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製造わずか二台のみ、ファンジオやシェルビーがドライブし、エンツォ・フェラーリが「最高のフェラーリ」と称した410スポーツが競売に。当時のトロフィーやエンツォの電報も付属

2022/06/29

製造わずか二台のみ、ファンジオやシェルビーがドライブし、エンツォ・フェラーリが「最高のフェラーリ」と称した410スポーツが競売に。当時のトロフィーやエンツォの電報も付属

| もともと参戦を予定していたレースが中止となり、急遽ほかのレースへと振り分けられるも勝利を量産することに |

エンツォ・フェラーリが勝利を祝った電報も付属

さて、RMサザビーズ主催のオークションにて、1955年製フェラーリ410スポーツ・スパイダーが登場予定。

まず、この410スポーツ・スパイダーの特徴については、下記のとおりに紹介されています。

  • 1950年代に製造されたフェラーリ製ビッグブロック・スポーツレーシング・プロトタイプの中で最も重要な1台
  • 24スパークプラグ、4.9リッターV型12気筒を搭載した410スポーツのファクトリーキャンペーン車である2台のうちの1台
  • 1956年のブエノスアイレス1000kmレースでファン・マヌエル・ファンジオがドライブしたスクーデリア・フェラーリ・チームカー
  • キャロル・シェルビーが、ジョン・エドガー・チームにて1956年と1957年にドライブした車両
  • キャロル・シェルビーは8勝と10回の表彰台を獲得し、他のどのマシンよりも多くの勝利を収めた
  • フィル・ヒル、エウジェニオ・カステロッティ、マステン・グレゴリー、リッチー・ギンサー、ヨアキム・ボニエ、ブルース・ケスラー、ジム・ラスマン、チャック・デーといった伝説のドライバーたちもこのクルマをドライブ
  • 1956年から1958年までの間に40レース近く参戦し、11勝、19回の表彰台を獲得した偶数番号のスポーツレーシング・フェラーリの中で最も成功を収めた一台
  • エンジン、シャシー、ボディともにマッチングナンバーを保持したオリジナルモデル
  • セルジオ・スカリエッティがデザインし、製作した数少ないフェラーリ・モデルのひとつ
  • 燃料タンクには、キャロル・シェルビー によって「ミスター・フェラーリは、これが最高のフェラーリだと言った 」と刻まれている
  • キャロル・シェルビーが獲得した最初(1956年)と最後(1958年)のトロフィーと、1957年のナッソー・レーシング・ナンバープレートが付属

これ以上のフェラーリのレーシングカーは存在しないのではとも思えるほど

こうやって見ると、この410スポーツ・スパイダーはとんでもなく歴史的価値が高いクルマだと考えられますが、その計画は1955年にまで遡るといい、ことの発端は、それまで数々のレースを制し、しかし例外的に勝利を収めていなかったカレラ・パナメリカーナにて勝利できるマシンを作ろうとエンツォ・フェラーリが思い立ったこと。

カレラ・パナメリカーナはバンピーで危険なレースだとして知られ、それまでにも340メヒコ、340MM、375プラスが参戦していたものの、このレースを走り、予測不可能な路面状況で車両をコントロールするには新しいシャシーの開発が必要であると判断し、1955年のカレラ・パナメリカーナに照準をあわせてタイプ519/Cというシャシーを設計することになり、これがのちの410スポーツ・スパイダーとなるわけですね。

凸凹の多い路面を安定して走るためにフロアが低く幅の広いシャシーを持っており、さらにはホイールベースを短く設計され、面白いのはそれまで使用していたレース用のエンジンではなく、新開発のロードカー用エンジン(スーパーアメリカ用のロングブロックV12)をベースとして選択し、この5リッター(当時としてはフェラーリ最大)エンジンにF1スタイルのツインプラグ、4連ディストリビューター、コイル点火システム、ウエーバー製キャブレター(ツインチョーク)を備えて400馬力近い出力を発生させたこと。

参戦予定だったレースは中止、急遽仕様を変更することに

そしてこの仕様で製作された410スポーツ・スパイダーはシャシーナンバー0596と0598の2台のみだったといい、しかし1955年にはメルセデス・ベンツがル・マン24時間レースにて(83人が死亡、180人が負傷するという)モータースポーツ史上最悪の死者を出してしまったため、同年のカレラ・パナメリカーナとニュルブルクリンク1000kmレースが中止となってしまい、この410スポーツは出場の機会を奪われてしまいます。

