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【没後38年】エンツォ・フェラーリが残した魂の金言、「最も重要な勝利はこれから勝ち取るものだ」。現代も脈々と受け継がれる「絶対的哲学」とは

フェラーリ博物館にてエンツォ・フェラーリの画像
Life in the FAST LANE.

| エンツォ・フェラーリの信念はいまなおボクらを刺激し続ける |

そして現代のフェラーリにも脈々と受け継がれるDNAでもある

跳ね馬のバッジを掲げ、世界中の自動車ファンやモータースポーツファンを魅了し続けるスポーツカーブランド「フェラーリ」。

創業者のエンツォ・フェラーリが90歳の生涯を閉じた1988年8月14日から38年という年月が経過することとなり、しかし彼が残した言葉や情熱、そしてクルマ作りに対する妥協なき価値観は、現代のフェラーリにおいても何一つ色褪せることなく脈々と受け継がれています。

14歳の少年が抱いた1枚の写真への憧れから始まり、世界最高峰の自動車メーカーを打ち立てるに至ったエンツォ・フェラーリの足跡、そして彼の魂を宿した言葉の数々について振り返ってみましょう。

フェラーリ
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この記事の要約

  • エンツォ・フェラーリ没後38年の節目: 1988年8月14日に90歳で世を去った創業者エンツォ・フェラーリの思想と精神を再追訪
  • 14歳で抱いたレーサーへの夢: インディ500の写真に魅せられた少年時代から、1929年のスクーデリア・フェラーリ創設、1947年の自社製マシン製造へと続く原点
  • 人心掌握と情熱の組織づくり: 学歴ではなく「車への愛」と「成功への情熱」を持つ天才エンジニアやドライバーを集め、意見をぶつけ合わせることで最高のマシンを創出
  • レースは2週間ごとの卒業試験: 単なる移動手段ではなく「夢」「調和のサウンド」「人間の知性」が形となったエモーショナルなクルマ作りを徹底
  • 不滅の未来志向: 「最も重要な勝利は、これから勝ち取るものだ」という今なお生き続ける挑戦者のアイデンティティ
フェラーリ
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フェラーリ博物館にてエンツォ・フェラーリの再現デスク
Life in the FAST LANE.

14歳の夢から始まった「跳ね馬」の原点

1898年2月18日、イタリアのモデナで生まれたエンツォ・フェラーリは14歳のときに一枚の写真に写った人物と出会うこととなり、それは1912年のインディアナポリス500マイルレース(インディ500)でレースの大半をリードしながらもエンジントラブルで完走を逃したイタリア系アメリカ人ドライバー、ラファエル・デ・パルマの姿です。

トリノの新聞が彼の健闘を称える記事を見たエンツォ少年は、「この人はイタリア人だ。自分もいつか彼のようなレーシングドライバーになれない理由があるだろうか(きっとなれる)」と強く心に誓い、ここから彼はモータースポーツとともに歩むこととなるわけですね(エンツォ・フェラーリがモータースポーツに関心を持つようになったきっかけについては諸説ある)。

  • 1919年(21歳): 初めてのレースに出場
  • 1929年(31歳): レーシングチーム「スクーデリア・フェラーリ」を設立
  • 1947年(49歳): 自らの名を冠した最初のモデル「125 S」がマラネロの工場から誕生

こうして始まったエンツォの挑戦は、彼が90歳で死去するまで40年以上にわたってフェラーリという物語を導き続け、そしてその物語は現在でも続いており、ぼくらが知る「フェラーリ」へとつながります。

フェラーリ博物館にて、エンツォ・フェラーリのトリビュート映像
Life in the FAST LANE.
フェラーリ博物館に展示される「ワンオフの」フェラーリたち
【教育への情熱】フェラーリは「学校」を創っていた。エンツォ・フェラーリが支援した「未来のエンジニア」を育てる職業訓練校とは

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人心掌握の天才:情熱が生み出した最高傑作の数々

エンツォ自身は14歳相当の初等技術教育を受けた段階で学校を離れており、学問的なバックグラウンドは決して豊富ではなかったと言われます。

しかし、彼は後に自身の成功の秘訣について次のように語っていて・・・。

「私は自分よりも高い教育を受け、優秀な人々、そして何よりも『成功したいという強い欲求』を持った人々に囲まれていただけだ」

実際、フォルギエリ、ランプレディ、コロンボといった歴史的な天才エンジニアや、ホーソーン、ヒル、サーティースといった世界最高のドライバーたちがマラネロ(フェラーリの本拠地)に集結し、それによって「赤い帝国」が築かれたのもまた事実。

エンツォ・フェラーリの教え:「2位は最初の敗者である」。勝ったときよりも負けたときのほうが機嫌が良く、”敗北から学ぶことで”フェラーリを最強へと導く
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フェラーリ博物館にてフェラーリの歴史(ムービー)
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しかし、これはエンツォの謙遜であったと考えることもでき、というのも彼は卓越した人間性の洞察力とマネジメント能力を備えた人物だとも評されていて、時には心理的な揺さぶりをかけてスタッフのポテンシャルを極限まで引き出したことでも知られます(優秀な人材を集めることができたのも彼の能力の一つであり、それを効果的に成功へと結びつけることができたのも彼の能力である)。

