
| ピニンファリーナは創業以来、数々の転機を迎え現在まで存続してきた |
現在、ピニンファリーナは「自動車デザインオフィス」を超えたライフスタイル創造企業である
さて、先程は「フェラーリとピニンファリーナとの決別」について述べましたが、今回はピニンファリーナについて少し掘り下げてみようと思います。
ちなみに創業者のバルトロメオ・ピニンファリーナは、もともと「ファリーナ」という名字であったものの、多くの兄に囲まれた末っ子で、そこで「小さい」という意味の「ピニン」という愛称にて呼ばれていたのだそう。
そして成長した後も「ピニン」の愛称で呼ばれ続け、その相性を自身の名字へと取り入れ「ピニンファリーナ」へと”正式に”改名したと伝えられています。
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カロッツェリア「ピニンファリーナ」の誕生
ピニンファリーナ(Pininfarina)は、1930年にイタリアのトリノで創業され、創業者はバルトロメオ・ピニンファリーナ(Battista "Pinin" Farina)。
最初は独立した自動車デザイン工房としてスタートし、ピニンファリーナは車体の設計と製造を行う小さな工房であったものの、その卓越したデザインの感覚と技術によって、すぐに注目を集めることになったようですね。
1940年代〜1950年代: 黄金時代の到来
第二次世界大戦後、ピニンファリーナは急速に成長を遂げますが、この時期にはフェラーリやアルファロメオ、マセラティなどの名車と手を組み、名車のデザインを担当しています。
特に1950年代に発表されたフェラーリの「250 GT」やアルファロメオ「6C 2500」などは、ピニンファリーナの名を世界に知らしめた存在として認識されています。
フェラーリとの深い関係
ピニンファリーナは、創業当初からフェラーリと深い関係を築いており、フェラーリのほとんどの車両のデザインを手掛けてきたことでも知られます。
1950年代の「フェラーリ 212 Export」や「フェラーリ 250 GT」などの名車をデザインし、フェラーリとピニンファリーナのコラボレーションによるクルマたちは、スポーツカー業界において金字塔とも言える存在となりますが、ピニンファリーナが手掛けたフェラーリのデザインは、単なる美しさだけでなく、空力的な効率性やドライビング性能にも大きな影響を与えたことでも知られます。
このパートナーシップは、フェラーリのブランド価値を高める要因となり、同時にピニンファリーナを世界的に有名なデザインスタジオへと成長させました。
なぜフェラーリはピニンファリーナを選んだのか?
なお、「なぜエンツォ・フェラーリがピニンファリーナをパートナーに選んだのか」という明確な理由は文書として残っておらず、そこには以下のようないくつかの理由が考えられます。
ピニンファリーナのデザイン的特徴
ピニンファリーナは特に流線型、そしてエレガントなデザインを得意とし、これが「レーシングカーであっても美しくなければならない」というエンツォ・フェラーリの哲学とマッチしたのかもしれません。
エンツォ・フェラーリの戦略
エンツォ・フェラーリは、自社のロードカーを成功させるために、そのデザインを一流のカロッツェリアに依頼することを重視しており、製品の希少性を高め、顧客の憧れのブランドとするための卓越したマーケティング戦略を持っていたことでも知られますが、その一環としてピニンファリーナの美学が「最適である」と判断したのだとも考えられます。
フェラーリとピニンファリーナとの相性の良さ
フェラーリとピニンファリーナの関係は、1952年の「212インテル・カブリオレ」から始まりましたが、両社の哲学とデザインの方向性が非常に良く合致し、多くの魅力的なモデルを生み出すことになります。
ピニンファリーナの持つ均整の取れた上品な美しさは、フェラーリのスポーツカーとしての性能と見事に融合し、この点においても両者は「理想的なパートナー」であったのかもしれません。
ピニンファリーナの製造能力と独占契約
ピニンファリーナは、当時のカロッツェリアの中でも比較的大きな製造施設を抱えており、デザインだけでなく、実際の車両製造においても協力が可能であったと言われます。
エンツォ・フェラーリは、ピニンファリーナとの独占的な関係を築くことで、他社に先駆けて最高のデザインに加え、その製造能力を手に入れることを目指したのだとも考えられます(エンツォ・フェラーリの悩みの多くは”小規模企業であるがゆえの”人材やパートナー企業の確保であった)。
そしてもちろんピニンファリーナにとっても”フェラーリと独占デザイン委託契約を結ぶことには”多くのメリットがあり、「フェラーリのデザインを一手に引き受ける」という金看板のもと、業界や消費者からの信頼を勝ち取り、多くの受注(企業からはもちろん、裕福な顧客からのワンオフモデル制作など)を獲得することができたのだと言われていますね。
