スポーツカーメーカーが速い車を発売すると必ず出てくるのが「速い車不要論」。
日本ではそんなに速度を出せない、どのみち速度は100キロに制限されている、というのがこの趣旨になりますが、この理論だと全てが味気ないものとなってしまうのでは、と思います。
食べ物も必要なカロリーを摂取すれば良いだけということになり美味しさを追求するのは不要になりますし、衣類も雨や寒さをしのげればそれでOKということに。
まるで配給制の社会主義国のようですが、人間は本来誰しもが向上意欲を持っており、より良いもの、より良い生活を求める傾向がある、と考えています。
その欲望が人類をここまで発展させたわけで、それは悪いことではないと考えるのですね。
加えて、「必要最小限」がいいか悪いかという問題はさておき、余裕があるのとないのとではまた異なります。
パワーのある車は危険回避において「加速して回避」することが可能ですし、速い車は一般に強力なブレーキを持っているので「制動力で聞き回避」も容易なわけです。
身近な例だと、500円のワンコイン定食を食べるのに500円しか持っていないのと1000円持って行くのとでは差異があるとぼくは考えています。
確かにワンコイン定食は500円で充分ですが、もしかすると威力的なトッピングを+100円で購入できるかもしれませんし、一つ上の定食の方が「今日の気分」にマッチしているかもしれません。
そういったときに500円しか持っていないと選択肢が著しく狭くなってしまうわけですね。
お金を余分に持って行って「買わない」のと、お金が足りなくて「買えない」のとでは結果は同じながらも根本に差がある、ということです。
さて、話を元に戻すと「速い車不要論」。
フェラーリやランボルギーニ、ポルシェなど外国のスポーツカーメーカーがこういった車を発売すると「いらない」となるのですが、なぜか日産がGT−Rを発売したりホンダがNSXを発売すると「日産GT−R最高!ホンダNSX最高!」となるので、実際のところ本気で「速い車が不要」と考えているわけではなさそうです。
これをさらに紐解いてみると、ポルシェやフェラーリ、ランボルギーニは高価な車で知られ、なかなか買うことが難しいので「(誤解を恐れずに言うと。ぼく自身もそうなので)やっかみや妬み」も入って「いらない」と考えている可能性があるのかもしれません。
反面、日産GT-RやホンダNSXは、こう言った欧州の高額知られるスポーツカーメーカーに「対抗する」立場であり、そのチャレンジ精神を持って評価されているのではないかと考えられます。
ホンダNSXは非常に高価ですが、価格に関わらず、ぼくら日本人の「夢」というか後発ながらも巨人に勇敢に立ち向かう姿が勇気を与えてくれるのでは、と思うのですね。
コンピューター業界でいうと、ウィンドウズがハッカーの攻撃対象になり、巨大なウィンドウズ帝国に挑むアップルはハッカーから評価される、という構造に似ているのかもしれません。
なおよくパトカーについても高額な車が採用されると批判される様子が見られますが、これは単に「税金の無駄遣い」という正義感的な観点からなのだと思います。
ただ、スポーツカーやスーパーカーを採用することは警察のイメージ向上につながりますし、優秀な人材を確保することにもつながり、お金に換算出来ないメリットがあるとぼくは考えているのですね。
人は自分より優れる能力を持つ人に対して、また自分が購入できないものを購入できる人に対して、要は「自分が持っていないものを持っている」人に対して本能的に嫉妬を感じ攻撃対象とみなすのだと思いますが、嫉妬は人間を小さくしてしまうと考えており、自分が持っていないものを持っている人を批判したり自分を卑下するよりは、「自分も(今は持っていないけれど)持てるようになろう」と努力することが人生を前進させるのだと信じています。