| 大衆車メーカーは絶滅の危機に瀕している |
アストンマーチンCEO、アンディ・パーマー氏によると「量産車メーカーはその戦略を変えるか、でなければ絶滅するだろう」とのこと。
これはAutomotive News Europeミーティング中に行われた発言で、「今や自動車はコモディティ化しており、自社のクルマを差別化する方法を考えなければならない」というのがその趣旨。
加えて、「今が”これまで続いてきた”自動車業界の終わりの始まりだ」とも語っています。
これまでにも「淘汰」の波はあった
たしかにこれについては理解できるところがあり、自動車の性能自体が発展途上であった頃は「どのメーカーの車が速い」「どのメーカーの車が壊れない」といった選ばれ方をしてたように思われます。
つまり、時速300キロ出すならポルシェかフェラーリかランボルギーニしか選択肢がなかったものの、今だと多くのメーカー、チューナーが「踏めば300キロ出る」クルマを作るように。
そうなるとスーパーカーはその存在意義を失い、「ブランド品」としての生き残る道を見つけているのが現代。
よって、以前の考え方で「速いだけ」のクルマを作る少量生産メーカーはほぼ存在意義がなく、それよりも「ブランド品」としての存在価値を身につけるほうが現代においては競争力の強化につながる、とも言えます。
たとえばライカン・ハイパースポーツは「ブランド品」なので富裕層に受け入れられ、新生TVRは「今やほかメーカーでも持ちうる走行性能しか無い」ために差別化ができずに苦しいだろう、ということですね。
同様に「品質が高い」「安全」という価値観も現在ではどのメーカーでも持ちうるファクターになり、つまりこれが「コモディティ化」。
たとえばボルボはかつて「世界で最も安全な車」と言われたものの、その後どのメーカーも安全になってしまい、その価値を失うことに。
しかしその後「スカンジナビアデザイン」という差別化によって再浮上し現在に至る、というのが現状です。
こういった「淘汰」がかつて起きており、これで消滅したのはサーブやMGといったメーカーだと言えそう。
今後はさらに厳しい時代に
そして今後予想されるのは「エレクトリック化」によって性能の差が出しにくくなるであろうこと(エンジンサウンドやフィーリングでクルマが語られることはなくなる)、そしてカーシェアリングが進むであろうこと。
これについてはすべてのメーカーが該当することになり、大衆車メーカーであっても高級車メーカーであってもそれは同じ。
将来的に「クルマを個人で持たなくなる」時代が来ることになり、高級車と言えども「シェアする」ことが当たり前になるかもしれません。
そういった時代に「個人で持ちたい」と思わせるには感情に訴えかけるクルマを作るしか無い、というのがアンディ・パーマー氏の主張で、まさに「必要のないモノを売らねばならない」時代に入ってゆくわけですね。
たとえば、今や時間を知るにはスマホで十分で(というかもっとも正確)腕時計は必要ありませんが、それでも「わざわざゼンマイを(手動にせよ自動にせよ)巻かねばならず、時間も正確ではない」器械式腕時計(しかも高い)がなぜ売れるのか、ということに近いかもしれません。
もしくは、ピカソやゴーギャンの絵を簡単にダウンロードしてスマートフォンの中に保存しておけるのに「なぜ」高いお金を出して本物を落札する人がいるのか、ということにも通じるのではないかと思います。
いずれにしても(カーシェアリングの一般化で)自動車の総販売台数が減少に向かう時代が来るのは間違いなく、もしかすると最初に打撃を受けるのは、アンディ・パーマーCEOの言うように「量産車メーカー」なのでしょうね。
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