| 内外装のカラーは工場出荷時とは異なるが、それでもメカニズム的オリジナル性は非常に高い |
ボディカラーは象徴的な「ヴェルデ・ミウラ」
さて、RMサザビーズがロンドンにて開催するオークションへ、素晴らしいコンディションを持つランボルギーニ・ミウラが登場予定。
ミウラSVは150台が生産されているものの米国仕様はわずか23台のみしか存在せず、今回出品されるのはその23台のうちの一台です。
ランボルギーニ・ミウラは1966年に発売されていますが、ランボルギーニとしてはもちろん、世界的に見ても「初の大排気量ミドシップスポーツ」。
ランボルギーニは1963年に”フェラーリへの対抗心から”設立されていて、最初に発売されたのがフロントにエンジンを積む350GT、そして次にその改良版である400GT、そして3番めに登場したのがこのミウラ。
ランボルギーニ・ミウラのデザインは「ベルトーネ」
なお、ランボルギーニ・ミウラのデザインはベルトーネが担当したことでも知られますが、それまでランボルギーニとベルトーネとは接点がなく、しかしランボルギーニのエンジニアであるパオロ・スタンツァーニとジャンパオロ・ダラーラが1964年に開催されたパリ・モーターショーを訪れ、そこに展示されていたアルファロメオ・カングーロを見て「ランボルギーニのニューモデルはこういったデザインであるべき」と考え、そこでそのカングーロをデザインしたベルトーネにミウラのスタイリングを依頼した、と言われます(そのほかのベルトーネデザインのランボルギーニ比較すると、ミウラだけが雰囲気が違うなあと考えていたのですが、そういった理由があるようだ)。
なお、搭載されるエンジンはフェラーリを(宮廷の反乱にて)追い出されフリーになっていたエンジニア、ジオット・ビッザリーニへとランボルギーニが依頼して完成させたもの。
なお、ジオット・ビッザリーニは(さすがにフェラーリの元エンジニアだけあって)ランボルギーニが当時求めた扱いやすいエンジンではなく、フェラーリのような「レーシングカーばりの」パンチのある高回転型エンジンを設計してしまい、そのためパオロ・スタンツァーニが再設計を行うハメになった、とも伝えられていますね。※ミウラに積まれるのは4リッターV12、ミウラSVだと385馬力を発生する
車体の設計を行ったのはジャンパパオロ・ダラーラで、当時はまだ28歳と非常に若く、しかしランボルギーニ創業者、フェルッチョ・ランボルギーニは若手にどんどん仕事を任せていたといい、よってこのミウラ、そしてカウンタックの開発チームは20代が中心となっています。
そしてジャンパオロ・ダラーラはダラーラは、学位取得の経験を生かし、そして当時発表されたばかりのフォードGTの要素を取り入れた低床モノコックシャシーを設計し、しかしエンジンやギアボックスを横置きにしてホイールベースをコンパクトにするという独創的な方法でミウラのパッケージを完成させています。
なお、ミウラの発表は「ボディかない状態」つまりシャシーのみの状態で行われたことはよく知られていて、それは「その画期的な構造を示すため」とも言われ、一方では「ボディの製作が間に合わなかった」という説も。
ランボルギーニ・ミウラにはデザイン的特徴が非常に多い
そしてこのランボルギーニ・ミウラにはデザイン的に見るべきところが非常に多く、フロントだとポップアップ式ヘッドライトに(SVでは廃止されているものの)その周囲の”まつ毛”。※このまつ毛については「製造コストが高い」という理由にて廃止されている
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そしてリアのホイールハウス前のエアインテーク。
これは後のムルシエラゴやアヴェンタドール、ウラカンにも形を変えて受け継がれています。
「ハニカム」グリルも現代のランボルギーニにおける重要な要素ですね。
ドアは「雄牛の角」をイメージしており、開いたときにその端が角のようにそそり立っています。
ちなみにドアオープナーやキーシリンダーはルーバーの中に隠されるなど、慎重にデザインされていることがわかりますね。
リアのルーバーも現代のランボルーニにまで受け継がれるディティールですが、これを採用したのは「ガラスにすると、エンジンが跳ね上げるオイルでガラス内側が汚れてしまうため」で、つまりルーバーはその解決策もしくは苦肉の策だったわけですね(それでも、よく考えられていることには代わりはない)。
ちなみにこのミウラをデザインした時、マルチェロ・ガンディーニはわずか27歳という若さです。
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そしてこのランボルギーニ・ミウラは1966年のジュネーブ・モーターショーにてついに正式公開されることになりますが、当然ながら大喝采を浴び、さらにランボルギーニのテストドライバー、ボブ・ウォレスがこのミウラをモナコのカジノの前に置いて富裕層にアピールするというゲリラ的プロモーションを行ったこともよく知られるところ。
結果的にランボルギーニ・ミウラは762代が生産されていますが、上述のとおりこのミウラSVはわずか150台が製造されたのみで、ミウラに比較するとボディパネルのデザイン変更によって外観がすっきりしており、反面リアホイールハウスが拡大されて前後のバランスが良くなっています(タイヤも大径化された)。
加えてサスペンションのジオメトリーなどが改良され、(若干のパワーアップとともに)操縦安定性に優れるクルマへと進化することに。※SVとは「スプリント・ヴェローチェを意味している)
このランボルギーニ・ミウラはこういった経緯を持っている
そしてこのランボルギーニ・ミウラ(シャシーナンバー4924)は1971年8月17日に工場から出荷され米国に向け出荷されており、販売を担当したのはニューヨークのモデナカー。
当時の外装色はクラシックなロッソ・コルサ、内装はチンギアーレ・ペッレ(イノシシ革)で飾られ、ほかのすべての米国仕様車と同様にボレッティ製のエアコンを装着して新車で納品された、という記録が残ります。
最初のオーナーから1999年までの経歴は不昧だとされ、しかし1999年にはインディアナ州にて登録されていたことが判明しており、2002年には走行距離28,000マイルに達したこのミウラSVをカナダ在住のコレクターが購入して(おそらく)4番目のオーナーに。
そしてそのオーナーのもと2005年にレストアを行い、オドメーターをゼロに戻してキロ表示メーターに変更し、2007年にはクウェートのコレクターへと売却されています。
その後2015年に現在のオーナーがこのミウラSVを購入して現在のヴェルデ・ミウラへと全塗装を行い、数々のコンクールへと出品されていますが、現在までの走行距離はわずか300キロだといい、非常に大事にされてきたのかもしれません。
なお、このミウラSVのボディナンバーのシャシー、エンジン、前後クラムシェル、ドアがオリジナルのままであることが確認されていて、一時期所在不明であったりした割には「優れたオリジナリティを保っている」こともわかりますね。
おそらくはもっとも優れたコンディションを持つミウラのひとつであることは間違いなく、さらには希少なミウラSV、加えてUS仕様ということを考慮すると非常に高いコレクション価値を持つと考えていいかと思います。
辞意祭のところ予想落札価格にもそれは現れていて、最高でなんと3億8000万円というエスティメイトです。
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