| 現在は「製造当初」の姿にレストアされ、フェラーリもお墨付きを与える |
変わりつつあったフェラーリを視覚的に示す一台が競売に
さて、はじめてRMサザビーズが主催するオークションに登場するという、希少なフェラーリ365GTB/4 デイトナのプロトタイプが話題に。
これは6台が製造された365GTB/4デイトナ プロトタイプの中でも最初の一台であり、「最も認知度が高く、最もユニークで、最も重要であり、最も望ましい」個体だとされ、おそらくは今年のオークションに登場するクルマの中では最大の目玉になると見られています(前例がないだけに予想落札価格が算出されていない)。
ちなみに別の「フェラーリ365GTB/4プロトタイプ」が2,315,000ドル(現在の為替レートにて約3億2000万円)にて落札されていますが、今回の個体はほぼ確実にこれよりも高い価格にて落札されることになりそうですね。
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当時、スーパーカー業界は変革期を迎えていた
このフェラーリ365GTB/4 デイトナが登場しようとしていた頃、スーパーカー業界は大きな転機を迎えようとしており、それは「ランボルギーニがミウラを登場させたから」。
ミウラはスーパーカーとしては「初」のミドシップエンジン登載車で、「スーパーカーを定義した」クルマとしても知られますが、フェラーリとしてはこれに対抗する必要が生じ、よって当時のフェラーリのフラッグシップであった275GTB/4の後継モデルを”ミウラに勝る魅力を持つ”モデルにしたかったわけですね。
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最終的に発売されたフェラーリ365GTB/4 デイトナは、シャープなフロントを備える「スーパーカー然」としたデザインを持っていて、さらにフェラーリはこの後のV12フラッグシップモデルをミドシップへと移行させたうえ、V8エンジン搭載のスモールフェラーリシリーズにおいてもウエッジシェイプを持つスーパーカーライクなデザインへと変化させているので、文字通り当時はあらゆる面での「移行期」「過渡期」だったのだと思われます。
折しも「もうフロントエンジン車の未来は終わり」という意見まで出た当時ではありますが、フェラーリ創業者であるエンツォ・フェラーリは「牛車は牛が引っ張るものであって押すものではない」と述べるなど、強くフロントエンジン車の可能性を強く信じていたといい(ただしその後はレーシングカー、市販車ともどもミドシップに移行しているので、ミドシップ車のメリットも十分に理解していたものと思われる)、よってフェラーリ275GTB/4の後継者は「ミドシップ以上のものでなくてはならない」として365GTB/4デイトナの開発にはそうとうな注力を行ったと考えてよく、まさにこのプロジェクトはフェラーリの未来を占うものであったのかもしれません。
このフェラーリ365GTB/4 デイトナ「プロトタイプ」はこんなクルマ
今回オークションに始めて登場するシャーシ番号10287「デイトナ・プロトタイプ」は、275GTB/4と同型のTipo596シャーシを採用し、車体構造は鋼管パイプ製、ホイールベースは2,400mm(275GTB/4と365GTB/4に共通するホイールベース長)。
注目すべきはその心臓部で、当時のフェラーリのロードカーには搭載されていなかった、新設計のコロンボ・エンジンが搭載されていることで、これはドライサンプ、3バルブヘッド、デュアルイグニッション、ツインスパークプラグ、ウェーバー40DCN18キャブレター6基搭載というスペックを持ち、エンジンブロックは330GTのものをベースに4,380ccへとボアアップされています。
こエンジンは、1967年のデイトナ24時間レースで3位に入った412P、数々のレースで優勝し、歴史に名を残したプロトタイプレーサーである330P4に積まれるエンジンとの類似性もあり、1気筒あたり1つの排気バルブを持つダブルインレットバルブも採用されています。
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フェラーリ365GTB/4 デイトナ「プロトタイプ」のスタイルについて触れてみると、フロントガラスより前のデザインは275GTB/4を連想させるもので、市販モデルの365GTB/4とは異なって随分クラシカル。
