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東洋経済が明かすランボルギーニの真実「フェルッチオはフェラーリに抗議に行かなかった」

2016/12/02

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東洋経済オンラインにて「ランボルギーニはなぜここまで急成長したか」という記事が掲載に。

過去12年で販売台数が15台になった、ということを軸にランボルギーニの現在までの紆余曲折を綴っています。

この記事によるとランボルギーニ設立の原因となった「フェラーリとの確執」は実際はフェイクで、フェルッチオ・ランボルギーニはエンツォ・フェラーリとは会ったこともなく、新しい自身の会社に注目を向けさせるために流した「デマ」だった、とパオロ・スタンツァーニが語った、とのこと。
たしかにフェルッチオ・ランボルギーニはビジネスマンとして有能であり、フェラーリの知名度を利用して自身の会社の名前を売ったいうのも「あり得る」話です。

なお、これには諸説あって、フェルッチオの実子であるトニーノ・ランボルギーニはフェラーリとの確執と会社設立の経緯※を事実としていますね。
※フェラーリを購入したところクラッチが壊れ、自分で修理してみたらトラクターと同じ品番のパーツが使われており、しかしフェラーリの価格の高さに怒りをぶちまけにフェラーリに行ったところエンツォに軽くあしらわれたという説、フェルッチオは自身で設計も行う技術者だったので改良案をしたためて送ったらエンツォに拒否された説。これらが主に語られており、よってランボルギーニは「世界で最も会社設立の経緯が有名な自動車メーカー」とも言われる。

ちなみにフェルッチオ・ランボルギーニの最後の妻によると「エンツォに会いに行ったことは行ったが、エンツォは非常に丁寧に接してくれ、塩対応に怒って帰ってきたというのは嘘」とも語っています。

今となってはすでにフェルッチオ・ランボルギーニ、エンツォ・フェラーリ共に亡くなっており事実を確かめる術はありませんが、ぼくとしては「エンツォに軽く扱われ怒って帰ってきた説」を信じたいと思います。

なおけして明らかにならないであろう謎としては「フェラーリのエンブレム」があり、これも諸説あって事実は不明。



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