
1. イントロダクション:すべての始まりは1937年
1.1 魂の工場、ツッフェンハウゼンの礎石
ポルシェが何百万台ものスポーツカーを世界に送り出す原点となった「聖地」がシュトゥットガルトのツッフェンハウゼン。
1937年11月、シュピタルヴァルト通りとシュヴィーベルディンガー通りが交差する角地に、最初の建物の礎石が据えられることとなり、この瞬間から動き出したポルシェの物語は、まるで現代のスタートアップが世界に挑み、成功を勝ち取る軌跡にも似ています。
元々、ポルシェ設計事務所はシュトゥットガルトの中心部、クローネン通り24番地にあったものの、自動車産業のイノベーションをリードする重鎮へと成長するにつれ、十分なスペースが不足しはじめたことが移転の理由だそうですが、顧客から依頼された車両開発作業にはポルシェ家邸宅のガレージ(フォイエルバッハ通り)が使われていたほど「スペースが足りなかった」ようですね。
1.2 幻の「緑とスポーツ施設」
かくしてツッフェンハウゼンにポルシェの新しい拠点が誕生する運びとなり、1937年、企業家家族ヴォルフからフェリー・ポルシェが購入した敷地には建築家リヒャルト・プフォブが設計を担当した工場が建つことに。
当時の設計図には「緑とスポーツ施設に囲まれた3階建てのレンガ造りの工場」が描かれ、1937年11月20日付の計画では、工場の左側に従業員のための憩いの場やスポーツ施設(100メートル走トラック、走高跳/走幅跳エリア、プール、菜園など)が計画されていたそうですが、暗い時代が迫っていたため(第二次世界大戦が1939年に開戦)、最終的に実現したのは工場となる建物だけであった、と記録されています。
Image:Porsche
1938年6月26日、工場の完成と同時にポルシェは176人の従業員と共にシュトゥットガルト中心部から郊外のツッフェンハウゼンへ移転し、ここが当時のDr. Ing. h.c. F. Porsche KGの拠点、第1工場として機能しています。
2. 戦後復興と伝説の誕生
2.1 356の帰還と第2工場の誕生
戦争勃発を機に、ポルシェはオーストリアへ移転し、最初のポルシェ356の52台がグミュントで製造開始。
ポルシェがシュトゥットガルトに戻った後も第1工場は連合軍に占拠されていたため、エンジンの生産と組付けは通りの向かいにあったロイター社の第2工場で行われ(ロイター社はポルシェから車体製造を委託されていた会社である)、そして1950年4月6日、ついにツッフェンハウゼン製のポルシェ356第一号が完成し、この伝説的なスポーツカーは、1965年の生産終了までに約7万8千台が生産された「大ヒット」に。※第1工場の引き渡しが遅れたため、1952年にはシュトゥットガルトの建築家ロルフ・グートブロートが設計に携わった第2工場で生産が先に本格化
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2.2 911の時代へ:巨大化する生産拠点
1960年には現在の第3工場に相当する敷地が取得され、販売部門、カスタマーサービス部、スペアパーツ中央倉庫、納車部がここに集結。
そして1963年、ポルシェはロイター社のボディ工場を引き継ぐことになりますが、この年、ポルシェは従業員数を約2,000人へと倍増させて企業規模を拡大させ、当時はまだ901と呼ばれていた最初の911が生産されたのもこの年のことです。
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3. ツッフェンハウゼン工場 進化の歴史ランキング
356を超える大ヒットとなった911は1970年代に着々とモデルラインナップを充実させ、ポルシェの生産拠点は継続的な拡張とハイテク化によって現在の60万平方メートルを超える生産拠点へと変遷を遂げることとなりますが、以下は、ツッフェンハウゼン工場における革新的な拡大期、およびターニングポイントの「ランキング」。
順位 | 年代 | 主な進化ポイント | 影響を与えたモデル / 背景 |
1位 | 2010年代〜2019年 | 電動化への対応とハイテク生産の融合 | フルEV「タイカン」の生産開始、車体工場、塗装工場、組立工場、第2コンベアブリッジの建設。カスタムメイドとハイテク生産の融合を実現。 |
2位 | 1963年 | 911生産開始とボディ内製化 | ロイター社のボディ工場を引き継ぎ、従業員数を倍増(約2,000人)。ポルシェの象徴、911(当時は901)の生産拠点となる。 |
3位 | 1937年〜1938年 | ツッフェンハウゼンへの移転と創業 | 礎石が据えられ、176人の従業員と共にポルシェ設計事務所が郊外に移転。ポルシェの生産基盤が確立。 |
4位 | 1980年代 | 柔軟性の高いボディ生産の確立 | 第5工場が立ち上げられ、象徴的なコンベアブリッジを建設。車両を第5工場から第2工場の最終組立エリアへ移動。 |
5位 | 1950年 | 356生産再開と工場分散 | ツッフェンハウゼン製の356第一号が完成。戦後の混乱を経て、エンジン生産が第2工場で始まる。 |
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4. 最新の市場動向を踏まえた考察:継承されるハイブリッドのビジョン
その後、ツッフェンハウゼン工場はカスタムメイドのクラフツマンシップを大切にしつつも、最新テクノロジーを駆使した生産を融合させており、その最たる例が、2019年に生産がスタートしたフルEV「タイカン」。
このEVへのシフトは、ポルシェが直面する最新の市場動向を強く反映しています。
さらにポルシェの電動化戦略は、単に現代のトレンドに乗っているだけでなく、ポルシェ創業者であるフェルディナンド・ポルシェの技術哲学を継承しています。
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若きフェルディナンド・ポルシェは、当時からモーターとエンジンの長所を組み合わせる「ハイブリッド駆動」に関心を寄せており、創業から100年以上経った今、ポルシェのエンジニアたちは、このアイデアを様々な形で継承し、未来へと発展させているわけですね。
その具体例が、パナメーラ・ターボ E-Hybridといったモデルの登場で、ポルシェは、電動化時代においても「継続性」という原則を追求しています。
起源に忠実であり続ける哲学こそが、この会社に長期的な成功の礎を築いたのだとも考えてよく、その一貫性、そして継続性こそが「ポルシェのポルシェたる所以」であり、変わらずファンからの支持を受け、コレクターを魅了し続けてきた原動力なのかもしれません。
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5. まとめ:広がり続けるポルシェの礎
当初「設計事務所」からスタートしたポルシェは、最初の図面から比較して60万平方メートルを超える巨大な生産拠点へと成長を遂げており、ツッフェンハウゼン工場は伝説の356、そしてポルシェの顔である911を生み出し、現在は未来のEVであるタイカンを生産する場所として、常に進化し続けています。
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