
| 以外なことに「北の教皇」が最も投資したのは、機械ではなく「人間」だった |
そういった関係もあって「モデナ」にはスーパーカーに詳しい人材や企業が多い
フェラーリ創業者「エンツォ・フェラーリ」。
冷徹な独裁者としてのイメージが強い彼ではあるものの、実は若者の教育に対して並々ならぬ情熱を持っていたことでも知られます。
彼は自社工場で働く熟練工の不足を憂い、また亡き息子ディーノの遺志を継ぐ形で、モデナに「専門学校」を設立・支援することに心血を注いでおり、実際に職業訓練校をフェラーリの地元であるモデナに設立しています。
- IPSIA「アルフレッド・フェラーリ」:エンツォが設立を強力に推進した専門学校
- 息子ディーノへの献身:病で早世した最愛の息子に「技術者の道」を歩ませたかった想い
- フェラーリの登竜門:卒業生の多くが、そのままマラネッロのフェラーリ工場へ就職
そしてこの学校は現在も存在し、フェラーリを支える数多くのメカニックや技術者を輩出し続けているのですが、フェラーリを辞して他の会社へと移ったり、自ら会社を起こす人材も少なくはなく、こういった事情もあってモデナには「豊富な」スーパーカー関連の人材が集まっているといい(よってモーターバーレーと呼ばれる)、新興スーパーカー / ハイパーカーメーカーが(人材をあてにして)モデナを創業地に選ぶことが少なくはないという現実も。
「IPSIA エンツォ・フェラーリ」とディーノの物語
1950年代、エンツォ・フェラーリはモデナ市と協力して自動車産業に特化した職業専門学校の設立に動き出し、これがかつての「アルフレッド・フェラーリ職業訓練校」、現在の「Istituto Professionale Statale per l'Industria e l'Artigianato (IPSIA) Enzo Ferrari」。
この学校設立の理由としては「エンジニアの確保に苦労した」現実を打開するため、そして1956年に24歳の若さで亡くなった息子アルフレッド(愛称ディーノ)の(エンジニアになりたいという)遺志を継ぐことによって個人的な救を得ようとしたためでは、と言われています。
そしてこの学校の設立に際し、エンツォ・フェラーリは最大限の努力を惜しまず・・・。
- 機材と資金の提供:
エンツォは最新のエンジンや工作機械を学校に寄付し、生徒たちが常に「本物の技術」に触れられる環境を整えた - 就職先の保証:
優秀な成績を収めた卒業生には、フェラーリのレース部門(スクーデリア・フェラーリ)や製造現場への道を用意した
特徴|学校とフェラーリ工場の密接な関係
学校の概要
| 項目 | 詳細 |
| 学校名 | IPSIA Enzo Ferrari(通称:フェラーリ・スクール) |
| 場所 | イタリア・モデナ(マラネッロ近郊) |
| 教育内容 | 自動車工学、メカトロニクス、精密機械、ボディ整形 |
| 特徴 | フェラーリ、マセラティ、ランボルギーニ等の技術者が講師を務めることもある |
エンツォが遺したもの
エンツォは晩年まで、この学校の卒業式やイベントに顔を出し、若い生徒たちに「常に最高を目指せ」「情熱こそがすべてだ」と説き続けたそうで、彼にとって学校を支援することは「フェラーリの魂」を次世代へ引き継ぐための聖域として機能していたのかもしれません。
結論|エンツォが架けたのは形を超えた「未来への橋」
エンツォ・フェラーリが建てたのは「石造りの校舎」にとどまらず、それは、貧しい家庭の若者でも技術を身につければ世界一の車を作れるという「機会」と「夢」を与える場所。
今日、フェラーリが世界最高のブランドであり続けているのは、マラネッロの工場内でこの学校の卒業生たちが、エンツォから受け継いだ意思を持って働いているからに他ならず、エンツォの教育への投資は最高の配当として今も「フェラーリの咆哮」の中に生き続けているというわけですね。
【+α:新しい知識】
実は「モデナ・サーキット」も学校の一部?
