| スーパーカーやスポーツカーを購入するとき、どうやって家族を説得するか |
さて、よく聞かれるのがスポーツカーやスーパーカーを購入するとき、どうやって家族を説得するのか、ということ。
ぼくは幸いにしてその必要はなく、よってこれに悩まされることはありませんが、よく尋ねられるので、この問題については日常的に考えることがあります。
まず、もっともぼくが重要だと考えているのは、「よりよい人生を送る」ということ。
「より良い」の定義は人によって変わるものの、ぼくの場合は「好きなモノに囲まれて暮らす」。
その中にスーパーカーやスポーツカーが含まれるわけですね。
なぜぼくはモノが好きなのか
そしてなんでモノが好きなのかというと、そのモノに触れることで、そのモノの造られた背景や、作った人の想いが伝わってくるから。
たとえばランボルギーニのクルマを見て、「なぜここはこうなっているのか」、フェラーリのクルマを見て、「このパーツにはどういった意味があるのか」、マクラーレンのクルマを見て「この構造はどういった理由で採用されているのか」と考え、理解することで、それを作った人と考え方を共有することができるとも考えていて、その意味では「モノと会話をする」と言い換えることも可能。
戦略的な部分だと、ポルシェが「エレクトリック」に移行するためにどういった戦略を何年前から取ってきたのか、そしてポルシェと同じようにル・マンで優勝したトヨタはなにをしたかったのか、ポルシェとトヨタとの「マーケティング」に対する姿勢の違いは何なのか、なぜフェラーリは広告を打たないのか、どうしてアストンマーティンは潜水艦を作るのかといったようなことも同様で、ぼくはクルマ本体と同じくらい、そのクルマやメーカーの背景にあるものや戦略が好きだ、と考えています。
一流を理解できる人間が一流である
もっと短絡的に言うと、「一流の製品に触れ、一流の考え方を理解できるようになれば、その人はもはや一流である」ということ。
だからぼくは常に新しい技術やハイエンド製品に触れるのが好きなのですが(旧い製品からも学ぶことは多い)、たとえ自分で購入できなくとも、クルマの場合は試乗したり、ほかの製品であればショールームに出かけていって「体験」したりすることに。※ぼくが一流であるということではなく、そうではないからこそ、一流になろうと努力している
話が長くなりましたが、「いい製品に触れると、自分自身も豊かになり、人間としての引き出しが増える」とぼくは常々考えていて、「自分より格上の人としか付き合うな」と言った孔子のように、「自分の手に入れることができないような格上の製品と会話することで」自分を成長させることができる、とも考えているのですね。
今とちょっと前とでは社会構造が変わってしまった
さらに踏み込んでゆくと、たとえば一昔前はモノやゲームにばかりお金を使う人は社会不適格者で、「飲み」などコミュニケーション、ネットワークやコネクションづくりにお金を使う人がで成長する可能性や成功する可能性が高い、と言われたことも。
そういった意味では、「モノ」にばかりお金をつかうぼくはよく「お金の使い方を間違えている」と言われたものです。
モノにお金を使ってもなにも返してくれないよ、と。
しかし時は移ろい、現在ではブロガーやユーチューバーなる職業が一般化し、モノ系レビュワーであれば「なんぼモノにお金を突っ込んだか」、ゲーム系ユーチューバーであれば「どんだけそのゲームに時間をかけたか」がその人としての「深み」を決めると言っても過言ではありません。
つまり「モノ」に投資をするというのも現代におけるひとつの人生のあり方で、その意味ではこうやってこのブログをたくさんの人が見にきてくれるのも、これまでモノやクルマにお金を突っ込んできたからであり、それはモノやクルマたちが今のぼくになにかを返してくれているのでしょうね。
話をクルマに戻すと、クルマというのは、現代においては「あらゆる技術やビジネス手法の宝庫」だともぼくは考えています。
自動車本体の中には、デザイン、物理学、航空力学、素材、電子工学、その他モロモロが内包されている、ということですね。
そして今は「いい製品を作れば売れる」時代ではなく、その製品の存在や特徴を消費者に理解してもらわないと売れない時代。
そして情報が洪水のように溢れる中では、消費者は自発的に情報を探すことは少なく、流れてくる情報を取捨選択するだけで精一杯。
そういった状況の中で、どうやってモノを売るのかという「戦略」は非常に重要であり、そして裾野まで入れると産業としては最大規模である「自動車業界」は、その製品だけではなく、「売り方」についても最先端。
メーカーによるプロモーションやイベント開催と内容、CIを導入した店舗の構成やサービス、用意する資料などなど。
そのメーカーのクルマに触れるということは、そういった「あらゆる技術やビジネス手法」に触れることだと考えていて、そういった経験がやはり自分の深みを増すことになる、とも認識しています(ただし、こういったモノやコトに触れても、理解できない人や、学ばない人もいるのもまた事実)。
スポーツカーやスーパーカーは万人に売ることを考えていない
そして、もっともこういった技術やビジネス手法がわかりやすいのがスポーツカーやスーパーカー。
というのもスポーツカーやスーパーカーは「何かのために、何かを切り捨てた」乗り物。
そのために製品そのもの、プロモーションについても特定の人だけをターゲットにしていて、つまり先鋭化しているわけですね。
よって、そういった先鋭化された製品やプロモーションを知ることは、人生においてけしてマイナスにならない、と考えています。
なお、SUVというかオフローダーもスポーツカー同様の考え方を持っていて、ぼくがスポーツカーとオフローダーをとりわけ好むのは、どちらも「何かのために、何かを犠牲にした”割り切った”製品だから」。
前に進むためには、なにかを置いてゆかなければならい、ということですが、「前に進むことしか考えていない」のがスポーツカーやスーパーカー、そしてオフローダーだと考えています。
そろそろ話をまとめよう
ぼスポーツカーやスーパーカーは一般の多くに向けた製品ではなく、もともと生活に「不要」な製品であるということが大前提。
しかしその製品を欲しいと思うということは、その製品やプロモーションのどこかに惹かれ、価値を見出したということ。
そしてその価値の理由を考えるということは、(商業に携わる人でなくても)人生において大きな意味を持つ、と考えています。
現代において「不要なものを必要と思わせる」技術を身に付けることはとても重要で、そういった技術を身につけるにはモノの購入を通じ、自腹を切って「学ぶ」しかなく、そしてそれは額が大きければ大きいほどリターンが大きい、と考えているのですね。
ぼくの知る限りですが、スポーツカーやスーパーカーを購入した人々は、その体験を通じて必ず何かを学び取り、それを人生にフィードバックさせることで、さらに良い人生を送っているように思われ、最初は「清水の舞台から飛び降りるつもりで」購入した最初のスポーツカー/スーパーカーから次々と乗り換え、ステップアップしてゆく人ばかり。
ぼく自身も最初のポルシェ(986ボクスターS)を購入したのちポルシェを2台、ランボルギーニを2台購入し、さらには4台目のポルシェが納車されようとしているところでもありますが、やはりスポーツカーやスーパーカーはぼくに福を呼び込んでくれたのだろう、と信じています。
少なくとも、「宝くじ当たったら買う」という”人任せ”でも”待ち”でもなく、自分で、自分の望みを叶えるために動いたことが人生の糧になったことは間違いありません。
そして、そういった夫や父を持つことは、妻や子どもにとっても(たぶん)喜ぶべきことだと思われますが、次回は具体的に、”家族対策”について述べてみる予定です。
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