似ても似つかないスタイルだった。そのイメージは288GTO エボルツィオーネ、それがなぜ変更されたのかは謎である
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Image:Ferrari | フェラーリF40は様々な意味において「特別」なクルマであった | 今見るとこのフェラーリF40の初期デザインスケッチは「レトロ」である さて、フェラーリが公式Faceb ...

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250GTはフェラーリの初期の歴史を形作ったクルマである

フェラーリ250GTは1954年のパリモーターショーにて発表されていますが、この250GTはフェラーリにとって非常に重要な役割を果たします。

まずひとつとしては、「250GTはフェラーリ初の量産車」であり、当時需要が高まっていた、フェラーリをファッションアイテムとして求める富裕層に向け大量に販売することでフェラーリの財政を潤したという事実。

当時のフェラーリは小規模なレーシングファクトリーで、レースにて使用したクルマを手直しして顧客に販売したり、公道レースを走ることができるレーシングカーを少量生産してプライベーターやコレクターに販売したりといったビジネススタイルを持っており、つまりはほかの自動車メーカーとは全く異なる業態であったわけですね。

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映画「フェラーリ」でも、アダム・ドライバー扮するエンツォ・フェラーリが「ジャガーは(クルマを)売るためにレースをするが、我々はレースをするために売る」といっていた通り、フェラーリの本業はレースであり、その資金獲得手段として市販車ビジネスが存在していて、そしてこの250GTは「それまでのどのフェラーリよりも」多くの台数を販売することでフェラーリの重要な”資金源”となります。

このフェラーリ250GTの生産を(当初)担当したのは1951年から協業関係にあったピニンファリーナですが、250GTの生産のためにトリノのグルリアスコに新工場を建設するに至っており、250GTは「レーシングカーをロードカーにコンバートしたもの」「レーシングカーとして設計されたが、一応公道を走れる」というそれまでのフェラーリとは全く異なる”快適なGTカー”で、これが世界中の富裕層に受け入れられることで瞬く間にヒット商品に。

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しかしながらあまりの人気に(当初)ピニンファリーナだけでは需要を賄うだけの生産を行うことができず、よって(ピニンファリーナのデザイナー、マリオ・ボアーノが興した)カロッツェリア・ボアーノにも下請けに出され、1958年にピニンファリーナの新しい工場が完成した後にようやく250GTの本格的な量産が始まります。

そこでもうひとつの「250GTが重要な理由」がここに生じることとなるのですが、それは「車両のカスタマイズ」。

フェラーリをオーダーするのは(今も昔も)裕福な顧客のみであり、そしてそういった顧客は「自分仕様」を好むため、「軽量な競技仕様」「ベルギー王女が注文したゴージャス仕様」「モロッコ国王に納車された完全特注車」といった具合に多種多様なバリエーションを生み出していて、こういったパーソナリゼーションが現代の「ワンオフ」「テーラーメイド」に結びついているのだと考えられます(そしてこういった特注車両は大きな利益を生み出すことになり、これもフェラーリを支えるひとつの柱である)。

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250GTの登場によってフェラーリは急速に販売台数を伸ばし、生産設備を拡大し、かつ顧客の要望に応えるべく高度なカスタマイズを取り入れ、それらによって飛躍的に利益を伸長させたという事実がここにあり、つまり250GTは「レーシングファクトリーから自動車メーカーへと」フェラーリを変容させ、近代のフェラーリの発展をもたらした存在だと考えてよく、自動車メーカーとしてのフェラーリの歴史を語るうえで、「250GT以前」と「250GT以後」とに分けることも可能です。

こんなフェラーリ見たことない!250GT「ボアノ」が競売に登場、予想落札価格は最高で3億円。当時フェラーリお墨付きのコーチビルダーがカスタムした一台
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| 当時はこのほかにもビニャーレなど、フェラーリをカスタムするコーチビルダーがいくつか存在していた | そしてわざわざフェラーリをコーチビルダーに依頼しカスタムする顧客が少なからず存在したことも驚きで ...

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こうやって(モータスポーツという観点ではなく、商業的観点から)250GTを見るとその重要性がわかろうというものですが、たしかにフェラーリ・レーシング・デイズ、ウニベルソ・フェラーリなど重要なイベントには必ずと言っていいほど250GTが展示されていて、こういった事実からしてもフェラーリが「いかに250GTを重要視しているか」がわかろうというものですね。

なお、250GTはその後も改良が施されながら販売が継続され、エンジン排気量の拡大、コイルスプリング式フロントサスペンションの装備、ディスクブレーキの導入など時代に即した進化を続けつつ、250GT 2+2(初の量産4人乗りフェラーリ)、250GTベルリネッタルッソ(最後の250GTシリーズ)へと続き、1960年の生産終了までに353台が生産されています。

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参照:Ferrari

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