| ただ単に父親の稼業を引継いだだけではないようだ |
さて、フェラーリコレクターとしても知られる米国のデビッド・リー氏。
同氏はこれまでにも数々の限定フェラーリを(フェラーリから直接)購入し、F1マシンやクラシックカーをも所有する人物です。
ただ、少し前にフェラーリの限定モデル販売に対する方針が変わってしまい、その方針のもとでは「従来の購入実績よりも、ネット上でのその人の価値を重視する」ということになり、いかにこれまで様々なフェラーリを購入していようとも、それらをガレージに収めたままで表に出さない、出ない人には限定モデルを売らない、といったケースも報告されています。
そういった「誰に限定フェラーリを売るか」を判断するのはフェラーリにてマーケティング等を担当するエンリコ・ガリエッラ氏で、彼は購入希望者に対して「ノー」を突きつけることから「ドクター・ノー」と渾名されることも。
なお、以前には限定フェラーリを「売ってもらえなかった」フェラーリのVIPがフェラーリを訴えたこともあり、チョコチョコとは問題が生じているようでもありまね。
そして今回紹介するデビッド・リー氏もかつて「ラ・フェラーリ・アペルタを売ってもらえなかった」一人で、というのも「ネット上での価値が低いから」。
そういったこともあってか、ここ最近になって同氏はネット上での活動を急激に強化しており、最近ではYoutubeチャンネルを通じてフェラーリ に関する情報を発信するように務めており、つまりはここで「フェラーリ に対して自身の価値」をアピールしているのかもしれません。
こうやって私はフェラーリ・コレクターになった
そして今回、動画にてデビッド・リー氏が語るのが「いかにして自分はフェラーリコレクターとなったか」。
まず、現在同氏の職業は「宝飾品販売業」。
自ら店舗を構え、ブレゲやロレックス 、ロジェデュブイ、ブライトリング、リシャールミル等の高級腕時計を販売しています。
なお、この職業は父親の代から受け継いだものであるそうですが、デビッド・リー氏は自身の代にて大きくその内容を変えることに。
同氏の父親は同じく宝飾関連の仕事についていたものの、販売業というよりは技師に近く、かつ小売ではなく卸売業に専念していた模様。
ただ、父親の夢は「ロレックスを購入すること」だったそうなので、さほど儲かっていたわけではないと思われます。
そこへデビッド・リー氏が1990年にUSCビジネススクールを卒業して稼業に加わりますが、当時はブラックマンデー(1987年)の影響も濃く景気はどん底に近い状態であり、人々は宝飾品を買う余裕はなく、宝飾卸売業は壊滅状態。
そこでデビッド・リー氏が考えたのが「卸売業から小売業への転向」。
その理由としては「環境を自身でコントロールできること(直接消費者に働きかけることができ、行動することで何かを変えることができる)、キャッシュフローが改善すること。
こうやって1965年に父が始めた宝飾品卸売業を1993年に小売業へと転換させることになりますが、その時にメインとしたのが「ロレックス 正規ディーラー権の獲得」。
通常だと20年くらいはかかるロレックス ディーラー権を早期に取得できたことがその後のビジネスへの発展につながったとしています(ロレックスの腕時計、とくにスポーツモデルは購入することが難しいが、ディーラー権の獲得はさらに難しいようだ・・・)。
そんなわけで今日では巨万の富を築くに至ったわけですが、デビッド・リー氏いわく、ビジネスで成功するに要素はシンプルに2つ、「忍耐強く働くこと、誠実に働くこと」。
当時でもロレックス は大変な人気を誇り、よって多くの製品がグレーマーケットで流通していたものの、そういった製品にはいかに顧客から依頼されても手を出さず、誠実さに務めたことが早期の正規ディーラー権獲得にも繋がり、それが同氏の評判を押上げ、そして30歳になる前にランボルギーニ・ディアブロを購入することができた、と述べています。
なお、同氏の腕に光るのは、父親の夢でもあったロレックス ・デイトジャスト。
これは父親とお揃いにて購入したもので、デビッド・リー氏にとっては成功の証とも言える象徴なのでしょうね。
加えて、現在ではフェラーリ288GTO、F40、F50、エンツォフェラーリ、ラフェラーリといった限定モデルのほか、250GTルッソやF12tdf、そのほか多数のフェラーリほかスーパーカーに囲まれています。