
| フェラーリの「命名」とジャーナリストとの関係性は無視できない |
フェラーリ F40ははぜそれまでのフェラーリの命名法則とは異なるのか
フェラーリ F40は1987年に発表されたフェラーリを代表するスーパーカーとして知られていますが、F40が特別な存在であるのはただの「高性能なフェラーリ」ではなく、エンツォ・フェラーリが存命中に最後に完成を見届けた市販フェラーリとしても知られているから。
そして今回は「F40」の命名の由来について述べてみたく、まず「F40」の40は、排気量でも馬力でもなく、多くの人が知る通り、
フェラーリの市販ロードカー誕生から40周年
を意味しています。
それまでのフェラーリのロードカーはというと、エンジン排気量や気筒数(308や328など)、モデル系列(テスタロッサ、GT、GTOなど)などを組み合わせた数字・アルファベットによる命名が「通例」で、しかし「F40」はそれまでのいずれの例にも当てはまらないわけですね。

ちなみにフェラーリが最初のロードカーとして位置付けているのは125 Sで、このクルマは1947年に登場しているため、F40が発表された1987年はそこから「ちょうど40周年」ということに。※フェラーリ自身もF40を、同社初のロードカーから「40年後」に登場したモデルと説明している
ただ、なぜ「F40」という名称に決定したのか、つまりその由来はあまり知られておらず、しかし今回、ジーノ・ランカーティの著となる「エンツォ フェラーリの生涯(Enzo Ferrari The Man)」にその「起源」が記されていたのでここで紹介したいと思います。
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フェラーリF40:概要
フェラーリF40は「そのままレースに出場できるロードカー」というコンセプトにて企画されたクルマであり、よって「センターロックホイール」など、フェラーリのほかのロードカーとは異なるスペックを持っています。
公式スペックでは2.9L V8ツインターボから478hpを発生し、最高速度324km/h。1987年当時としてはまさに異次元の性能を誇った「スーパーカー」。
同時期に登場したポルシェ959がトルクスプリット4WDを備える「ハイテクマシン」であったのに対し、フェラーリF40は「余分なものを極限まで削った究極のアナログマシン」であり、そしてこれは後の「ポルシェ カレラGTとエンツォフェラーリ」の関係性において”逆転”しているのも面白いところでもありますね。
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| 項目 | Ferrari F40 |
|---|---|
| 発表 | 1987年 |
| エンジン | 2,936cc V8ツインターボ |
| 最高出力 | 478hp / 7,000rpm |
| 最大トルク | 577Nm / 4,000rpm |
| 駆動方式 | MR |
| トランスミッション | 5速MT |
| 車重 | 1,100kg(乾燥重量) |
| 最高速度 | 324km/h |
| 0-100km/h | 4.1秒 |
| 全長 | 4,358mm |
| 全幅 | 1,970mm |
| 全高 | 1,124mm |
| ホイールベース | 2,450mm |

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なぜフェラーリ「F40」は「F40」なのか
上述の通り、フェラーリF40は「Ferrariの歴史における40周年記念車」という意味を前面に出した名前になっていて、この命名法則はその後のF50にも連なるのですが、F50のほうはフェラーリのロードカー50周年という意味ではなく「フェラーリ創立50周年」という意味だと(フェラーリ公式にて)説明されており、同じ「F+数字」でも若干その性質が異なるということがわかります。

そこでこの「F40」の由来につき、同書によると、1987年6月4日にジーノ・ランカーティ氏がエンツォ・フェラーリのもとを訪れ、その後にフェラーリのジェネラルマネージャーを努めていたラッツィ氏によって(発表前の)ニューモデルをお披露目され、「あなたであれば、どんな名前をつけますか」と尋ねられた際、
そうですね。フェラーリの最大の市場は北米ですから、英語を使用すべきではないでしょうか。ちょうど最初のフェラーリのロードカーが登場してから40年ですし、”フェラーリ・フォーティー”というのはどうでしょう」
と答えたのだそう。※このときまで、フェラーリは「40周年」を車名に含めることを考えていなかったようだ
なお、フェラーリF40の発表は1987年7月21日なので、「急遽」名称が決定し、公式資料などが準備されたということになりそうです。
参考までに、その翌年の1988年8月14日、エンツォ・フェラーリが亡くなっていて、よってF40が「エンツォ・フェラーリが最後に世に送り出したフェラーリ」ということに。
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フェラーリ「デイトナ」もまたジャーナリストとの関係性が深い名称である
もうひとつ参考までに、フェラーリ365GTB/4「デイトナ」についてもちょっとした逸話があるそうで、フェラーリ「公式」におけるこのクルマの名称は「365GTB/4」、しかし一般には「デイトナ」として知られており、フェラーリもこの通名については公式コンテンツにおいて認める旨の発言を行っています。
そしてこの「デイトナ」の由来につき、これは一般に「1967年2月に開催されたデイトナ24時間レースにおいて、フェラーリのスポーツプロトタイプが圧倒的な勝利を収めたこと」にあるとされ・・・。
1位:Ferrari 330 P3/4
2位:Ferrari 330 P4
3位:Ferrari 412 P
という、フェラーリによる1-2-3フィニッシュを受け、翌1968年に発表された365 GTB/4をジャーナリストが「デイトナ(Daytona)」と呼んだところ、これが定着したのだと言われていますね。
ただ、これにはいくつかの説があり、実はエンツォ・フェラーリが事前に特定のジャーナリストに対し「デイトナ」という名称を示唆したためにジャーナリストがそう記載したという話があるそうですが、これは「ジャーナリストの操作に長けていた」というエンツォの性質を考慮すると「さもありなん」。

