
| そう考えるならば、中国車が「模倣から世界のトップへ」と上り詰めるのも時間の問題なのかもしれない |
トヨタ最初の乗用車「AA型」が美しきリバースエンジニアリングで築いた歴史
「模倣は最大の賛辞である」という言葉がありますが、一つの巨大ブランドが他社の模倣から始まったというのはよくある例。
実際のところ、今や世界トップの販売台数を誇るトヨタ自動車も例外ではなく、90年前の1936年、トヨタが初めて送り出した乗用車「トヨダAA型」は当時のアメリカ車であるクライスラーやシボレーのパーツや設計を徹底的にリバースエンジニアリング(分解・解析)して作られたものであったことが知られています。
ただし「模倣」に終わらなかったのがトヨタのトヨタたるゆえんであり、欧米の先行技術を貪欲に吸収し、独自の改善を重ねることで世界最高峰の自動車メーカーへと昇りつめたトヨタの原点、そしてその足跡を振り返ってみましょう。
この記事の要約
- 1936年に登場したトヨタ初の乗用車「トヨダAA型」は、クライスラーのボディとシボレーのエンジンを参考に開発された
- アメリカビッグ3の技術を徹底的にリバースエンジニアリングすることで、未成熟だった日本の自動車産業の礎を築いた
- 第二次世界大戦後のランドクルーザー開発などを経て信頼性を確立し、現在ではかつての模倣元を超える世界販売台数トップに君臨している
トヨダAA型の概要
1930年代当時の日本は舗装道路も少なく、長距離輸送の主役は鉄道であり、自動車文化は未成熟な時代です。
そこでトヨタの創業者たちは国産自動車産業を立ち上げるべく、欧米の優れた先進車両から多くを学ぶこととなり、そして1936年に誕生したのが「トヨダAA型」。
このトヨダAAA型は3.4リットル直列6気筒エンジンを搭載したフルサイズセダンであり、当時輸入されていたアメリカ車に対して約400円安い「3,350円」という戦略的な価格設定で売り出され、1943年までに1,404台が生産されることになるのですが、当時の日本市場においては、国産乗用車メーカーとしての第一歩を記す歴史的なモデルとしても知られています。
特徴・スペック・デザイン
トヨダAA型は、当時のアメリカ「ビッグ3」の長所を巧みに融合させて設計されたクルマでもあり、流線型の外観ボディは1934年式の「クライスラー・デソート・エアフロー」から強い影響を受け、ラダーフレーム構造や1枚ガラスのフロントウィンドウ、後方開きのリアドアなどを採用しています。
心臓部である「A型エンジン」は1929年にシボレーが導入した伝説的な直列6気筒エンジン(通称ストーブボルト)の1933年仕様(3.4L)を直接コピーしたもので、製造の容易さとコストを考慮して直列6気筒が選ばれており、出力もオリジナルに近い数値を実現することに。

ただ、トヨタの名誉のために補足するならば、当時のクルマはどれも非常によく似た形状を持っていて、1937年のリンカーン・ゼファーはこういった感じ。

1938年のGM オールズモビル Fシリーズはこういったデザインを持っていて、よって「すべての自動車が同じような方向性を向いていた」時代であったのかもしれません。

1936年式 トヨダAA型 主要スペック
| 項目 | スペック・仕様 |
| エンジン | 3.4L 直列6気筒 自然吸気(A型) |
| 最高出力 | 約62 hp |
| トランスミッション | 3速マニュアル |
| 駆動方式 | FR(フロントエンジン・後輪駆動) |
| ボディタイプ | セダン(オープン仕様の「AB型」も存在) |
| デザインのルーツ | クイスラー・エアフロー(ボディ) / シボレー(エンジン) |
「トヨダ」から「トヨタ」へ
そこでちょっと気になるのがこの「トヨダ」というネーミング。
この「濁点あり」の「トヨダ」につき、豊田自動車創業者である豊田佐吉の苗字の読みである「とよだ」に由来していて、1935年までは「TOYODA」という表記が用いられています。

しかし1936年のトヨダAA型発売後、豊田自動車は「新しいロゴ」を用いるべく、同年7月に懸賞募集を行うことになり、そこで同年9月に採用されたのがこの「トヨタ」。

懸賞募集を行ったのは「トヨダ車の存在を広く認知させること」「販売促進」というプロモーション的側面からであったそうですが、ここで衆目すべきは「トヨダ」から「トヨタ」になったということで、その理由は「トヨタのほうが発音がきれいだから」「画数が”8”なので縁起がいい」、そして「これからの豊田自動車は創業者一族のものではなく、広く社会全体において発展すべきだから(よって創業者の名字とは異なる読みを採用)」。
参考までに、現在の楕円エンブレムと英文字の「TOYOTA」については、創立50周年となる1989年10月に制定され、以降現在にいたるまで使用され続けています。

