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ランボルギーニ・カウンタックは今年で50周年!過去を振り返る4本の動画を公開すると発表し、1本目はデザイナーのマルチェロ・ガンディーニ

2021/07/14

ランボルギーニ・カウンタックは今年で50周年!過去を振り返る4本の動画を公開すると発表し、1本目はデザイナーのマルチェロ・ガンディーニ

| 「キング・オブ・スーパーカー」の歴史は1971年、3月11日にはじまった |

カウンタックの歴史に携わった者として、オラチオ・パガーニの名も登場

さて、ランボルギーニ・カウンタックは今年で「50周年」を迎えることになり、ランボルギーニはそれを記念し、今後4本の動画を公開する、と予告。

毎週月曜日にその動画が公開されるのことですが、今回はまずカウンタックをデザインしたマルチェロ・ガンディーニがその「デザイン」について語っています。

 

1970年代はなんでもアリな時代だった

カウンタックが誕生したのは1970年代となりますが、この時期は規制や法律による制限がほとんどなく、デザインが非常に重視された時代だったとコメント。

ポルシェも「1970年代」については「なんでもアリだった」とコメントしたことがあり、「宇宙開発競争や近代的なコンピュータの構築によるハイテクの到来、鮮やかな色が爆発的に増えた幾何学模様のファッショントレンド、個人主義やジェット時代の到来」といった大きな社会構造の転換によって、なんでもできるという雰囲気が世界中にあったといいます。

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カウンタックの歴史はLP500から

そしてカウンタックの歴史は1971年のLP500からスタート。

ミウラに置き換わるアイコンとしてカウンタックは企画され、そのためにあらゆる意味で革新性を目指したとされています。

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なお、カウンタックが「シザースドア」を採用したのはデザイン的な理由ではなく、「シャシーのサイド部分の高さに起因する技術的要件を満たし、車に乗り込みやすくするため数センチの幅を確保するため」で、つまりは実用的な理由だったようですね。

当時はこの構造が現代のV12モデルに至るまで採用され、そしておそらく未来にわたり採用されることになるとは夢にも思わなかったのかもしれません。

「カウンタック」という名はピエモンテ地方の方言で「驚いた」という感嘆を表す言葉だそうですが、その命名秘話についても、関係者の口から最近になって明かされています。

ランボルギーニ・カウンタックは今年で50歳!1971年3月11日、午前10時に公開されたようだ
ランボルギーニ・カウンタックは今年で50歳!1971年3月11日、午前10時に公開されたようだ。なお、ついに公式にて「カウンタック」の名の由来が語られる

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カウンタックLP400の誕生

なお、カウンタックLP500はコンセプトカーにとどまっており、実際に発売されたのは1973年の「LP400」。

エンジン冷却のために様々な改良を受け、信頼性を高めるためにV12エンジンは5リッターから4リッターに変更され、車体構造はチューブ式のトレリスフレームへ。

1977年までに152台が生産されています。

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カウンタックLP400S

そしてカウンタックは進化を続け、1978年にはLP400Sへ。

新開発のピレリ製P7タイヤを装着し、フロントに205/50 VR 15、リアに345/35 VRという新設計のマグネシウム製ホイールを採用しています。

大径タイヤを収めるためにホイールアーチを延長したほか、超低重心のフロントスポイラーを装備し、オプションでリアウイングも用意されることになりますが、そのスタイルはずいぶんアグレッシブに変化することに。

1982年までに235台が製造されています。

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カウンタックLP5000S

1979年に入社したエンジニアのジュリオ・アルフィエリが最初に手がけたのが1982年発表のカウンタックLP5000S。

外観はほぼLP400Sと同じ、そしてインテリアも「若干変わった」程度となるものの、エンジンは5リッターに排気量がアップされ、出力は375ps/7000rpm、41.8kgm/4500rpmへ。

この世代から正式にアメリカへと輸出が開始され、1985年までに323台が生産されています。

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カウンタックLP5000 クワトロバルボーレ

こちらもLP5000Sとは大きな外観上の変更はなく、フロントトラックが4.4ミリ拡大され、新型キャブレターを収めるためにエンジンフード形状が変更された程度。

ただし例によってエンジンには改良が施され、排気量は5.2リッター、出力は米国向けのインジェクター使用では455馬力へ。

発売は1985年ですが、1986年にはアメリカ市場向けとして、はじめて正式な形式認定を受けることになったとされています。

1988年になるとサイドスカートが装着され、前後バンパー形状も「近代的な」デザインへと変更されていますが、エンジンフードに初めて複合素材を使用しており、ここからランボルギーニの「カーボンファイバー」に関する歴史がスタートしたということになりますね。

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なお、1988年までに631台が販売されたという記録が残り、さらには「1987年から1990年までの4年間で」それまでのカウンタックの歴史のうち半数を販売することに。

それだけ「アメリカ市場でヒットした(アメリカ市場の規模の大きさによる恩恵を受けた)」ということもわかります。

カウンタック25thアニバーサリー

カウンタック最後のモデルが1988年登場の「25thアニバーサリー」。

1985年に技術部門のトップに就任したルイジ・マルミローリの手によるモデルで、外観が大きく変わり、メカニズムにも改良の手が入ります。

なお、ボディデザインはのちのパガーニ創業者、オラチオ・パガーニが手がけており、これまでのカウンタックに比較して丸みを帯びたスタイルに変更されることに(ランボルギーニが公式にオラチオ・パガーニの名を開発者の一人として語ったのは、今回が初めてではないかと思う)。

1990年までに658台が生産され、カウンタックシリーズはトータル1,999台という販売台数にて歴史の幕を閉じています。

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