かつてモデナにあった「アウトドローモ・ディ・モデナ」は学校のすぐ隣に位置しており、生徒たちが自ら調整したマシンをテストする場としても使われていたのだそう。
これはエンツォ・フェラーリが「理論(教室)と実践(サーキット)が隣り合わせであることの重要性を説いていた」からだそうですが、「フェラーリ本社とフィオラノ・サーキット」との関係性にも似ているように思います。
「フェラーリのメカニック」になる夢は、日本からでも叶えられるか?
「エンツォ・フェラーリの建てた学校で学びたい」「モーターバレーの熱気に触れたい」。
そう願う人も少なくはないはずで、ここでざっと「留学の方法」について述べてみたいと思いますが、現在は上で紹介したIPSIAのほかにもいくつか専門学校が(公立・私立含めて)存在し、まとめてそれらを見てみましょう。
- 入学倍率の真実:公立校は「門戸は広いが卒業は困難」、私立の名門は「超少人数制(定員30名)」
- 必須の語学力:多くの講義はイタリア語。B1〜B2レベル(中級以上)が最低条件
- 留学のルート:語学学校での準備期間+専門学校への正規入学が王道
各校の入学難易度と「倍率」の実態
イタリアの自動車学校には、大きく分けて「職業訓練校(公立)」と「専門大学・高度専門学校(私立/大学)」の2つがあり・・・。
1. IPSIA Enzo Ferrari(公立・職業専門学校)
上で述べた、エンツォが設立に尽力した学校です。
- 難易度・倍率: 公立校のため地域の若者には広く開かれているものの、「外国人枠」は非常に限られており、書類選考と面接が重視される
- 特徴: 10代後半から通う実地訓練がメイン。日本から直接行く場合は、現地の高校レベルの学力と高い語学力が求められる
2. ISSAM(モデナ自動車科学高等学院)
「フェラーリのエンジニアになりたい」なら、ここが最も現実的かつ名門です。
- 入学倍率: 定員はわずか 30名
- 難易度: 入学試験(数学・物理・一般教養)と厳しい面接があり、世界中から志願者が集まるため、実質的な倍率は5〜10倍以上と言われる
3. MUNER(モーターバレー大学)
フェラーリ、ランボルギーニ、マセラティが共同設立した修士課程プログラム。
- 難易度: 超難関。大学卒業後の修士課程という位置づけで、世界からトップエリートが集まるため最もハードルが高い「聖域」
日本から「イタリア自動車専門学校」へ留学する手順
ステップ別ガイド
| 段階 | 期間 | 内容 |
| 1. 語学準備 | 6ヶ月〜1年 | 日本またはイタリアの語学学校でB2レベルのイタリア語を習得。 |
| 2. 学校選定と出願 | 2月〜4月 | 各校の「Admission Call(募集要項)」を確認し、願書を提出。 |
| 3. ビザ申請 | 5月〜7月 | イタリア大使館で「就学ビザ」を申請。 |
| 4. 入学試験 | 9月 | イタリア現地で筆記・面接試験を受ける。 |
| 5. 開講 | 10月 | 専門課程スタート。 |
必要な費用(概算/年)
- 学費: 公立校は数百ユーロ〜、私立(ISSAMなど)は約6,000〜10,000ユーロ(約100万〜160万円)
- 生活費: モデナやボローニャは学生街ですが、家賃が高騰しており、月1,200ユーロ(約20万円)程度は必要
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求められているのは「エンジニアの素養」と「対話力」
イタリアの専門学校、特にフェラーリのお膝元にある学校の入学試験で見られるのは、学力のみではなく、「なぜフェラーリなのか?」「この技術をどう活かしたいのか?」という哲学的な問いに対するイタリア語での対話力だとされており、いかに情熱を語ることができるかが合否を分けることになりそうですね。
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