もうひとつ参考までに、この「3つの楕円」につき、「クルマのユーザー(顧客の心)」「クルマのメーカー(トヨタの心)」、そして一番外側の大きな楕円が「2つの心をひとつにする」より大きな世界を表してますが、こうやって見ると、「より多くのユーザーのライフスタイルに添えるよう」多種多様なモデルを展開し、かつ多様なパワートレインを用意して顧客の住む地域や利用環境、使用する目的にマッチしたクルマを提供するというトヨタの戦略を端的にあらわしているかのようで、1989年に定められたエンブレム、そしてコンセプトは「伊達」ではなかったということですね。

-
-
【EV一辺倒の誤算】トヨタとBMWが自動車業界全体を“出し抜いた”理由:マルチパス戦略が示した現実的な未来
| EVシフトに警鐘を鳴らした2社:トヨタとBMW | 将来に対する「柔軟性」が明暗を開ける 2020年代初頭、自動車業界はこぞって“電動化の大号令”を掲げることとなり、内燃機関の終焉を宣言するととも ...
続きを見る
ランドクルーザーの誕生が「トヨタを変える」
AA型の誕生から16年後、トヨタは再びアメリカ車からの学びを活かして新たなアイコンを生み出すこととなり、それが「ランドクルーザー」。
太平洋戦争中に捕獲されたジープ(Willys MB、下の画像)の解析経験を糧として開発され、つまりはトヨダAA型同様に「リバースエンジニアリング」によって誕生しています。
そして圧倒的な耐久性を武器にアメリカ市場へと進出したのち、1970年頃には年間8,000台以上を売り上げるヒット作となってトヨタの信頼性を世界に知らしめるきっかけとなった存在としても知られます。

-
-
ランドクルーザーの起源は「米ジープ」。大戦中に米軍から鹵獲(ろかく)したジープをトヨタが分解・研究したことから現代の最強オフローダーが誕生する
| ランドクルーザーが本家を超えた70年の軌跡 | この記事のポイント ランクルは、大戦中に米軍から鹵獲(ろかく)したジープをトヨタが分解・研究したことから始まった 当初は「トヨタ・ジープBJ」と名乗 ...
続きを見る
なお、「ランドクルーザー(Landcruiser)」はそのまま「大陸巡洋艦」という意味となりますが、これは当時四輪駆動車として圧倒的な地位を構築していたランドローバー(大陸の放浪者、あるいは大陸の盗賊)を”駆逐”するという目的をもって名付けられたとされていますね(実際のところ、その目的は”果たされた”と言っていい)。

さらに時代が下り1980年代になると、米国の自動車メーカーとトヨタとの立場は完全に逆転し、オイルショックを経て小型車で台頭したトヨタに対抗する形でGM(ゼネラルモーターズ)はカローラをベースにした「シボレー・ノバ」や「シボレー・プリズム」を展開するなど、完全に「攻守が交代」してしまいます。
つまるところ、アメリカ車メーカーがトヨタのOEM供給やノウハウを求める時代へと移り変わってゆくことになるのですが、これは「ハイブリッド」も同様で、米国の殆どのメーカーがハイブリッドに対し「完全電気自動車に至るまでの過渡的技術」「一つの車両に内燃機関とエレクトリックモーターという”2つ”が存在するのはムダである」として興味を示さず、しかしその後多くの消費者がハイブリッドを受け入れ、そして直近では「電動化に対する現実解」としての再評価が高まることで多くの(世界中の)自動車メーカーが「ハイブリッド重視戦略」へとシフトしている現状からもトヨタの先見性がわかります。
-
-
ホンダが鳴り物入りで米国デビューを果たしたEV「プロローグ」の生産を3年足らずで完全終了。一時的にEV撤退、ハイブリッドへ巨額投資そして復活を狙う
Image:Honda | アメリカEV市場の現実。ホンダが下した「プロローグ廃止」という苦渋の決断 | 残念ながら「プロローグ」は序章とはなりえなかったようだ かつて「電動化へのマイルストーン」とし ...
続きを見る

