| 新世代のスーパーカーとして華々しくデビューしたが |
RMサザビーズ開催のオークションにて、事前の予想では1100万円を超えるであろうと思われたデ・トマソ(De Tomaso)・ヌオヴァ・パンテーラのプロトタイプが予想に遥かに及ばず、250万円でしか落札されなかった模様。
これは1999年にデ・トマソの創立者、アレハンドロ・デ・トマソCEOがブランド40周年を祝い公開したもので、「新世紀のスーパーカー」として華々しくデビューしたものの残念ながら生産に至らなかった悲運の車。
デザインはあのマルチェロ・ガンディーニ
なお、このコンセプトカーについて、デザインはランボルギーニ・カウンタックやミウラのデザイナーとして有名なマルチェロ・ガンディーニ。
生産されたのはわずか2台のプロトタイプのみとされており、非常に貴重な車ということになりますが、「デ・トマソ」の知名度は世界的に見ても「こんなものだった」という結果を示すことに。
デ・トマソについては色々な解釈がなされていますが、欧州では「悪評」の方が高く、それは「技術者でも実業家でもなかった」ということ、そしてレーサーとしての腕もイマイチだったこと(一部では腕が立ったと言われているものの、実際には素人の域を出なかった模様)、単に裕福な名家の女性を結婚できたために資金的なバックアップ、コネクションを得て自動車メーカーたり得たこと、口先だけで実績が伴わなかったこと、がよく知られるところ。
ランボルギーニの創設者、フェルッチョ・ランボルギーニも大風呂敷で知られたそうですが(最初にモーターショーに車を展示した時はエンジンが間に合わず、カラのままで展示し、しかし受注を取ったと言われる)、二者の間には大きな違いがあり、「両方とも大きな話はするものの、誰もがフェルッチョの話を真剣に聞き、その話や人物を信用したのに対し、誰もアレハンドロ・デ・トマソの話は信じなかった」と言われれていますね。
デ・トマソというと「パンテーラ」が有名ですが、これはフォードとの共同プロジェクトで、しかし実際の品質に問題があり、それが原因でフォードはこのプロジェクトから手を引く羽目に。
その後1975年にはマセラティを買収しますが、マセラティがデ・トマソ傘下にあった時期は「暗黒時代」とも言われ、マセラティのホームページでは、「(オルシ家によって運営されていた)オルシ時代」については触れられているものの、「デ・トマソ時代」の記載は一切ナシ。
商標の関係もあるかもしれませんが、仮にもマセラティを所有していた人物及び会社の記載がない、というのはよほどのことかもしれません。
関連投稿
マセラティ「2019年以降発売する車はエレクトリック化」。そもそもマセラティってどんな会社?