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そこでフェラーリはこの410スポーツの仕様を変更して1956年のブエノスアイレス1000kmへと投入したわけですが、ここではファン・マヌエル・ファンジオが0598を駆ることになり、その際にはペダル配置を「クラッチ、ブレーキ、アクセル」ではなく「クラッチ、アクセル、ブレーキ」という配置へと変更するようフェラーリに要求したのだそう(画像を見ると、ペダルは木製のようだ)。

このレースではファン・マヌエル・ファンジオがトップを走るものの、89周めでデフが脱落してしまいリタイヤとなり、その後にプライベーターへと売却されることになったと紹介されています。

そこでこのマシンを手に入れたのがアメリカで自身のレーシングチームを率いる、そして協力なマシンを探していたジョン・エドガーなる人物で、キャロル・シェルビーをドライバーとして招き入れることで万全の体制を作り上げます。

果たしてこのチームとキャロル・シェルビー、フェラーリ410スポーツという組み合わせにて、参戦初年度から勝利を量産することになり、勝利を祝うエンツォ・フェラーリからの電報も今回の車両に付属する、とのこと。

とにかくこのマシンとキャロル・シェルビーとのコンビは非常に速く、アメリカでは「モデナ・モンスター」と呼ばれ、フェラーリ410とキャロル・シェルビーが出場すると「もう誰も手出しできない」ほどだったそうで、実際にキャロル・シェルビーも「自身が運転した中では最高のフェラーリだった」と語っていたのだそう。

ただ、その後メキメキと頭角を表したのがマセラティで、そのためチームオーナーのジョン・エドガーはマセラティとコンタクトを取りますが、マセラティからマシンの供給を受けるに際し、キャロル・シェルビーは「いかなる場合でもフェラーリに乗ることはできない」という契約を結ばざるを得なくなったといい、よって1957年にキャロル・シェルビーはこのマシンを降りることになるのですが、その後はフィル・ヒル(スピードラップを記録し、後にフェラーリのファクトリードライバーとなってル・マンに出場)、リッチー・ギンサーら様々なドライバーが運転を担当することになります。

しかしその後マセラティが契約違反を行ったためにキャロル・シェルビーが再びこのフェラーリ410スポーツのステアリングホイールを握ることになり、そこでまた破竹の活躍を見せたというので、このフェラーリ410とキャロル・シェルビーとの相性が非常に良かったのかもしれません(キャロル・シェルビー以外のドライバーはこのクルマで安定した成果を残せていない)。

この後にジョン・エドガーは財政的な理由、そのほか様々な理由にてモータースポーツ活動を引き払い、1960年にこのフェラーリ410スポーツはルイジ・キネッティへと売却され、いくつかのモータースポーツに参戦したものの、レギュレーションの変更によってハードトップを装着せざるを得なくなり、そのためにトップスピードやバランスを失ってしまい、結果として1963年にこのフェラーリ410スポーツはレースから引退することに(ここからはフェラーリ250GTOの時代を迎える)。

ただ、その後ルイジ・キネッティは1980年までこのマシンを所有し、その後ハワード・コーエンなる人物の手に渡ったとされ、1984年にはドン・ウォーカーへ、1987年にはビル・マリオットへ、1988年にはエンゲルベルト・スティーガーへ、2006年にはクリス・コックスの手に。

その間にもこのフェラーリ410スポーツは様々なイベントに登場し輝かしい賞を獲得していますが、2006年にキャロル・シェルビーは久方ぶりにこのフェラーリ410スポーツと再会を果たし、その際に「Mr.Ferrari told me that this is the best Ferrari he ever built」という文字をタンクに書き込んだとされています。

キャロル・シェルビーが「自身が運転した中ではもっとも優れたフェラーリ」だといい、エンツォ・フェラーリもまた「最高のフェラーリ」と称した一台だけあって、そして様々な記録、さらにはその証拠とともに販売されるとあって想像もつかないほどの高値にて落札されることになるかもしれませんね。

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参照:RM Sotherby's

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