■駄文(日々考えること)■

ボクは評価されることが嫌いだ。ヒエラルキーの外にいることを重視し、社会不適合者であることに誇りを持っている

ボクは評価されることが嫌いだ。ヒエラルキーの外にいることを重視し、社会不適合者であることに誇りを持っている

| ボクは自分の足で、自分が選んだ道を、自分の思う速度で歩きたい |

そしてボクは「世の中の通常の概念」から外れることを恐れない

さて、ぼくが嫌うことのひとつが「評価されること」。

簡単にいえば自分の行動を他人に判断されるのが我慢できないということになりますが、その背景には「他人には、自分がなぜそう行動したのか」という真の理由が理解できず、理解できない人に自分の行動をどうこう言われたくない」という考え方があります。

ちなみにですが、ここ数年、「他人を評価するシステム」が世界的に増えており、なにか買い物をしたのちにはすぐメールやSMSで「体験はいかがでしたか。対応したスタッフの印象をお聞かせ下さい」という連絡が来たりするものの、ぼくだったらそういった「常に評価される側にいる仕事は耐えられない」と思ったりするわけですね。

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ボクは他人も評価したくない

そしてぼくは自分が「評価されたくない」のと同様、他人を評価することにもかなりの抵抗感を覚えます。

その理由もやはり「その人のことを完璧に知り尽くし、その行動の原理を理解することはそもそもできない」「その状況で他人を判断するのはおこがましい」と考えているからで、要は「自分は自分、他人は他人」であり、そしてそれぞれが個々の信念に基づいて行動している以上、他人がとやかく言うべきではない、とも考えています(ただ、社会や会社が成り立つためにはそうも言っていられないのだけれど)。

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そしてぼくにとって不思議な事実は「他人に評価されることに抵抗がない人」「むしろ他人に評価されたい人」が存在するという事実であり、しかしこれもまた多様性の一つでもあって、いろいろな人がいるからこそ世の中が成り立つのだとも認識しています(皆が同じ基準で動いていれば、世界は混乱に陥るだろう)。

ヒエラルキーの外にいることが重要である

ここで重要なのが、ぼくが「誰からも評価されたくないし、評価したくもない」、つまり社会のシステムに馴染めないということで、ある意味では社会から孤立しているという事実(自分が社会不適合者という自覚はある)。

しかしこれはぼくがぼくであるために必要なことであり、ぼくにとってひとつの矜持でもあるわけですね。

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実際のところ、社会から孤立しているということは、「孤立していても生きて行ける」という実力の証明にほかならず、自分で自分の歩く道や、歩く速度、ともに歩む相手をも選べるということを意味しています。

他人に行動を制限されず、歩く道や歩く速度、一緒に歩く相手を指定されない。

ぼくにとってはこれ以上の”自由”はなく、そしてこの自由を得るためにはたとえ「社会不適合者」というレッテルを貼られようとも一向に気にしない自分がいます。

やりたいとこはやりたいし、やりたくないことはやりたくない。

歩く道は自分で選びたいし、歩くスピードも自分で選びたい。

速く歩くときもあるだろうし、ちょっと休みたいときだってあるかもしれない。

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そしてこの”自由”はぼくにとって「ヒエラルキーの外(他人によって評価されたりカテゴライズされない環境)」にいることを意味していますが、これもまたぼくにとって非常に重要な状況です。

ヒエラルキー(Hierarchy)とは、階層制やピラミッド型の組織構造のことです。もともとは宗教的な用語でしたが、現代では社会、組織、技術など幅広い分野で「上下関係」や「段階的な構造」を指して使われます。

語源はギリシャ語の「ヒエラルキア(聖なる支配)」に由来しています。

ボクはヒエラルキーの外にあるものが好きである

そしてぼくが自分自身を「ヒエラルキーの外」に置くことを好むのと同様、自分が使うモノについても「ヒエラルキーの外」にあるものを好みます。

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どういうことかというと、「優劣」をつけることができない存在に魅力を感じるということで、例を上げるならば、腕時計だと「セイコーコレクション」<「セイコー5スポーツ」<「キングセイコー」<「グランドセイコー」というラインアップ(ヒエラルキー)が存在し、明確にその優劣(ランク付け)がなされています。

ぼくはこういった「ランク付け」される存在があまり好きではなく、スウォッチやG-SHOCKを愛用するのはこの理由から。

たとえばグランドセイコーを身に着けて電車に乗って「つり革を握った時」、隣の人がグランドセイコーを身に着けていれば「つり革バトル」での敗北を喫し劣等感を感じるかもしれませんが、スウォッチやG-SHOCKだとそういった「優劣」とは無縁であり、平日の通勤時間帯だと「そういったカジュアル腕時計を身に着けている」ことがむしろ世俗からの解脱を意味する可能性もあって、それによって自分の人となりを知らしめることができるから。

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さらにいえば、スウォッチやG-SHOCKを身に着けていたとしても、「高い腕時計が買えないからそういった腕時計を着用している」と受け取られることはさほど多くはなく(皆無ではない)、「好きだから愛用している」と判断されることのほうが多いのかもしれません。※アップルウォッチも同様で、高額ではないからといって高級機械式腕時計より”低級”だと断じることはできない

簡単な言葉でいえば「クラスレス」ということになりそうで、クルマについても「ミニ」「ランクル」に乗るのも同様の理由であり、これらは「世間一般的な判断基準、つまり車格や価格で判断される常識(ヒエラルキー)外に存在するから」。

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もちろん、ぼくがそういった製品を選ぶのは「そう見てほしいから」ではなく「そういったコンセプトで作られている製品が好きだから」であることについては補足の必要がありますが、とにかくぼくはいかなる場合であっても自分自身であろうとし、そして「自分自身であることを貫く」製品を愛するということになりそうです。

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