そしてこのデイトナでの勝利は「フェラーリの最大のライバルだったフォードが参戦していたアメリカでのレースだった」ため、その意味はさらに大きく、そして1966年のル・マン24時間レースでフォードに敗北したばかりのフェラーリにとって、この「デイトナ」という名称を持つクルマ、そしてデイトナでの勝利を世に知らしめることは「かなり重要な」ことであったのかもしれません(ではなぜ365GTB/4にデイトナという名称を付与して発表しなかったのかということになるが、それは”商標”の問題であったのかもしれない)。
ジーノ・ランカーティとは?
いずれにせよ、一部のフェラーリのモデルと「ジャーナリスト」との関係が浅からぬことについてはおわかりいただけたのではと思いますが、F40の値付け親とも言えるジーノ・ランカーティ(Gino Rancati)氏については補足の必要があり、彼はエンツォ・フェラーリが「抱えていた」数多くのジャーナリストの中でも特別に信頼していた非常に近しい人物の一人であるとされています。
エンツォ・フェラーリの存命中、彼に会うことは非常に難しく、アポを取って訪問したとしても「数時間」約束の時間から待たされることが常であったとされるほどではあるものの(スケジュールを管理できていなかったのではなく、意図的に相手を待たせていたらしい)、ジーノ・ランカーティ氏は「いつでも会いたい時にエンツォ・フェラーリと会うことができた」非常に限られた人物の一人だといえば、いかにその存在が特別であるかがわかるかもしれません。

ジーノ・ランカーティ氏は1923年生まれのイタリア人ジャーナリストで、『La Stampa(ラ・スタンパ)』などで活躍し、1950年代以降の自動車・モータースポーツ界を長年取材してきた人物としても知られていますが、後にはイタリア国営放送RAIのテレビジャーナリストとしても活動したほか、2023年には生誕100年を記念して、そのジャーナリスト人生とエンツォとの特別な関係がRAIでも紹介されています。
しかし、彼が特別だったのは、ジーノ・ランカーティ氏とエンツォ・フェラーリの関係は、単なる「自動車ジャーナリストと取材対象」というものを大きく超え、「エンツォ・フェラーリを取材したジャーナリスト」というよりも、「エンツォ・フェラーリの友人」であったこと。
今回参考にした、1988年に出版された著書 「エンツォ フェラーリの生涯(Enzo Ferrari The Man)」は、エンツォ・フェラーリの人物像を描いた重要な伝記の一つであり、当時の書評でも、ジーノ・ランカーティ氏はエンツォ・フェラーリにとって「apparently the only close friend(おそらく唯一の親しい友人)」とまで紹介されています。※映画「フェラーリ」の原作となった、ブロック・イェイツ著「エンツォ・フェラーリ 跳ね馬の肖像」とはかなり異なるエンツォ・フェラーリの姿が描かれている

エンツォはランカーティをかなり信頼していた
二人の関係を象徴するのが、エンツォ・フェラーリがジーノ・ランカーティ氏に自分の”非常にプライベートな部分まで”を話していたことで、ジーノ・ランカーティ氏はエンツォ・フェラーリの(以下のような)細部に至るまでを取材しており・・・。
- レーシングチームについて
- ドライバーについて
- フェラーリ社について
- フィアットとの関係
- 息子ディーノについて
- 家族について
- 私生活について
エンツォからランカーティへ送られた手紙(あの紫色のインクでしたためられている)や電報も残されており、それらは「エンツォ フェラーリの生涯(Enzo Ferrari The Man)」にも収録ずみ。
つまりジーノ・ランカーティ氏は、エンツォ・フェラーリの「公式スポークスマン」ではないものの、エンツォが自分の本音を話せる数少ない外部の人間だったというわけですね。
「F40」の命名関与についてはエンツォ・フェラーリから「感謝の品」も贈られる
そして同氏がF40の命名に関与したことにつき、それを証明するものとして、「エンツォ フェラーリの生涯(Enzo Ferrari The Man)」では「エンツォ・フェラーリから、10月に銀製の飾り額が送られてきた」と記載しており、そこには以下のように記されていたのだそう。
素晴らしいアイデアを提供してくれたジーノ・ランカーティ君へ F40 1987年6月

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そしてもうひとつ、2人に関するエピソードを挙げておくと、映画「フェラーリ」にもあったように、エンツォ・フェラーリがジーノ・ランカーティ氏に対し、
「私がヘンリー・フォード2世と工場の将来について話し合っているという噂がある、と記事を書いてくれ」
と依頼し、そして記事の最後には、「ジーノ・ランカーティ氏自身がエンツォ・フェラーリに直接質問し、エンツォ・フェラーリがそれを全面否定したという形にしてほしい、と指示することに。
つまるところ、エンツォ・フェラーリは同氏を通じて情報操作を行っており、これがエンツォが「ジャーナリストをうまく利用した」例の一つ、そして非常に重要な曲面ではもっとも信頼していたジーノ・ランカーティ氏を起用したということがわかる例というわけですね。
このほか、同書には様々なエンツォ・フェラーリの「(他では語られていない)個人的なエピソード」が多数収録されていて(ときには会食にて食べたメニューまで)、このあたりを見るに、ジーノ・ランカーティ氏が「いち自動車ジャーナリスト」ではなく、「エンツォ・フェラーリという人間そのものを記録した人物」、あるいはエンツォ・フェラーリの代弁者であったと考えることができるのかもしれません。
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参照:ジーノ・ランカーティ著:「エンツォ フェラーリの生涯(Enzo Ferrari The Man)」