-
-
【訃報】トヨタを「ハイブリッド王者」へ導いた元社長・奥田碩氏が死去。後に世界を制した「プリウスの賭け」と知られざる偉業
Life in the FAST LANE. | 初代プリウス投入と世界進出を後押しした巨星墜つ | 「変わること」を常に目指したアグレッシブな人物であった トヨタ自動車を「世界シェアトップ」のグロー ...
続きを見る
補足情報
現在、アメリカ国内の年間販売ランキングを見ると、上位にはトヨタの「RAV4」「カムリ」「タコマ」といった車種が常連として名を連ね、特にRAV4はグローバルで年間100万台以上を売り上げる世界ベストセラーカーへと成長しています。
かつて模倣の対象だったクライスラー(現ステランティス)やGMがセダン市場から撤退したり車種整理を進める中、トヨタはフルサイズピックアップからコンパクトカー、SUVまであらゆるカテゴリーで高いシェアを維持しており、単なる模倣にとどまらず、現場でのカイゼン(改善)や徹底した品質管理を組み合わせたことで、「模倣者」から「世界のベンチマーク」へと変貌を遂げた点にトヨタの真の凄みがあるというのが「歴史が証明した事実」です。
-
-
カレラGT誕生の裏側:ポルシェを救った「カイゼン」とトヨタ生産方式の衝撃、トヨタの助けがなければボクスターもカレラGTは誕生し得なかった?
Image:Porsche | 1990年代、ポルシェは「危機的状況」にあった | 転落の1993年:ポルシェを襲った「製造業の病」 現在、ポルシェはカイエン、マカンといったモデルによって自動車業界内 ...
続きを見る
結論
90年前、アメリカ車のデザインとエンジンを分解・研究することから始まったトヨダAA型。
優れたものを素直に学び、自らの技術として昇華させていくアプローチは、数々の実例を見るにつけ、現在のトヨタが誇る圧倒的な品質と世界No.1の地位を築く原動力となったことがわかるかと思います。

-
-
マツダが最新の信頼性調査で「ランキング急落」。トヨタ・スバルが首位を独占する一方、マツダが8ランクもダウンした意外な要因とは
| マツダはPHEVモデルでトラブル多発、信頼性評価を大きく下げる | 「電動化」「デジタル」は既存自動車メーカーにとっての鬼門である 米消費者団体、コンシューマー・レポート(CR)が「約38万台の調 ...
続きを見る
そしていまなおその姿勢は継続され、少し前にはトヨタがテスラ車を購入し、それを分解してそのエンジニアリングを解析したこともよく知られる事実です。
-
-
トヨタ幹部がテスラ車を分解→「なんてことだ。これはまさに芸術品。信じられない」。テスラが持つ4つのアドバンテージを正しく認識し効果を算出
| かつてトヨタとテスラが提携し、トヨタが「得るものは何もない」として提携を打ち切ったのがウソのようだ | テスラのクルマは外観が変わらずとも、その内容は大きく進歩している さて、トヨタのエンジニアが ...
続きを見る
そして直近では、その技術を活かした、新しい時代の車両がまさに生産されよいうとしているという段階であるとも報じられ、時代を超えて受け継がれるものづくりの情熱は今も世界中の道路を走り続け、そして未来に向けても走り出している、というわけですね。
-
-
レクサスの次世代EVは中国製、そしてテスラに倣い「ギガキャスティング」技術を先駆けて採用か。2027年秋に本格投入、中国でのシェア奪還の「切り札」に
Life in the FAST LANE. | トヨタはテスラのクルマを分解し研究してきたことでも知られるが | 先端技術を「まず中国から」導入するあたり、レクサスの危機感がうかがえる 電気自動車( ...
続きを見る
合わせて読みたい、トヨタ関連投稿
-
-
トヨタは「いかなる不況でもクビを切らない」。70年前にたった一度だけ行ったリストラがトヨタを変えた
| 豊田一族は素晴らしい教育を受けて育ってきたようだ | さて、トヨタ自動車について、たびたび話題となるのが「人を切らない」ということ。たとえばカルロス・ゴーン氏が日産自動車を立て直すために行った主な ...
続きを見る
-
-
トヨタの知られざる事実5つ。「トヨタのエンブレムに込められた意味」「最も高額で取引されたトヨタ車は3億円以上」「WRCで歴史に残る不正を行った」etc.
| トヨタはその歴史上、多くの功績を残してきたが、その背景には様々な挑戦そして挫折があった | そしてこれほど多くの話題を振りまいてきた自動車メーカーも他にない その「マルチパワートレーン」戦略の正し ...
続きを見る
-
-
なぜ90年代のトヨタ車には「金色のエンブレム」が存在したのか?:バブル期特有の”成金”仕様か、それとも時代の流行か。なお現代でもっとも多く「ゴールドエンブレム」を揃えるのはホンダ
| 90年代のトヨタ車に見られた「金色のエンブレム」の流行 | もしかすると「リバイバル」の可能性も 流行は移り変わるものであり、自動車の世界でも古いファッションがそのクルマを時代遅れに見せてしまうこ ...
続きを見る
参照:CARBUZZ, TOYOTA











