| もしマセラティがブーメランを発売していたら、今のマセラティとは違う未来が待っていたのかもしれない |
デザインはジウジアーロ、当時はカウンタックしかりウエッジシェイプが流行っていた
さて、マセラティが1972年の3月9日に「ブーメラン」を発表してからちょうど50年。
これはコンセプトカーとして制作されたもので、まずは1971年にトリノショーで(走行できないモックアップが)発表され、翌1972年に走行可能なプロトタイプがジュネーブ・モーターショーにて公開されています。
なお、生産されたのはこのときの1台のみであり、実際にブーメランが市販されることはなかったものの、ショーが終了した後にはコレクターへと売却されたという記録が残っています(この頃は、役目を果たしたコンセプトカーをユーザーに販売することが通例でもあった)。
車体そのものはマセラティ・ボーラをベースにしており、最高出力310ps(231kW/314PS)を発生する4.7リッターV8を搭載していて、マセラティによれば最高速度300km/hを達成することができた、とのこと。
時代はとにかくウェッジシェイプだった
ちなみにその前の年にはランボルギーニ・カウンタックが発表されており、さらにその1年前には「ストラトス・ゼロ」が発表されていて、時代は「ウェッジシェイプ」へと向かっていたのは間違いなさそう。
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さらに1970年にはピニンファリーナから「フェラーリ・モデューロ」も登場しています。
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マセラティとしてもなんらかの対抗の必要があった?
そして当時のマセラティというとバリバリのスポーツカーメーカーであったので、こういったモデューロ、ストラトス・ゼロ、カウンタックに対抗しようと考えたのだと思われ、しかしこれらのデザイナーはガンディーニやピニンファリーナ。
おそらくではありますが、これらとの競合を避けるために別のデザイナーをと考え、そこでこのブーメランのデザイナーとしてジウジアーロが選ばれることになったのかもしれません。
はたしてジウジアーロは競合に負けない、まさに芸術品とでも呼ぶべきデザインを完成させますが、車体サイズは全長4342ミリ、全幅1860ミリ、全高1070ミリという結構「常識的な」サイズです(ランボルギーニ・ミウラの車高は1055ミリなので、ミウラのほうが低い)。
そしてこの車高となったのは「ベースがボーラ」という制限があったり、実際に市販することを考慮したのかもしれませんが、今となってはそういった背景も「歴史の影に埋もれてしまったナゾ」ということになるのかも。
なお、「ドア」についても現実的な横開きを採用していて、しかしウインドウは「下側」のみが開きます(このウインドウを開くと、ドライバーはそこから手を伸ばして地面に手をつくことができるという)。
メーターはステアリングホイール内に格納されるというアヴァンギャルドなスタイル(グリップ部分のみが回転する)。
ルーフは前面ガラスなのでけっこう広々。
その後、ブーメランは多くのコレクターの手を経て現在に至る
そしてこのブーメランにつき、モーターショー終了後にコレクターへと売却されたのは上述のとおりですが、その後様々な人の手に渡り、1980年にはマセラティコレクターの手に渡って大幅なレストアが施されることになります。
一時期、フロントフードのマセラティのエンブレム(トライデント)、その前のイタルデザインのロゴがなくなったものの、近年になって当時の仕様と同じくこれらが再現されているようですね。
マセラティいわく、「多くの人が本物の芸術品と認めたたとおり、このブーメランは革命的であり、後続のデザインに大きな影響を与えた」とコメント。
ちなみにジウジアーロは1972年に発売されたロータス・エスプリのデザインも担当しており、ブーメランのデザイン(の一部)はエスプリに引き継がれたとも考えることができそうですね(実際に、エスプリのプロトタイプはマセラティの車体を使用していた)。
マセラティ・ブーメランを紹介する動画はこちら
参照:effeNovanta, Bonhams Auctioneers, Nicolas Zart, Italdesign