| 近年、ハリウッドと自動車メーカーとのタイアップは欠かせない |
ハリウッド映画について、スポンサーが映画を大々的に広告として使用するようになってから、すこし映画の雰囲気が変わりましたよね。
たとえば自動車でいうと、映画そのものが新車発表会のようなものになっている趣もあり、とくにメルセデス・ベンツにそれが強い傾向として現れているように思います。
ジュラシック・パーク2のML、メン・イン・ブラックでのMクラスなどは古い例ですが、最近だと他メーカーでも(そう最近でもないか)トランスポーター、ミッション・インポッシブル、そしてトランスフォーマー、007シリーズ、一連のアヴェンジャーズシリーズにもその傾向が強く見られます。
直近だと「ブレードランナー2049」でもプジョー、「レディプレイヤー1」ではルノーといった感じで、未来を舞台にした映画にも自動車メーカーがその車両を登場させることに(”マイノリティ・リポート”のレクサスがこの先駆けかも)。
登場する必要のあるクルマが登場せず、登場する必要のないクルマが登場することも
もちろん映画を作成するには巨額の費用が必要で、スポンサーからの資金とスポンサーの意向は重要であることは理解でき、そうやって集めたお金ですばらしい映画を撮れるのは非常に良いこと。
それによってスポンサーも利益を得ることができたり、魅力的な製品の存在が消費者に伝わることは、それを買う人にとってもメリットとなり得ます。
そしてなにより、日頃目にすることのない、珍しい車やエキゾチックカーがスクリーンに登場するのは胸躍るものがありますよね。
要するにぼくはこの傾向に賛成でもあるのですが、同時に寂しいこともあるのです。
たとえば、「マッドマックス」のように、当時スポンサーの製品をスクリーンに登場させることが一般的ではなかった時代、映画製作者は、その映画や使用するキャラクターのイメージやプロットに合わせて自由に車両を選ぶことができたわけですね。
たとえばリッチだった人が貧乏になった時、所有している車が「BMWからボロいボルボに」なったりした映画がありますが、スポンサーに特定自動車メーカーがつくと、そういった演出が難しくなる場合も(BMWがスポンサーだったら、7シリーズ→1シリーズ、といった感じになるのかもしれない)。
さらには、スポンサーの意向でそのシーンそのものが変更され、「登場する必然性がないのに」そのクルマが登場するシーンが設定されたり。
つまり、これまではスポンサーシップに束縛されないからこそストーリーと密接に関連した(登場する必要性がある)クルマが映画に出演することが可能であったということで、そういった背景をもとにインターセプター(マッドマックス)、デロリアン(バック・トゥ・ザ・フューチャー)、フォード・マスタング(ブリット/60セカンズ)等の「スクリーン上の名車」がぼくらの記憶に残ることに。
しかしながら、現在のような資金調達方法と広告方法が根付いてしまった今、2度とこれらのような「映画上での名車」は(ハリウッド映画においては)登場しないのかもしれませんね。