| ピニンファリーナはフォード専属デザイナーに誘われていた |
ピニンファリーナはペブルビーチにて、有力顧客のみに対し初の市販モデルにしてハイパーカー、「PF0」を公開したとされていますが、今回ピニンファリーナCEOであるパオロ・ピニンファリーナ氏が「知られざる秘話」を披露。
これによると、1920年代にピニンファリーナ創業者、バッティスタ・ファリーナ氏とフォード創業者であるヘンリー・フォード氏が一緒に昼食をとったことがあり、その際フォード氏はバッティスタ・ファリーナ氏をフォードのチーフデザイナーとして誘ったそうですが、バッティスタ・ファリーナ氏はこれを「断った」とのこと。
もしフォードの誘いに乗っていたらフェラーリは今と全く異なるデザインに
ピニンファリーナの設立は1930年なので、フォードの話はピニンファリーナ設立前であり、これを断った後にピニンファリーナを設立した、ということになりそう。
つまりフォードからの話があった時点でバッティスタ・ファリーナ氏は名を成していたわけでも成功していたわけではなく、となるとフォードからの誘いは非常に魅力的であったと考えられますが、それを断ってまで自身の夢を追ったということですね。
なお、ピニンファリーナは現在インドのマヒンドラ傘下にあるものの、会社としては従来の体制を維持しており、現CEOのパオロ・ピニンファリーナ氏はバッティスタ・ファリーナ氏の孫にあたる人物です。
「ファリーナ」がなぜ「ピニンファリーナ」となったのかということについて、「ピニン」はピエモンテ語で「子供」を意味し、そしてバッティスタ・ファリーナ氏が11人兄弟の10番目だったこともあって幼少期に”ピニン”ファリーナと呼ばれていたことに由来。
そして社名にはこの愛称をそのまま使用し、そのため当初の社名は「カロッツェリア・ピニン・ファリーナ(ピニンとファリーナが分かれている)」。
その後社名は「ピニンファリーナ」へと名称変更され、彼の姓そのものも「ファリーナ」から正式に「ピニンファリーナ」へと改名されることに。
そしてピニンファリーナというとフェラーリ、フェラーリというとピニンファリーナという印象があり、ピニンファリーナとフェラーリとの蜜月が始まったのは1952年の「インテル212」から。
その後2012年のフェラーリF12までその関係が続くこととなっています。
ピニンファリーナ名義の市販車発売は創業者の夢
なお、創業者のバッティスタ”ピニン”・ファリーナ氏の夢は自社名義の市販車発売であったといい、その夢は三世代目となる孫が「アウトモビリ・ピニンファリーナ」を設立することでついに実現。
その第一号となるハイパーカー「PF01」が一般公開される日はまだ先になりそうですが、歴史が動く瞬間だとも言えそうですね。
https://www.youtube.com/watch?v=ZFQ0BkOUKo0