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| 1990年代、ポルシェは「危機的状況」にあった |
転落の1993年:ポルシェを襲った「製造業の病」
現在、ポルシェはカイエン、マカンといったモデルによって自動車業界内では群を抜いて高い利益率を誇り、その高い収益は(少し前の)918スパイダーのような狂気の沙汰とも言えるエンスージアストモデルの開発を可能にしています。
そして高性能な限定モデルで培われた技術は、やがてレギュラーモデルへとフィードバックされ、ポルシェを常にセンセーショナルな存在たらしめているわけですが、「SUVでお金を稼ぐ→ハローモデルを開発→その技術をスポーツカーラインアップへと反映させる」というサイクルが構築されており、これはすでにランボルギーニほかいくつかのスポーツカーメーカーにおいても証明がなされている方程式です。
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ポルシェは「自然発生的」に高利益体質となったわけではない
しかし、ポルシェの歴史は常に順風満帆だったわけではありません。
1993年、ポルシェは深刻な危機に陥っており、当時の会計年度の販売台数は14,000台未満に落ち込み、1億6,200万ドル(当時のレートで約170億円超)の損失を計上することに。
工場の生産ラインは空いているにもかかわらず、在庫水準は高く、効率の悪い生産体制が常態化していた、と言われます。
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ポルシェは1986年、こうやって911や928を作っていた。この生産効率の悪さ故にポルシェは経営危機に陥り、後にトヨタ出身者を招いて「カイゼン」を行うことに【動画】
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当時のウェンデリン・ヴィーデキングCEO(ベアリング業界から引き抜かれた生産管理のプロフェッショナル。その後VWの買収に失敗しポルシェを終われ、その後にピザのチェーン店を創業したと言われる)は、工場内の状況を「作業員は自動車の生産に使用する部品を探すために、就労時間の半分を棚の登り降りに費やしていた」と述べており、それは製造プロセスにおける混沌、そして非効率さを端的に示しています。
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なお、ポルシェがこういった問題を抱えるに至ったのは、「もともと小規模な生産体制であったものの、人気化によって生産キャパシティ以上の受注が舞い込み、(小規模な工場ゆえ)オートメーション化に対応していなかったがために生産が追いつかず、かつ生産体制が非効率であったのでコストばかりが肥大化し、販売価格の高騰を招いて売れなくなった」からだと分析されているようですね。
トヨタの知恵:「カイゼン」と新義塾グループの介入
注目すべきは、このポルシェが抱えていた問題は、日本のトヨタ自動車がすでに数十年の歳月をかけて解決してきた課題と完全に一致していたこと。
ポルシェが助けを求めたのは、トヨタ生産方式(TPS=Toyota Production System)の生みの親である大野耐一氏の下でTPSの確立に貢献した、岩田良樹氏が率いる株式会社 新技術研究所で、岩田氏はトヨタの工場長を辞した後、「カイゼンシステムを世界中に広める」ためにこの会社を立ち上げており、このTPSの核となるのは以下の二つの柱です。
- カイゼン(Kaizen): 組織全体にわたる継続的な改善の思想。小さな変更を積み重ね、効率、品質向上、ムダの削減を全体的なアプローチで促進する
- 自働化(Jidoka): 「人の手による自動化」を意味し、異常が発生した際に機械が自ら停止し、不良品を作らないようにする品質管理の仕組み
参考までに、大野耐一氏はトヨタ自動車在籍時に「トヨタ自主研グループ」を結成し、このグループがトヨタ生産方式を発展的に体系化。
トヨタ自動車を退職した後にはNPS研究会(ニュー・プロダクション・システム研究会)の初代最高顧問に就任し、岩田氏とは別のルートにて、TPSの思想を他企業へ広める活動に貢献しています。
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ドイツの職人魂との衝突、そして変革
話をもとに戻すと、新技術研究所メンバー、つまり元トヨタ社員たちは意気揚々とドイツの工場に乗り込むものの、その改革は容易ではなかったといい、1996年のニューヨーク・タイムズの記事によれば、「日本人エンジニア、そのほとんどが元トヨタのOBは、指を振り、説明を求め、叱り、説教し、ドイツ最高の自動車職人の一部に、仕事のやり方を教えている状態だった」とのこと。
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さらには上述の「棚を昇り降りばかりしている様子」を見て、ポルシェの重役に対し「御社ではサルを飼っているのですか」と言い放ったと記す別の文献もあるので、元トヨタ社員たちは「ものづくりに絶対の自信とプライドを持つ」ポルシェそして工員たちを真っ向から否定してしまったわけですね(さらに、一部ドイツ人は日本人を劣等民族と見なす傾向があったとされるので、さぞや屈辱的であったろう)。