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ただし後ろから見てみると、エンツォ・フェラーリが365GTB/4デイトナで最も気に入っていたと言われる「リアの3/4セクションとルーフライン」を持つこともわかり(365GTB/4デイトナと同一ではないが、雰囲気はかなり近い)、ここから最終的な市販モデルの365GTB/4デイトナへと移行したのだということが理解できますね。
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このシャシーナンバー10287は1967年初頭に完成し、その年のうちにモデナ・オートドロームで大規模なファクトリーテストを実施していますが、1968年5月8日に、800万イタリアリラにて、ローマのフェラーリ正規ディーラー、Motor S.a.s. di Carla Allegretti e Cへと売却され、この際にイタリアのナンバープレート「Roma B 85391」を付けて初めて登録したと言われます(この価格は新車の275GTB/4と同程度で、しかしその時点ではまだ365GTB/4デイトナの市販モデルは登場していない)。
その後このフェラーリ365GTB/4デイトナ プロトタイプは、ローマの実業家であるヴィンチェンツォ・バレストリエーリ伯爵へと”貸し出され”、彼はスポーツ活動、特にオフショア・パワーボートレースで有名になり、このシャシーナンバー10287を所有していたであろう1968年と1970年に、オフショア・パワーボートレース世界チャンピオンとなったことも。※同伯爵はアメリカ人以外で初めて世界選手権を制し、4連覇を達成したドライバーでもあり、この間に5つのスピード記録を達成するなど非常に優れたスキルを持っていたようだ
ヴィンチェンツォ・バレストリエーリ伯爵の息子の回想によると、伯爵は新車のフェラーリ365GTB/4を注文していたものの、納車前にエンツォ・フェラーリとの会話で、365GTB/4のスパイダーバージョンが登場することを知り、そちらを欲しがったそうですが、そのためエンツォ・フェラーリはデイトナ・クーペを納車する代わりに、シャシーナンバー10287プロトタイプを(おそらく上述のディーラー経由にて)貸し出すことに決めたのだそう。
そして伯爵はデイトナ・スパイダーの納車を待つ間にこのプロトタイプを楽しみ、その後デイトナ・スパイダーが完成した後、シャシーナンバー10287プロトタイプと入れ替えることとなったようですね(当時の雑誌、「Cavallino 211」にこのクルマの特集記事があり、その事実が記録されている)。
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(フェラーリの権威である)マルセル・マッシーニの報告書によると、この車の最初の(上述のディーラーを除く)個人オーナーはローマのFIMA S.p.A、そして次のオーナーはボローニャのガンパオロ・サルガレッラ(1972年にFIMA S.p.A からこの車を購入)だという記録が残りますが、サルガレッラ氏の元に長く留まることはなく、同年5月にイタリアからアメリカへ輸出されることに。
その後、アメリカ南部で数人のオーナーを経て、1978年にイリノイ州シカゴのビクター・N・グーレがこのプロトタイプを購入し、同年にブラックホーク・ファームズ・レースウェイで開催されたフェラーリ・クラブ・オブ・アメリカ・セントラル・ステイツのイベントにてこのクルマが披露されています。
ビクター・N・グーレはその後南カリフォルニアに移り住み、1989年にはこのプロトタイプをオランダ人へと売却することになりますが、このオランダ人はさらにイタリアの自動車ディーラーにこれを転売し、この後には1993年5月にフランスのディオンヌ・レ・バンで開催されたグランプリや、サンモリッツで開催されたフェラーリ・スイスの20周年記念ミーティングなど、いくつかのイベントにて展示したという記録も残っているもよう。
2003年、このフェラーリ365GTB/4デイトナ プロトタイプの運命が変わる
そして2003年9月になると事態が大きく動き、まずは現在のオーナーの父親がこのフェラーリ365GTB/4デイトナ プロトタイプを入手し、前出の雑誌、Cavallino 211にその時の要するについてこう語っています。
このクルマを滴入れたとき、かなりひどい状態だったが、なんとか走らせて、2003年のフェラーリ・クラブ・ミーティングに参加した。そこで「このクルマが何だかわかるか」と、年配のクラブ員たちに聞かれたんです。ですから私は「まあ、かなり手を入れないといけないクルマですね」と答えたんですが、このクルマが本当に特別な車であることがわかったのはその時で、そこからはこのフェラーリ365GTB/4デイトナ プロトタイプの歴史をすべて調べようと必死になりました」。
