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1972年に2,400ドルで購入した「事故車の」フェラーリを修理して大切に保管→競売にかけたら18億ドルに。その価格はなんと7,518倍に【動画】

1970年代に2,400ドルで購入した「事故車の」フェラーリを修理して大切に保管→競売にかけたら18億ドルに。その価格はなんと7,518倍【動画】

| 当時2,400ドルで購入した時、まさかそのフェラーリがここまで価値を上げるとは思わなかっただろう |

フェラーリでは「250」と名が付けば、とにかく価値が高くなるようだ

さて、グッディング&カンパニーが主催したオークションにて、フェラーリ250GT SWB カリフォルニア スパイダーが18,045,000ドル(現在の為替レートにて約24億6100万円)で落札され、「1972年に2,400ドルで購入した事故車のフェラーリが、今回7,518倍の価格で落札された」として話題に。

なお、当時の2,400ドルにインフレ率を乗ずると、これは現代だと17,177ドルに相当するそうですが、それでも18,045,000ドルは「(17,177ドルに対し)1,050倍」という恐ろしい数値となるわけですね。

余談ではありますが、「250GTO」しかり、「250LM」しかり、(1960年代の)フェラーリにおいて「250」という数字がつくものはとにかく特別であり、とんでもなく価値が上がってしまう、という印象です(この場合の250とは、1気筒あたりの排気量を指している)。

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フェラーリ250GT SWB カリフォルニア スパイダーはこんな車

このフェラーリ250GT SWB カリフォルニア スパイダーはその名からしてもわかるとおり、アメリカ市場とくに西海岸を強く意識したクルマ。

当時フェラーリは国際的なモータースポーツにて名声を高め、それによって全世界にて(市販車も)高い人気を誇ることになりますが、とりわけ需要が高かったのがアメリカ市場。

そして北米にてフェラーリのインポーターを務めていたルイジ・キネッティが「250GTベルリネッタのオープンモデルがあったらさらにアメリカでの販売を拡大できそうだ」と考えたのがフェラーリ250GT SWB カリフォルニア開発のきっかけになったと言われます。

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はたしてルイジ・キネッティはエンツォ・フェラーリを説き伏せてこのモデルの発売にまでこぎつけますが、ボディの製作を担当したのはスカリエッティで、106台生産されたうちの9台がアルミボディを持っています。

ちなみにこのサイドギルは、後に「カリフォルニア」が発売される際にも再現されていますね。

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ちょっとややこしいのが、このフェラーリ250GT SWB カリフォルニア スパイダーとは別に、フェラーリ250GT カブリオレ(1957年)というクルマも同時期に存在することで、こちらはフェラーリ250GT クーペ(1954年)のオープン版。

しかしフェラーリ250GT SWB カリフォルニア スパイダー(1957年)はフェラーリ250GT ベルリネッタ(1956年)のオープン版であり、どう違うのかというと、フェラーリ250GT ベルリネッタはモータースポーツ参戦を前提に設計された市販車であり、しかしフェラーリ250GT クーペはロードカーとして設計されたクルマということに。

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要は現代のフェラーリのラインアップでいえば、前者は「スポーツ系」、後者は「ライフスタイル系」ということになりますが、フェラーリにおける「ベルリネッタ」はスポーツモデル、そして「クーペ」はライフスタイル系であり、それと同様に「スパイダー」はスポーツモデル、「カブリオレ」はライフスタイル系という分類になっていると考えていいのかもしれません。※「ハードロック」と「ヘビーメタル」くらい、似て非なるものだと考えていい

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フェラーリ伝統の命名「ベルリネッタ」とは何なのか?初代ベルリネッタは1956年の250GTベルリネッタ、その後のベルリネッタを見てみよう
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それはともかくとして、同時期に「250GT SWB カリフォルニア スパイダー」「250GT カブリオレ」という、傍目にはよく似たオープンカーが2台も販売されていたというのは興味深い事実であり、つまり当時それだけオープンモデルに対する需要が高かったということがわかります(アメリカでは80年代くらいまで、スポーツカーだとクーペとオープンの販売比率がおよそ半々だったと言われている)。

なお、250GT カリフォルニア スパイダーは大きく分けると2種類が存在し、ひとつは1958年から1960年まで生産されたロングホイールベース=LWB、そしてもうひとつは1960年から1962年まで生産されたショートホイールベース=SWB。

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このフェラーリ250GT SWB カリフォルニア スパイダーはこんな経歴を持っている

そしてこの250GT SWB カリフォルニア スパイダーにつき、シャシーナンバーは3099GTの刻印があり、カバー付きヘッドライトを持つ37台のうちの1台だと紹介されています(ディーノでも同じであるが、カバーつきヘッドライトを持つ当時のフェラーリは非常に希少である)。

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さらにはアズーロ・メタリツァート(ペイントコードMM 16240)にてペイントされた唯一のモデルであり、このカラーは1960年から1962年にかけて製造されたピニンファリーナ製250GT系のほんの一部に採用されていた、とのこと。

イタリアのフェラーリ工場にて製造された後、この車はアメリカに運ばれ、1962年4月のニューヨーク国際オートショーに出展されることになりますが、ショーの終了後には西海岸へと輸送され、ハリウッド在住のオーナーの所有物となっています。

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ただし残念なことに、1970年頃に縁石に衝突し、その際にサスペンション、ブレーキ、エキゾーストなど様々な部位とパーツをひどく損傷することなりますが、1972年になるとチャールズ・ベッツとフレッド・ピータースなる人物が2,400ドルでこの車を購入し、すぐに修理を行うことに。

さらにその後も2名はこのクルマを所有し続け、2000年代前半に全面的なレストアを実施することになりますが、その際にはフェラーリのクラシックカー部門「フェラーリ・クラシケ」の認定を受け、以降20年間にわたって数々のコンクールでの受賞歴があり、このオークションにかけられるまで、ずっとチャールズ・ベッツとフレッド・ピータースの両名が所有していたと紹介されています(これが冒頭の話につながってくる)。

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フェラーリ250GT SWB カリフォルニア スパイダーを紹介する動画はこちら

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参照:Gooding & Company

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