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レッドブルのチーム運営方法はエンツォ・フェラーリ時代のフェラーリF1チームと同じ?「ドライバーへのプレッシャー、そして精神の支配」によって帝国を築く

2023/07/16

レッドブルのチーム運営方法はエンツォ・フェラーリ時代のフェラーリF1チームと同じ?「ドライバーへのプレッシャー、そして精神の支配」によって帝国を築く

Image:Redbull(X)

| モータースポーツのトップカテゴリの頂点に立とうとすると、その(あまりに大きすぎる)代償は覚悟しなければならない |

もちろん、ドライバーもそれを承知だと思われるが

さて、快進撃という言葉でも言い表せないほどの連戦連勝記録を伸ばすレッドブルですが、今回Jalopnikにて興味深い解説がなされることに。

ざっと言えば、その勝利を量産するに至った背景にあるのは「ドライバーへの重圧そして支配」であり、これはかつてエンツォ・フェラーリが運営していた時代のフェラーリF1チームそっくりである、という見解を示しています。

そして当時のフェラーリF1チームの運営方針、正確に言うならばエンツォ・フェラーリの信念とは「心理的なプレッシャーがドライバーにより良い結果をもたらし、さらには死の恐怖がそれを伸長させる」。

実際のところ、1955年から1971年にかけ、8人のドライバーがフェラーリのF1マシンにてその生命を落としています。※しかし当時は、フェラーリのみではなく、モータースポーツ全体として、人の命があまりに軽視された時代であったのだとは思う

F1では「いいマシン」だけでは勝てない

エンツォ・フェラーリは当然ながらF1における「最強」を目指し、しかしパワフルなエンジンを搭載した強力なマシンはその方程式の一部に過ぎず、勝利において大きな部分を占めるのはF1マシンのステアリングホイールを握る”世界最高のドライバー”であると考えており、そのためモータースポーツ界で最高の才能を持つドライバーを探し出し、そして契約することによってトップレベルの才能を持つドライバーを囲い込むという戦略を取っています。※ただし現代ではマシンの性能が勝利に関与する割合が大きくなっているものと思われる

実際のところエンツォ・フェラーリはドライバーをギリギリまで追い詰めていたといい、F1そして当時参戦していたF1以外のモータースポーツに参加する(フェラーリの)ドライバーに対して厳しく成果を求め、その例として「1957年のミッレミリア前のディナーの席で、フェラーリはアルフォンソ・デ・ポルタゴがチームメイトのオリビエ・ジェンデビアンの後塵を拝することは避けられないと指摘したこと」、「ルイジ・ムッソ、ピーター・コリンズ、マイク・ホーソーンの間にライバル関係が生じるよう誘導し、ルイジ・ムッソとピーター・コリンズはコース上で自分の価値を証明しようとして自殺したこと」についても触れています。

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さらにフェラーリの心理戦はさまざまな形で行われ、そのひとつが現代では当然となった「ドライバーの序列」。

ドライバーの欠点を指摘し、これまでクラッシュさせたすべてのマシンを認識させ、ときにはドライバーと契約しながらも、F1に参戦させることを拒否した例もあったといいますが、ニキ・ラウダがレースでの(致命的とも言える)負傷から短期間でのカムバックを遂げた背景としてはフェラーリがニキ・ラウダの回復力を信じられなくなり、放出されそうになったため」だとも。※映画「ラッシュ/プライドと友情」ではそういった外部要因よりも、自らの情熱、競争心によって負傷を克服した様が描かれる

記事によれば、とにかくフェラーリはドライバーたちに恐怖を与え、「大らかなカリスマ的人物」を「自信のないパラノイア(偏執狂)」に作り変えることでドライバーの心理を支配したとのことですが、これができたのもエンツォ・フェラーリ自身の持つカリスマ性、そしてなにより「なんとしてもフェラーリに乗りたい」「フェラーリに加入したからには放出されるわけにはゆかない」と思わせる強力なマシン、そしてチームを作り上げたからだと考えていいのかもしれません(ただ、やはりフェラーリの魅力はそのF1マシンのみではなく、現代においてもどのF1ドライバーもが「フェラーリに乗るということは特別である」とコメントしていることでもわかる)。

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レッドブルは徹底的にドライバーを支配する

現代ではレーシングカーの安全性が飛躍的に向上し、モータースポーツにおける「死」は珍しいものになったといっても過言ではないかと思いますが、その「死」を抜きにしてエンツォ・フェラーリ時代のフェラーリF1チームとそっくり同じ手法を採用しているのがレッドブルであり、ヘルムート・マルコとクリスチャン・ホーナーは「さらにフェラーリの手法を洗練させた」とも。

チームオーナーとしてのエンツォ・フェラーリの信念の重要な側面の多くは、レッドブル・レーシング、アルファ・タウリ、そしてレッドブル・ジュニア・プログラムにおいて、それが「手引書」であるかのように再現されているといい、まずは「ジュニア・プログラム」を通じ、早ければ11歳からその才能と献身性を磨き上げ(プログラム加入後、ふるいにかけられたのち、1年で約38%が契約を解除される)、レーシングドライバーとしてデビューした後もドライバーを降格させたり、解雇することによって「より優れた」ドライバーラインアップへと入れ替えていますが、これを補充する役割を担うのがジュニア・プログラムということになりそうです。

