エスパーダ、ウラッコは今見ても新鮮なデザインを持っている
コンコルソ・デレガンツァ2019京都にて展示されていたランボルギーニたち、今回は「エスパーダ」と「ウラッコ」。
それぞれ1960-1970年代に発売されたクルマですが、この時代はランボルギーニがまだ創業者であるフェルッチョ・ランボルギーニが経営権を握っていた時代に発売されたもので、いずれも「ランボルギーニらしい」クルマだとぼくは考えています。
ランボルギーニ・エスパーダ(1968-1978)
こちらはランボルギーニ・エスパーダ(ESPADA)。
その車名はスペイン語で「剣」という意味を持っています。
4人乗りという珍しいレイアウトですが、これが後の「エストーケ・コンセプト」に受け継がれることになり、そして「エストーケ」もやはり(闘牛用の)剣という意味を持っていることを考えると、ランボルギーニにとって(エスパーダは)重要モデルという位置づけなのでしょうね。
エスパーダの全長は4730ミリ、全幅は1890ミリとけっこう大きく、しかし車高は1185ミリとかなり低いクルマでもあります(ウラカンの+2センチしかなく、マクラーレン720Sより1センチ低い)。
剣を用いたロゴも一つの特徴。
リアをぐるりと囲むクロームのパーツなど、かなりデザイン性の高いクルマという印象も。
実際にランボルギーニにとっては相当なヒット(1,217台)となっているので、当時から評価が高かったのだと思われます。
そしてフロントにもリアとシンクロするデザインを持つクロームパーツ。
エスパーダのデザイン的特徴はこの「サイドモール」ですが、このモールにあわせて「フロントサイドのダクト」「ドアハンドル」が組み込まれていることがわかります。
デザインや設計技術は現代のほうが高いのかもしれませんが、デザインに対する情熱は昔のほうが高かったのではないか、とも思わせる部分ですね。
なお、デザインはカウンタックでもおなじみのマルチェロ・ガンディーニ。
そしてリアにはトヨタ・プリウスや、ホンダCR-Xでお馴染みの「バーチカルウインドウ」。
車内には「エスパーダ」「イスレロ」50週年記念バッグ。
エンジンは4リッターV12、出力は350馬力。
日本で当時登録されたことであろうことがわかる(最近になって日本に輸入されたのではない)「排出ガス対策済み」ステッカー。
なお、ランボルギーニ・エスパーダは昨年「50周年」を迎え、ランボルギーニが自らレストアした車両を公開したり、ツアーを敢行したばかりです。
加えて、その「元祖」とも言えるマルツァルとランデブーした様子も報道されていますね。※かなり未来に行ってしまったマルツァルのデザインを、もっと通常にしたのがエスパーダだとも言える
ランボルギーニ・ウラッコ(1973-1979)
ウラッコはポルシェ911に対抗し、主に北米市場を狙ってランボルギーニが投入したミドシップスポーツ。
エンジンはV8(2/2.5/3リッター)、全長4249ミリ、全幅1750ミリとかなりコンパクト。
ウラッコにはP300、P250、P250S、P200、P11とがあり、展示されていた個体は「P200」(1976)となります。
コードネームが「LP」ではなく「P」なのはミウラと同じで”エンジン横置き”なためですね(LPはLongitudinale Posteriore、つまり後方縦置きを意味する。ミウラ/ウラッコは後方エンジンマウントながらも縦置きではないので”P”という表示)。
世代としては「カウンタック前」で、イスレロに次いでパカっと開く形式のリトラクタブルヘッドライトを採用しています。
そして「近代化」されたデザインを持つことも特徴で、別体式のバンパーなど(これは北米の規制も関係していた可能性がある)、現代のクルマにも通じる構造を持つことも特徴のひとつ。※車体もスペースフレームではなくセミモノコック採用など現代的
なおエンジンは「横置き」で、そのためコンパクトなボディサイズ、ミドシップレイアウトにもかかわらず「2+2レイアウト」を採用するに至り、パッケージングとしては非常に優秀だと考えています。
ただ、販売自体はそのコストが高かったためにうまく行かなかったとされていて、その生産台数は607台にとどまるのみであったという記録が残っていますね。
他の画像はFacebookのアルバム「Concorso d'Eleganza Lamborghini Miura/ Espada / Islero」「Concorso d'Eleganza Lamborghini Miura / Isiero / Countach」「Concorso d'Eleganza Lamborghini Uracco / Jalpa / Countach /LM002」に保存しています。