その後、このオーナー父子は、フェラーリ365GTB/4デイトナ プロトタイプがフェラーリで果たした重要な役割に魅了され、果たしてこのクルマを完全にレストアしてかつての栄光を取り戻すことを決意するわけですが、そこでこの時代のフェラーリに豊富な経験を持つ、オランダの信頼できるスペシャリストに託すことになり、メカニカルな作業はフォルツァ・サービスのアレックス・ジェンセン、ボディワークはCarrosseriebedrijf Bart Romijnders、インテリアワークはHVL エクスクルーシブ・イタリアン・インテリアとクラスレザーがそれぞれ担当したと紹介されています。
フェラーリ365GTB/4デイトナ プロトタイプのレストアが完了した後、2012年5月に開催されたヴィラデステ・コンコルソ・デレガンツァでその美しい姿が初公開されることになり、それとともにクラシックカー愛好家やモータージャーナリストから大きな注目を集め、オランダの「GTO by Autoweek」3号、フランスの「Rétro Viseur」2014年9月303号、前出の「Cavallino 211」2016年2・3月、オランダAutoWeek Classics」2016年7月、オランダ「Octane」2016年8月号などで特集記事が組まれたそうですが、単一の個体がこれだけの注目を浴びるというのは極めて珍しい例かもしれません。
このレストアにおける、最終的かつ最も重要なステップは、フェラーリから公式に「プロトタイプ・クラシケ」の認定を受けることであったことは想像に難くなく、その過程においては、365GTB/4デイトナに採用された「4つの」丸形テールランプではなく、もともとのシャシーナンバー10287プロトタイプには6つの小さなテールランプが装着されていたこともわかり、人手の途中で「当時の仕様へと」戻されたり、ということもあったと記されています(この後に製作されたプロトタイプでは、4つの丸形ランプが与えられているので、”6つ”はこの個体特有の特徴なのかもしれない)。
そういった修正の後、予約フェラーリから認定を受けて”レッドブック”が発行されるわけですが、この証明書には、現在のシャシーナンバー10287プロトタイプが、オリジナルのシャシー、オリジナルのエンジンを保持し、正しいタイプの交換用トランスアクスルギアボックスを装着している(これだけはオリジナルではないようだ)ことが記載されています。
レストア終了後、このシャシーナンバー10287プロトタイプは2015年2月から2016年3月までフェラーリ美術館(ムゼオ・フェラーリ)に展示されることになり、これはシャシーナンバー10287プロトタイプにとって非常に重要な名誉だと言ってよく、このクルマの価値を一層高めることとなりますが、さらに同年末にはオランダで開催されたコンクール・デレガンス・パレイス・ヘット・ルー・アペルドールンでベスト・オブ・ショーの栄誉に輝き、2017年のズート・コンクール・デレガンス、オランダにおけるフェラーリの70年を祝う特別展でも展示されるなど、経歴としては申し分のない一台です。
ただしその後、このクルマは「保存」が重要視されるようになったため、めったに見ることができなくなったそうですが、レストアの際にエンジンやメカニカルな作業を担当したフォルツァサービスが常にメンテナンスを行っているとされ、直近では今年3月に整備を受けたとのこと。
レストア完了後に走行したのは約1,000kmのみで、ジャッキ付きのツールキット、レストア時の写真を含むヒストリーファイル、クラシケ・バインダー(レッドブック)、フェラーリ博物館からの証明書、以前に装着していたカリフォルニアナンバープレートと(最初に取り付けられた)複製のローマナンバープレート、受賞時の各種賞状が付属しています。
このシャーシ番号10287プロトタイプは、275GTB/4と365GTB/4というフェラーリの最も重要な2つのモデルのちょうど真ん中に位置しており、メカニカルな面でも美的な面においてもこれら2つのモデルの中間的な存在であることが一目瞭然ですが、ワンオフのパワーユニットと、275GTB/4と365GTB/4両方の(市販モデルの)ディティールを反映したスタイリングが組み合わされており、その価値はまさにプライスレス。
フェラーリ自らが展示したことからも分かる通り、同社にとっての歴史的価値も図りしれず、世界中のフェラーリコレクターが注目する出品となりそうですね。
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参照:RM Sotheby's