なお、彼の元で働くために求められた唯一絶対の条件は「まず何よりも自動車を愛していること」。

対立する意見をあえてぶつかり合わせ、熱気あふれる議論を仲裁しながら、サーキットと公道の双方で歴史に残る傑作マシンを生み出していったというわけですね。

フェラーリ
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エンツォ・フェラーリの人物像とブランド哲学

項目詳細・エンツォの哲学
生年月日・没年月日1898年2月18日 〜 1988年8月14日(享年90歳)
生誕地・本拠地イタリア・モデナ / エミリア=ロマーニャ州マラネロ
代表的な名言①「私たちが提示するのは、2週間ごとに受ける最終試験(レース)である」
代表的な名言②「最も重要な勝利とは、私がこれから勝ち取るものだ」
組織づくりの条件学歴や地位ではなく「自動車に対する第一の愛」と「成功への意欲」
クルマづくりの定義技術・職人技・人間の知性によって生み出される「生きている機械」「音の調和」
モータースポーツの意義イノベーションと技術向上の尽きることのない源泉であり、成功の最終裁判官
フェラーリ
エンツォ・フェラーリの「工場は、人、機械、建物でできている。フェラーリは、なによりも人でできている」の精神はいまだ健在。フェラーリがホワイト企業に認定

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エンツォ・フェラーリの画像(モンブランとのコラボレーションによる製品パッケージ)
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レースは「2週間ごとの試験」:妥協なきイノベーション

エンツォにとって、ロードカー(市販車)の重要性が増した後も「レースこそがイノベーションと技術向上の最大の源泉であり続けた」ことは間違いなく、彼はこう表現しています。※当時のグランプリは二週間おきに開催されていたのだと思われる

「私たちは2週間ごとに、最終試験のために自らを提示しなければならない製造者(コンストラクター)なのだ」

また、彼はクルマを単なる移動手段や金属・部品の集合体としては決して捉えておらず、テクノロジー、職人の技、そして人間の知性によって生み出される「調和の取れたサウンド(ハーモニー)」を奏でる夢の装置、これこそが彼にとっての自動車であったのだとも考えられます(フェラーリは「人でできている」という言葉を残している)。

そして客観的な数値性能の優越だけでなく、数値化できない「感情に訴えかける魅力(エモーショナル・アピール)」と最高峰のハンドクラフトの融合——これこそが現代のフェラーリにも息づく核心的な思想でもあり、これは現行ラインナップにはもちろん、ブランド初のEVとなる「ルーチェ」にも引き継がれているのだと考えて良いのかもしれません。

【フェラーリの哲学】なぜ“需要より1台少なく”しか作らないのか?エンツォ・フェラーリの信念と成功の理由
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フェラーリのF1マシン(エキゾーストシステム)
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結論

エンツォ・フェラーリが世を去ってから38年が経過した今も、彼が残した言葉や思想は、フェラーリというブランドの進むべき道をいまだ明るく照らし続けています。

時代の変化とともに電動化や最先端のデジタル技術が導入されようとも、「最先端の技術と職人技の共存」や「心揺さぶる感情的な魅力の追求」という根本のフィロソフィーが変わることはなく、彼がかつて語った誇り高き言葉である・・・。

「最も重要な勝利は、私がこれから勝ち取るものだ(The most important victory is the one I have yet to achieve.)」。

この不屈の挑戦者精神こそが、過去の栄光に甘んじることなく、常に最高を更新し続けるフェラーリのエネルギーの源であり続けている、というのが偽りのない事実だと思います。

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【理解を深める関連情報・補足】

  • エンツォを支えた名エンジニアとドライバーたち
    • アウレリオ・ランプレディ & ジョアキーノ・コロンボ: 初期フェラーリを象徴するV12エンジンなどを開発した伝説的エンジニア。
    • マウロ・フォルギエリ: 1960年代から1980年代にかけて技術部門を率い、F1チャンピオンシップを幾度も手繰り寄せた天才設計者。
    • マイク・ホーソーン、グラハム・ヒル、ジョン・サーティース: フェラーリにF1世界選手権タイトルをもたらしたドライバーたち(サーティースは2輪と4輪双方で最高峰王者となった唯一の人物)。
  • 「跳ね馬(カヴァッリーノ・ランパンテ)」の由来フェラーリのシンボルである「跳ね馬」は、イタリアの撃墜王フランチェスコ・バラッカ撃墜王の軍用機につけられていたシンボルマーク。彼の母親から「このシンボルをあなたの車につければ、きっと幸運をもたらすだろう」と贈られたことが始まりだとされています。
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参照:Ferrari

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