実際のところ、当時、ポルシェ911は世界最高峰のスポーツカーと目されており、ドイツの自動車技術者のプライドは非常に高く、彼らが誇りとしていたのは、部品を完璧にフィットさせるために「ヤスリがけや調整を行う職人技」。
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しかし、この「職人技」こそが、非効率の源泉だとトヨタOBに指摘され、そのプライドが真っ向から打ち砕かれたということになります。
「ドイツが有名になった伝統的な職人技とは、部品を完璧にフィットさせるためにヤスリをかけたり調整したりすることだった。しかし、それは時間の浪費だった。部品は最初から正しく作られるべきなのだ」
(カーディフ・ビジネススクール教授、ダニエル・T・ジョーンズ氏、1996年)
かくして新技術研究所は、この「部品を合わせる職人技」を「最初から正しく、簡単に組み立てられるように工夫する職人技」へと定義そのものを変革させ、この痛みを伴う変革の結果、工場は清掃され、騒音は減り、作業員が部品を探し回る時間はなくなることに。
さらに在庫水準は28日からわずか7日にまで削減され、ラインの作業員からは月に約2,500件もの改善提案が提出されるようになったと報じられています。
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改革の成果:ボクスターとカイエンの成功への布石
この生産システムの抜本的な改革こそが、後のポルシェの成功の連鎖への「最初のステップ」となり、ヴィーデキングCEOは、生産現場の効率化によって911の利益率を回復させ、次の段階へと進むための資金と体制を手に入れることに成功します。
1. 新スポーツカー「ボクスター」の成功
効率化で生まれた余剰リソースは”新しいスポーツカーの開発”に向けられ、当時プレミアムロードスターセグメントは激戦区であったものの、ポルシェは911と同じ品質と歓びを提供しつつ、より手頃な価格のミッドシップオープンカー「ボクスター」を市場投入。
そしてこのボクスターの成功により、ポルシェは一時的な経営危機から脱出し、「一息つく時間」を得ることとなるわけですね。
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2. 戦略的傑作「カイエン」の誕生
ボクスターの成功による安定を得た後、ポルシェはさらなる成長のために「市場の限界」を見据えることとなり、ここで当時の911オーナーのほとんどが日常の足として別のファミリーカーを所有していることに着目します。
「スポーツカーには市場の限界があった。長期的にはポルシェは再び下り坂になっていただろう」
コミュニケーション責任者(当時) アントン・フンガー
そこでポルシェが目をつけたのが、当時は異端と見なされた高性能SUV。
もともとはメルセデス・ベンツ「Mクラス」をベースにするという案から一点、フォルクスワーゲン(VW)との共同開発プロジェクト「コロラド」の下で誕生したカイエンは、エンスージアストからの反発を受けつつも、蓋を開けてみれば大成功を収めます(ボクスターも当時大きな批判を浴びたが、いまではだれもボクスターやカイエンを否定するものはいないだろう)。
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ポルシェは当初、(カイエンにつき)年間25,000台の販売を見込んでいたものの、その後の8年間で平均34,581台を販売し、莫大な利益をもたらす救世主となりますが、このカイエンはポルシェに新たな市場と巨額の開発資本をもたらし、その後のタイカンやパナメーラといったラインナップ拡充、そして独立企業の維持を可能とすることに成功します。
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ポルシェの現在の成功は、製品計画の天才性だけでなく、1990年代初頭に「自国の文化やプライドを乗り越え、他国の優れた生産哲学を受け入れる」という、CEOと現場の強い変革への意志が根底にあったからこそ実現したと考えてよく、その後の回復、そして成長の連鎖への「最初のステップ」は、間違いなくトヨタの「カイゼン」の教えであったということに。
そしてこの「トヨタ(OB)の教え」がなければ、後のカレラGT、そして918スパイダーも存在しなかったのかもしれませんね。
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関連情報:トヨタ生産方式(TPS)の基本用語解説
記事の背景にあるTPSへの理解を深めるため、核となる概念を解説します。
| 用語 | 意味とポルシェへの応用 |
| カイゼン | 継続的改善。ポルシェでは、作業員からの提案制度として定着し、生産性向上に直結。 |
| 自働化 | 異常が発生すれば機械が自ら停止。品質を工程内で作り込む(作り込まざるを得ない)仕組み。 |
| ジャストインタイム | 必要なものを、必要な時に、必要な量だけ作る。ポルシェの在庫28日→7日への削減に貢献。 |
| ムダ | 価値を生まない全ての行為(運搬、在庫、手待ち、手直しなど)。ポルシェの「部品を探す時間」がこれに該当。 |
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参照:CARBUZZ, Porsche





















