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| ブガッティはなぜハイパーカー第一弾に「ヴェイロン」と命名したのか |
それはブガッティがそのDNAに対して行ったコミットでもある
さて、近代のブガッティはその第一号車に「ヴェイロン」という名を与えています。
この「ヴェイロン」とは、ブガッティの歴史に大きな足跡を残したドライバーの名ではありますが、ブガッティはヴェイロン発売の数年前に「シロン」と命名されたコンセプトカーを発表しており、しかしなぜか市販車には「ヴェイロン」の名を与えているわけですね(御存知の通り、”シロン”の名はヴェイロン後継モデルとして復活)。
参考までに、ブガッティの最新モデル「トゥールビヨン」はこれら「伝説的ドライバーの名を付与する」というブガッティの伝統ではなく「トゥールビヨン」という機械式腕時計の複雑機構に由来する命名を行っており、これは「トゥールビヨンのように、何百年経っても革新的な存在であり続けるため」という願いが込められています。
若き才能がブガッティと出会うまで
そこでなぜブガッティが「ヴェイロン」の名を用いたのかを振り返ってみたいと思いますが、まずピエール・ヴェイロンは1903年フランスに生まれており、早くから分析的かつ大胆な精神を持ち合わせていたことで知られます。
もともとは工学の道を志していたものの、急速に進化するモータースポーツの世界に惹かれて人生の方向を転換し、やがて彼はブガッティ創業者エットーレ・ブガッティとの運命的な出会いを果たし、その卓越したドライビングスキルに加え、機械に対する鋭い洞察力がブガッティに評価されることで「単なるレーサーではなく、テストドライバー兼開発エンジニア」として重用されることに。
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レースキャリアの始まりと急成長
1920年代後半になるとヴェイロンはヒルクライムや耐久レースに参戦を開始し、1930年のジュネーブGP(1500ccクラス)で優勝したことを機としてその名を欧州レース界に広めることに成功します。
1932年にはエットーレ・ブガッティの要請で正式にブガッティの開発ドライバー兼パートタイムレーサーとして活動をはじめ、以降10年にわたって彼の存在はブガッティの開発とレース戦略に欠かせないものとなってゆきます。
エンジニアとして、ブガッティの進化を支える存在に
この活動期間中において、ピエール・ヴェイロンはモルスハイム本社の開発チームと密に連携し、実走行から得たフィードバックを即座に技術陣に伝えることで競技車両の進化に大きく貢献したといい、「エンジニアとレーサーの“橋渡し役”」として、ブガッティ車の性能と信頼性の両立に寄与した人物でもあったようですね。
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栄光の1939年ル・マン優勝
そしてピエール・ヴェイロンのキャリアの頂点が1939年のル・マン24時間レース。
ジャン=ピエール・ウィミーユとともにブガッティ Type 57C "Tank"を駆り、見事総合優勝を果たしますが、この勝利は、単なる速さだけでなく、安定性・戦略・耐久性の勝利として語り継がれており、さらにはこのレースが戦前最後のル・マンとなったことから、黄金時代の象徴とも言えるレースになったと言われています。
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戦後の人生とブガッティとの絆
戦後、ピエール・ヴェイロンはレース界から徐々に距離を置いたものの、ブガッティとの関係性は生涯続いたといい、エンジニアとしての活動や家族との生活に重きを置きながらも「ブガッティのレース精神と技術革新の象徴として」彼の存在はブランドのDNAの一部として形成されてゆくことに。
そして「ヴェイロン」の名が再び世界に響く
時は流れて2000年代初頭、ブガッティが現代に復活するにあたり、開発責任者フェルディナント・ピエヒ率いるVWグループは、その新型ハイパーカーに「ヴェイロン」という名を与える決断を下します。
これはただのオマージュではなく、ブガッティが追求する「極限のパフォーマンスと職人技術の融合」という哲学を最も体現した人物への敬意、そして彼のなした偉業を再現するという力強い宣言でもあり、実際に「ヴェイロン」の名はこれまでに類を見ないパフォーマンスとともに世に轟くこととなったわけですね(突出したパフォーマンスに加え、ずば抜けた豪華さを誇ったことも見逃してはならない)。
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締めくくり
ヴェイロン16.4は、1,001PSのW16クワッドターボエンジンを搭載し、400km/hを超える世界最速級の性能を誇っていますが、その根底には「妥協なき精神」という、ピエール・ヴェイロンその人の哲学が息づいています。
そして数字や記録の先にあるのは、ブガッティというブランドの魂。
そしてその魂を形作った男こそ、ピエール・ヴェイロンに他ならず、こういった経緯を考慮すると、ブガッティが「ハイパーカー第一号」にヴェイロンの名を採用したことにも頷けます。
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