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フェラーリがランボルギーニに対抗して「ミドシップ」ロードカーを発売したその第一弾、365GT4 BBが競売に。新旧時代のフェラーリが混在する歴史的な存在

フェラーリがランボルギーニに対抗して「ミドシップ」ロードカーを発売したその第一弾、365GT4 BBが競売に。新旧時代のフェラーリが混在する歴史的な存在

| さらにフェラーリ365GT4 BBは生産台数が少なく希少性も高い |

内外装のデザインが大きく近代化、その後のフェラーリにも大きな影響を及ぼすことに

さて、フェラーリ創業者、エンツォ・フェラーリは「牛車は牛が引くものであり、牛が押すものではない」と語り、フロントエンジンレイアウトに固執したといいますが、ランボルギーニがミドシップレイアウトのスーパーカー(ミウラ)を発売し大きな反響を得たこと、さらにはマセラティもミッドエンジン採用のロードカーを発売するにあたり、いよいよ「ミドシップカーの開発をせざるをえなくなり」、そこで登場したのが「もっとも美しいスポーツクーペの一台」と評される(フロントエンジンの)365GTB/4デイトナの後継モデルであるミドシップカー、「365GT4 BB」。

1973年の納車後に数々のレースやイベントを走り抜き、生涯で3度ボディカラーが変わったフェラーリ365BTB/4デイトナが競売に。希少な右ハンドルで高騰必至
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F1ではミッドエンジンが主流になっていたが

エンツォ・フェラーリ自身、ミッドエンジンの扱いにくさを危惧していたといわれるものの、F1においてはその時点で10年近くもミドシップが主流となっており、かなりのレベルまで(スポーツ走行における)重量配分、ハンドリング、トラクションが改善されており、フェラーリもミドシップに関するノウハウを持っていたものと思われます。

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そこでエンツォ・フェラーリは、競合他社に対抗するため、ミッドエンジンレイアウトを採用するロードカーの開発をエンジニアに依頼したといい、「フェラーリ初の」ミッドエンジンロードカーとして誕生したのがこの365GT4 BB。※ディーノ206GTにはフェラーリの名が冠されていないため、「フェラーリ」としうては365GT4 BBが初となる

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このフェラーリ365GT4 BBに搭載されるエンジンは「フラット(180度)V12」で、Vバンクを持たない12気筒エンジンはフェラーリ初。

この「平型V12エンジンを採用したのは、車体の構造上「エンジンの搭載位置が高くなってしまうから」であり、それによって重心も高くなってしまうことを懸念したためにこのエンジン型式が採用されたと言われます。

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この新開発の12気筒エンジンは4.4リッターの排気量を持ち、シルミン合金製のエンジンブロック、ダブルオーバーヘッドカムシャフト、軽合金製のピストンを備え、4連の3連ウェーバー40 IF 3Cキャブレターが搭載されることに。

その結果として最高出力は380馬力にも達し、時速60マイル(96キロ)までを6秒強で加速し、最高速度は時速180マイル(296キロ)に迫ったと言われます。

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さらにはミッドシップエンジンの採用により、ほぼ完璧なバランスが保たれ、圧倒的な直線スピード、それに見合ったハンドリングを実現しており、これらの優れた性能によって、365GT4 BBはデビュー当時、フロントエンジンレイアウトを採用する先代の365GTB/4”デイトナ”からみごとにバトンを受け継ぎ、世界最速のプロダクションカーとなったわけですね。

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そしてこのフェラーリ365GT4 BBは、デビューと同時に「ロード・アンド・トラック」誌にて、「これまでで最も速いクルマのひとつ」と評されるなど高い評価を受けることになり、しかし1973年に発生した世界的なオイルショックによって、1976年の512BBの登場まで、わずか367台が生産されたに過ぎないという悲運をたどります。

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このフェラーリ365GT4 BBはこんな経歴を持っている

そこで今回オークションに出品されるこのフェラーリ365GT4 BBですが、1974年5月21日にイタリアで納車され、ファクトリーカラーのロッソ・ディーノ(朱色のようなレッドで、オレンジに見える)のボディカラーを持ち、シャシーナンバーは17927。

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工場での生産完了後となる1974年6月にはヴェローナのディーノ・ラバージオ&サンズ社に送られ、同年7月に最初のオーナー、テレサ・バラヴァス夫人に納車されています。

その後1981年になると、エンスージアストでジェントルマンレーサーのアルド・クドーネへと売却され、その後20年間、この車は彼のガレージに収められることになります(つまり2オーナー)。

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このフェラーリ365GT4 BBはクラシックからモダンへと移行するに際していくつか興味深い装備が見られ、この「ホイールスピナー」もそのひとつ。

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デイトナシートもまた興味深い装備だといって良いかと思います(この先代モデル、フェラーリ365GTB/4”デイトナ”出始めて採用されている)。※運転席の傷みのほうが助手席よりも大きいので、オーナーは一人でこのクルマを楽しむ事が多かったようだ

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一方でメーターは完全に「モダン」。

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デザインはもちろんピニンファリーナ。

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フロントカウルは「クラムシェル」。

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このフェラーリ365GT4/」BBは2009年に11,000ドル以上の費用をかけて大規模な整備を受けており、そこではアイドラープーリー、オイルシール、純正エキゾーストパイプへの交換、エアコンのオーバーホールを行うことに(直近ではベルト類の交換も行われている)。

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1974年発行のサービス&セールスブック、ギャランティカード、ラジオインストラクション、スペアパーツカタログ、取扱説明書など、多数の工場そしてディーラー提供の資料が、純正レザーポーチに収められているといい、の他、フェラーリ・クラシケの鑑定書、さらに自動車専門家マルセル・マッシーニによるヒストリーレポート、イタリア自動車クラブ発行のデータシートなどが含まれます。

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オイルショックという特殊事情にてわずか数百台しか製造されなかったという希少性、そしてフェラーリが新しい時代へと向かうにためにミドシップレイアウトを採用した最初のモデルであること、その後のフェラーリのデザインに大きな影響を及ぼしたという事実を考慮すると、このフェラーリ365GT4 BBの歴史的価値は非常に高く、多くのコレクターがその食指を伸ばすのは間違いなさそうですね。

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参照:RM Sotherby's

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