| 信じられないが、どうやら本当のようだ |
さて、「スズキ・ジムニーに対するフェイクニュースが、スズキの米国での販売を引き上げさせた」という動画について。
今回はその後編をお届けしたいと思います。
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スズキ・ジムニーの原点は「ホープ自動車」が開発した、日本初の軽四輪駆動車”ホープスターON360”だった!そのルーツに迫る
| ホープ自動車は三菱ではなく、スズキにこの全権利を売却した | さて、米ドーナツメディアが「スズキ・ジムニーがアメリカで販売されないのは、フェイクニュースがジムニーの評判を落としたからだ」という動画 ...
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まず、前編ではスズキ・ジムニーの前進はホープ自動車の開発した「ホープスターON360」であること、ホープ自動車が自動車事業から撤退するに当たって、日本初の軽四輪駆動車であるホープスターON360の権利一切を売却しようと考え、まずは三菱に話をもちかけたものの断られ、そこでスズキへ商談を持ちかけて合意にいたり、改良の末、スズキが1970年に「ジムニー」として発売したというところまで紹介しています。
当初はアメリカでも「ジムニー」の名で販売されていた
そしてスズキはジムニー発売後、アメリカ市場含む世界の各市場へと投入することになりますが、当時のアメリカでの名称は「ジムニー(Jimny)」。
現在ジムニーは海外市場では「サムライ(Samrai)」を名乗っているということが幅広く知られ、しかし当初は「サムライではなかった」ということですね。
なお、ボディタイプについてはハードトップのほかキャンバストップやピックアップも展開されていた模様。
ちなみにこちらは海外版ジムニーのロゴですが、「i」のドットがシェリフバッジのようなデザイン。
これは海外市場を意識したものなのか日本市場向けのジムニーも当時こうだったのかは不明ですが、スズキのサイトにて確認すると、LJ10型には「Jimny」のロゴ自体が車体にはなく(カタログにも英文字表記はなく、”ジムニー”のカタカナしか見られない。しかしオフィシャルフォトのいくつかにはボンネット上に”Jimny”ロゴがある)、LJ20になるとボンネット上に「Jimny」バッジが装着されています。
画像の解像度が粗く断定はできないものの、日本仕様の「Jimny」ロゴの「i」のドットはシェリフバッジ型ではないように見えるので、この画像のバッジは海外仕様ということになりそうですが、LJ20のカタログにはこの星型モチーフがいくつか登場するため、これは当時スズキが好んで用いた図柄だったのかもしれません。
なお、スズキは1985年にアメリカ法人を設立していますが、翌1986年にはジムニーを「サムライ」と改名。
これは「軽量ですばしっこい」イメージを強調したかったからだと言われていて、現地法人設立とともにアメリカ人の社員も増え、アメリカ側の意見が重要視されることになったということを意味しそう。
そしてこの初年度、スズキは14,000台程度の販売を目論んでいたものの、蓋を開けると47,000台ものサムライが販売されることになりますが、さらに1987年にはジープ・ラングラーの倍の台数を売ることに(価格はラングラーの2/3程度)。
その後1988年に発売された改良モデルは乗り心地も良くなってさらに販売を伸ばすことになりますが、そこで起きたのが1988年の「ジムニー横転事故」。
これによるドライバーの怪我は「軽微」だったと言われるものの、運悪くそのドライバーが米コンシューマーズ・ユニオン(非営利の消費者団体)の職員であったことから思わぬ方向へと発展し、同年に発表されたコンシューマーレポートの内容には「ジムニーは容易に転倒し、安全ではない」と書かれてしまうことに。
なお、コンシューマーレポートは米国では大きな力を持ち、これによって製品の売上が大きく左右されると言われますが、この記事によってジムニーは「悪い印象」を持たれてしまったワケですね。
加えて、このコンシューマーレポートが格付けをはじめた10年ではじめて「許容できない」という表現が用いられることになり、「唯一の解決策はジムニーを市場から排除することだ」とも。
加えて、折悪しく円高に動いたことでジムニーの価格は30%上昇し、さらにはほかのSUVも転倒が報じられるなどSUVに対して逆風が吹きはじめ、まさにスズキにとってのパーフェクトストーム=悪夢が生じることに。
ただ、スズキとて反論しなかったわけではなく、コンシューマーレポートのテストは「不正」であるとして、1996年に弁護士を雇い、コンシューマーズレポートを相手取って65億円もの損害賠償を求める訴訟を起こします。
この時点にて、コンシューマーレポートが「ジムニーは危険」だと報じてからずいぶん時間が経っているものの、スズキはようやく「テストは意図的に転倒を生じさせるためのもので、不正である」という証拠を入手したための行動であるようですね(タイヤを15セット使用し、47回も”転倒するまで”テストを行い、転倒させねば許さないと発言する権力者の発言が残っている)。
ただ、いかにそれが不正であったとしてもジムニーの販売下落は止まらず、しかしスズキはロールケージの追加など様々な対策を取るも「焼け石に水」。
結果的に1995年にジムニーはアメリカ市場から撤退することとなっています。
現在、時は流れて2020年となっており、当時のことを知る人も少ないようで、アメリカでは「なぜジムニーはアメリカで販売されないのか」といった声が多いようですが、ジムニーがアメリカから撤退した理由、そしてスズキが4輪車販売をアメリカで諦めざるを得なくなった背景には「一冊の雑誌」があった、というのがコトの真相であるようです。
コンシューマーレポートがここまでしてジムニーを貶めたかった理由は明かされておらず、転倒した関係者の個人的恨みによるものだったのか、それともジムニーに販売を持ってゆかれた米自動車メーカーの差し金だったのかはわかりませんが、なんらかの不純な動機が介在していたのは間違いなさそうですね。
参照:Suzuki, Donuts Media