参考までに、ピニンファリーナは巨大企業であるフォードの専属デザイン契約を断っており、しかし当時はフォードとは比較にならないほどのマイナー企業であったフェラーリを選んだということは(契約内容の相違があったとは思われるものの)、フェラーリにそれだけの価値を見出したということなのでしょうね。
1960年代〜1970年代: グローバルな影響力
1960年代に入ると、ピニンファリーナは自動車デザインだけでなく、建築や家具デザインなどにもその影響力を広げ、そして本業であったスポーツカー市場を中心に数々の傑作を生み出し、フェラーリのみならず多くのクライアントからの信頼を深めることに成功します。
この時期、ピニンファリーナはフェラーリのほかにもマセラティ、ランボルギーニなど、名だたる自動車ブランドのデザインを手掛け、その名声をさらに確固たるものにし、業界においてもは「その名を知らぬものがいないほど」にまでその地位を高めていて、「カロッツェリア全盛時代」の立役者であったと言っていいのかもしれません。
1980年代〜1990年代: 多岐にわたるデザイン展開
1980年代以降、ピニンファリーナは自動車以外にもさらに多くのデザインプロジェクトを手がけるようになり、業界の枠を超えてその名を広めるとともに、自社名義でのコンセプトカーや未来的な自動車デザインへと挑戦し、時代の先端を行くデザイン哲学を提案しています。
このあたり、「フェラーリへと依存しつつも」別の道を模索している様子をうかがうことができ、これによって多くのカロッツェリアがその後倒産の憂き目を見る中で存続が可能となったのかもしれません。※後述の通り買収されはしたものの、それは買収するだけの価値があったからだとも言いかえることができる
2000年代: インド企業による買収
ピニンファリーナは、2000年代に入ると経営環境の変化に直面し、2005年にはインドの自動車メーカー「マヒンドラ・アンド・マヒンドラ」によって買収されることに。
この買収により、ピニンファリーナは新たな経営体制のもとでモビリティ関連のデザイン革新を続けつつ、インド市場を含む新興市場への進出を果たすことになるのですが、買収後であってもピニンファリーナはそのデザイン哲学を維持し、特に高級車や電気自動車のデザインに力を入れています。
なお、2013年にはフェラーリとの提携を解消し、これによって大きな転機が訪れます。
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2000年代〜現在: 持続可能な未来へ
フェラーリとのパートナーシップ解消によってピニンファリーナは新しく生き残りをかけたさらなる道を模索することとなり、環境への配慮を強化した電気自動車やハイブリッドカーなどの持続可能な車両デザインに注力するようになります(水素自動車のコンセプトを発表したのもこの頃)。
エコデザインや新技術の導入を進めたほか、自動車だけでなく、都市デザインやインテリアデザインなどにも取り組み、さらなる革新を目指して活動していますが、特に、電動モビリティの分野では先進的なデザインを提供しており、2018年には自社による初の市販車「バッティスタ」を発表。

なお、このバッティスタの名は創業者から取られており、その理由は「ピニンファリーナの創業者の夢は、自身の名を冠したクルマを発売することであったから」だとされ、その子孫がついにこの夢を実現したということになりますね。
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さらには力を増してきた中華系自動車メーカーがピニンファリーナへと車両デザインを委託する例も増えてきますが、これもやはり「契約が終了したといえどフェラーリのデザインを担当していた」という事実、それによって極限まで高められた名声の賜であるとも考えられます(性能や機能では日米欧の自動車メーカーの製品を超えるkとができなかった当時、中華系自動車メーカーにとって、自社の製品の認知度を高めるには”ピニンファリーナ”の名が最適な解であったのだと思われる)。
現在: ピニンファリーナの未来
現在、ピニンファリーナは単なる自動車デザインの枠を超え、持続可能で革新的なデザインを提供する企業として世界的に認知されています。
未来のモビリティ、都市開発、さらにはインテリアデザインや高級家具など、さまざまな分野でピニンファリーナの影響力は広がり続けており、ピニンファリーナは今後もデザインという範囲にとらわれず、人々のライフスタイルを豊かにする革新を続けてゆくこととなりそうですね。
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参照:Pinifarina