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| フェルディナント・ピエヒの夢から始まったブガッティ再生計画 |
ブガッティが「ヴェイロン」開発秘話を公開
近代のブガッティからは「ヴェイロン」「シロン」「トゥールビヨン」が発表されていますが、今回ブガッティが公式として「ヴェイロンの開発秘話」を公開。
まず、ブガッティ・ヴェイロンの現代的なルーツは、フォルクスワーゲングループ元会長、フェルディナント・ピエヒの壮大なビジョンにまで遡ります。
同氏はポルシェ創業者、フェルディナント・ポルシェの孫に当たる人物で(女系なので名字が異なる)、しかしフェルディナント・ポルシェの「小型で軽量なスポーツカーを作りたい(そのために在籍していたメルセデス・ベンツと決裂している)」という思想とは真逆に「大排気量、大パワーのクルマ」を好んだ豪傑としても知られています。
ブガッティ・シロンの高層はまずエンジン、そして日本の新幹線の中で始まる
そしてこのシロンの「はじまり」につき、よく知られるのが1997年、彼が日本を訪れた際、新幹線の車中で描いた「W18エンジンのスケッチ」。
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ブガッティ・ヴェイロンの計画は、VW会長が来日して列車で移動中に書いたメモから始まっていた!そのメモが公開に
| 往々にして天才は「思いつき」を実現する | https://www.flickr.com/photos/110074903@N02/49778791641/in/album-72157713879 ...
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これががすべての始まりだとされ、彼の目標は「時速400km超、かつ極上の快適性を備えた自動車」の実現。
その構想は1998年5月にVWがブガッティの商標権を取得したことで、現実に向けて動き始めます。※まずエンジン、そして目標スペックが定められたが、これを発売するためのブランドは決定されておらず、そのためにブガッティの商標権を獲得したといっていい
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EB 118:W18を積んだ美しきグランドツアラー(1998年)
そこでブガッティの商標使用権利を得たフェルディナント・ピエヒはイタルデザインの巨匠ジョルジェット・ジウジアーロにデザインを依頼し、その第1弾として1998年パリ・モーターショーにてEB 118が発表されることに。
EB 118は、クラシカルな美学と未来的な技術を融合させたブガッティ復活の象徴でもあり、以下のような特徴を持っています。
- 6.3L自然吸気W18エンジン(555PS)
- 長いボンネットとアールデコ調の内装
- 4WDシステムを採用
- Type 57SC Atlanticへのオマージュも随所に
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EB 218:ロワイヤル精神を受け継ぐラグジュアリーセダン(1999年)
1999年3月のジュネーブ・モーターショーでは、4ドアのEB 218が登場。
グランドツアラーに留まらず、ブガッティの超高級セダン市場への野望も示された一台ですが、当時のブガッティは「2ドアクーペ」のみならず「4ドアセダン」への参入も検討していたのだと考えられます。
- EB 118をベースにしたセダンバージョン
- 全長5,375mmの堂々たる体躯
- 同じくW18エンジンと4WDを搭載
- ブガッティ・タイプ41「ロワイヤル」への回帰
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参考までに、現代のブガッティ体制となる前にはイタリア人実業家、ロマーノ・アルティオーリが「アウトモビリ・ブガッティ」として別のブガッティを運営していましたが、その時代にも(1993年)「4ドアブガッティ」が発表されており、こちらもやはりジウジアーロによるデザインです。
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EB 18/3 Chiron:本格スーパースポーツへの布石(1999年)
1999年9月のフランクフルト・モーターショーで登場したのがEB 18/3 Chiron(シロン)。
ここから、ブガッティはハイパースポーツカーの領域へ舵を切り始めるわけですね。
- W18をミドシップマウントに変更
- 2シーターのピュアスーパースポーツデザイン
- 空力とダイナミクスにフォーカスした造形
- 伝説のレーサー、ルイ・シロンの名を冠す
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こんなコンセプトカーもあった。ディアブロのシャシーを使用したブガッティW18/3シロン
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EB 18/4 Veyron:最終進化形とW16への転換点(1999年)
そのわずか1か月後、1999年10月の東京モーターショーで登場したのがEB 18/4 Veyron(ヴェイロン)。
- デザインはVWグループ社内、ハルトムート・ワークスと若きヨーゼフ・カバーン
- よりコンパクトで量産を見据えたフォルム
なお、このヨーゼフ(ジョゼフ)・カバーンはのちにフォルクスワーゲンへと異動となり、しかしそこで「VW役員会に認められなかった」デザインを作成したことで閑職にまわされてしまい、現在は中国の上海汽車にてデザイナーを務めています。
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ブガッティにてヴェイロンをデザインしVWへと移ったものの、そのデザインが取締役会から酷評を受け閑職に追いやられたデザイナー。MGにてデザイナー職を獲得する
| このジョセフ・カバン氏ほど極端な扱いを受けた人物も珍しい | できることならばMGにてその名誉を挽回してほしいものである さて、上海汽車(SAIC)傘下にあるMGが「デザイナーとしてジョセフ(ヨゼ ...
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そしてブガッティはW16へ──
当初は「W18自然吸気」にて計画が進められていたものの、「1000馬力超・時速400km超」を安定して達成するにはW18では不十分と判断され、2000年には8.0LクワッドターボW16エンジンへの切り替えが決定されています。
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ピエール・ヴェイロンの名に込めた敬意
なお、「ヴェイロン」という車名は、1939年のル・マンを制した伝説のドライバーピエール・ヴェイロンへの敬意を込めたもの。
彼は単なるレーサーではなく、開発ドライバー兼エンジニアとしてブガッティに貢献した人物でもありますが、興味深いのはブガッティが1999年に「シロン(やはりブガッティを駆り活躍したレーシングドライバー)」と命名したコンセプトカーを作りながらも、シロンではなくヴェイロンを「新生ブガッティ第一号」の名として採用したこと。
ただし「シロン」はヴェイロン後継モデルにて採用されているため、何らかの理由でブガッティは”ヴェイロン”を優先したのでしょうね。
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ヴェイロン誕生までの道のりは、技術革新と歴史へのオマージュの融合だった
フェルディナント・ピエヒの構想から始まったヴェイロンの開発は、革新と伝統が融合した「壮大な物語」。
EB 118から始まる一連のコンセプトカーは単なる試作ではなく、それぞれが役割を持つ進化のステップであったこと、そのすべてが最終形であるブガッティ・ヴェイロン 16.4へと結実したことがわかります。
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