そしてこのレッドブルの手法は、かつてエンツォ・フェラーリがそうしたように、「ドライバーに精神的荒廃をもたらし、求められる高い基準を満たすために自らを墓場へと突き落とす」ことにあんるわけですが、この代表例が2009年シーズン途中にトロ・ロッソに昇格したハイメ・アルグエルスアリ。

ハイメ・アルグエルスアリは19歳という、当時最年少にて(セバスチャン・ブルデに代わり)F12参戦し、しかし「期待に添えなかった」ことで2011年に解雇され、フォーミュラEに参戦した後、25歳という若さで突然の引退を発表しています。

19歳でピークを迎え、25歳で引退という「通常の人間が数十年かけて行うこと」をわずか6年で経験したのがハイメ・アルグエルスアリということになりますが、ハイメ・アルグエルスアリいわく「レッドブル・ジュニアプログラムに参加していた時期に受けた "トラウマ "を、いかなるセラピーでも癒すことができなかった」。

”トラウマを消すことはできなかった。引退後、何人かの心理学者に助けてもらった。「今でも、不思議なことが頭をよぎるんだ。泣きながら目を覚ますと、ヘルムート・マルコが怒ってるんだ”

レッドブル / トロロッソ「後」のドライバーの人生は明るいものではない

これはハイメ・アルグエルスアリの後任の一人であるジャン=エリック・ベルニュも同様で、ドライバーの体重がF1マシンの総重量に含まれるようになったため、背が低くて細く体重の軽いチームメイトに対して優位に立とうとし、(体の大きな)ジャン=エリック・ベルニュは入院するほど自らを飢えさせることになり、栄養失調や脱水症状を起こしながらも比較的高いパフォーマンスを発揮したにも関わらず2014年にはシートを喪失します。※同年にはセバスチャン・ベッテルがレッドブルを離れ、ダニール・クビアトがレッドブルに昇格したほか、2015年にはカルロス・サインツJr.、マックス・フェルスタッペンが”空席になった”トロ・ロッソのシートを埋めるなど、大きな変動があった

そしてやはりジャン=エリック・ベルニュもf1を去った後にフォーミュラEへと流れますが(この傾向が続く限り、フォーミュラEはトップカテゴリにはなれないかもshれない)、レッドブル・ジュニアプログラムで培ったパラノイアを振り払うには時間がかかったといい、フォーミュラEで最初の数周を走ったとき、ジャン=エリック・ベルニュは "F1時代のあと、罠にはまったような気がした "と語っています。※2022年にはめでたく結婚している

さらにレッドブルとトロロッソ(現アルファ・タウリ)では冷酷な淘汰が続いており、2016年、ダニール・クビアトがレッドブル・レーシングから降格され、マックス・フェルスタッペンが昇格。

さらにダニール・クビアトはマレーシアGPでピエール・ガスリーと交代し、カルロス・サインツJr.は数レースを残してルノーへと移籍(この判断は正しかったと思う。比較的早くレッドブルの呪縛から脱してフェラーリに移籍できた)。

さらにピエール・ガスリーの代役を努めたブレンダン・ハートレーは2019年、アレクサンダー・アルボンと引き換えにトロロッソから放出され、ピエール・ガスリーはレッドブルに昇格。

なおアレクサンダー・アルボンアルボンはセルジオ・ペレスに取って代わられる形でレッドブルの正ドライバーの座を失っています。

そして現在、ニック・デ・フリースはヘルムート・マルコの期待に応えられなかったという理にて、沈ん途中でアルファタウリを解雇されたことが大きく報じられ、シーズン途中の解雇に際してもヘルムート・マルコは「彼は28歳で、多くの経験を積んでいるし、さまざまなF1マシンのテストドライバーとして多くの知識を得ることもできた。私の目には、彼を若いルーキーと比べることはできない。なぜ待つ必要があるのか、改善が見られないのであれば、あと2レースは何の意味があるのか」と語り、最後通告を行わずに放出したことには「あまりにドライ」との声も。

ただしこれがレッドブル、そしてアルファタウリのチーム運営手法、そしてジュニアプログラムの存在意義であり、セバスチャン・ベッテルやマックス・フェルスタッペンのような驚異の才能を見出し育てた反面、エンツォ・フェラーリがチームの栄光を手に入れるために払う犠牲を恐れなかったのと同じように、そこに至るまでに数え切れないほどのレーサーたちのエゴを切り崩してきたということになりそうですね。

そして現代では「死に至る」ケースこそ少ないものの、そのかわりにSNSがドライバーの精神を蝕むことも否定できず、今も昔も変わらず、常にレーシングドライバーたちはコースの内外にて戦い続けているのかもしれません。

参照:Jalopnik

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