| 当時のメルセデス・ベンツには「様々な事情」があった |
そしてメルセデス・ベンツはその失敗から多くを学んでいる
さて、メルセデス・ベンツは25年前のパリ・モーターショーにてW220世代のSクラスを公開していますが、この新型Sクラスは新しいデザイン言語、画期的なテクノロジー、新しいエンジンを導入し、さらにはラグジュアリー性に関するレベルを新たな次元へと引き上げた画期的なクルマであると言われています。
先代(W140)同様に「世界最高の車」と評されることもしばしばで、自動車専門誌はその優美なスタイリング、驚くべきスピード、レーダーガイド付きクルーズコントロールやアクティブ・ボディ・コントロール(ABC)サスペンションのような洗練された先進装備をこぞって評価したわけですね。
ただしその一方で、このW220型Sクラスは「メルセデス・ベンツが利益のために大きくコストを削減し、結果的にブランド価値を失墜させた、Sクラス史上最大の汚点」であると見る向きもあるもよう。
当時、何がメルセデス・ベンツをそこまで追い詰めたのか
そしてなぜ当時、メルセデス・ベンツがそこまで利益獲得に走る必要があったのかを振り返ってみると、その最大にして唯一の理由は「初代レクサスLS(トヨタ・セルシオ)がもたらした脅威」。
メルセデス・ベンツの主戦場であったアメリカ市場では長らくドイツ勢の支配が続いており、1980年だとW124型Eクラスはアッパーミドルクラスの成功の象徴であり、W126型Sクラスは文字通り「富と名声の象徴」とされていた時代です。
しかしながら1989年、レクサスが「LS400」を発表すると事情が一変します。
レクサスLSは優れた洗練性、この上ない快適さ、これまでの自動車では望み得なかった精密機械のようなクオリティ、機能満載のキャビンを誇りながら既存ライバルの半額近い価格で登場し、結果的に瞬く間にメルセデス・ベンツ、BMW、ジャガーから市場シェアを奪ってしまい、アメリカの富裕層は我先にとレクサスLS400へと乗り換えることになったわけですね(NSXがスーパーカーのあり方を変えたように、レクサスLSもまた高級車のあり方を根本から変えてしまった)。
その結果、メルセデス・ベンツはW126の後継車を企画するに際し、あらゆる手段を講じなければならないと考え、1991年に登場したW140型Sクラスは以前よりも大きく、重く、しかし新たなレベルのラグジュアリーを導入することに。
しかしその代償として価格はW126より(平均で)25%高くなってしまい、さらには当時から少しづつ芽生えてきた環境意識の高まりを背景に「無意味に大きく、富を強調したクルマ」だと評されてしまい、実際に発売される前からその評判が芳しくなかったと言われています。
ちなみにですが、このW126型メルセデス・ベンツSクラスは上述の通り「大きく、押し出しの強い」クルマでもあるため、極道稼業の人々はこれを非常に気に入ったといい、その後のW220型Sクラスが登場した後も「W220は見た目のインパクトが弱い」という理由からW126型を好んで乗り続ける例が多かったという話も聞かれます(よって、W126型はヤクザベンツと呼ばれていた)。※ぼくはW126型のほうがW220型よりもカッコいいと考えている
メルセデス・ベンツはW220型Sクラスの開発を急ぐ
そしてメルセデス・ベンツは早い段階でW140型Sクラスの失敗に気づき、よって「なんとしてもレクサスLS400を打ち負かすべく」全力を挙げて新型Sクラス(W220)の開発に取り組むこととなりますが、この開発プロセスには莫大な資金が注入されたと言われます。
しかしながら、開発の遅れに業を煮やしたメルセデス・ベンツ上層部はチーフエンジニアのヴォルフガング・ペーターを解雇してしまい、これが悲劇の始まりであった、とも。
どういうことかというと、この時点でメルセデス・ベンツは「エンジニア主導の」開発をやめてしまい、商業主義優先の開発に移行したとされているわけですね。
そのあたりは後に触れるとして、新型W220型メルセデス・ベンツSクラスクラスは1998年に登場し、「ヘビー過ぎるルックス」と批判されたW126型と同じ轍を踏まないように小さく、軽く、効率的となり、メルセデス・ベンツはこのW220によって過去のモデルの過ちを正すことができると世界に示したかったと考えて良いかと思います。
実際のところ、歴代Sクラスが常に自動車技術における革新の象徴であったように、W220型Sクラスも様々な(当時としては画期的な)新機軸を備えており、エアサスペンション「エアマティック」、レーダーガイド付きクルーズコントロール「ディストロニック」、キーレスエントリーやプッシュボタン式エンジンスターター、マッサージ機能付きベンチレーションシートなどが新たに採用されています(フェイスリフトモデルではプリクラッシュセーフティシステムが導入)。
W220型メルセデス・ベンツSクラスには「開発を急ぎすぎたツケ」が回ってくる
しかしながら納車開始からほどなくしてW220型Sクラスの問題が露見しはじめ、まずはホイールアーチ、トランクリッド、サスペンションなどに「錆びやすい」という問題が発覚。
さらに「滑らかな乗り心地を提供するはずの」エアマチック・システムは欠陥だらけであり、コンプレッサーの故障、エア漏れ、レベルセンサー、(サスペンション用)エアバッグの不具合、コンプレッサーリレーの問題などといったトラブルのオンパレード。
さらには降車してドアをロックしてもセルフレベリングシステムが働き続け、強風の中に駐車していると、強風に煽られて変化する姿勢を正そうとセルフレベリングシステムが作動を続け、わずか1晩でバッテリーが上がってしまったという今となっては信じられない話もあるようです。
ただ、こういった問題はW220が直面した困難の片鱗にしか過ぎず、(保証が切れた後)あまりに高額な修理費用を嫌って廃車にするオーナーも多かったといい、2000年代半ばには、製品評価団体であるコンシューマー・レポートがW220型Sクラスを「最も信頼性の低い高級車」のひとつと評することに。
なお、「信頼性が低い」と評されたのはメルセデス・ベンツ11車種のうち7車種(残りの4台も”オススメしない”という評価)で、これが今に至るまで続く「メルセデス・ベンツの品質評価が高くない」と評される伝統の始まりであったのかもしれません。
かつてメルセデス・ベンツはすば抜けた信頼性と品質で業界をリードしていたものの、W220の開発においてはエンジニアを軽視し、開発期間を短縮し、ライバルに先んじようとして先端技術を取り入れたばかりに劣悪な評価がなされることとなってしまい、ここまで短期間で評価を落とした例はメルセデス・ベンツを置いて他にないとも言われていて、いかに当時のメルセデス・ベンツが混乱していたかがわかります。
ただしメルセデス・ベンツとしてもこういった状況に手をこまねいていたわけではなく、2003年には品質が大幅に向上したフェイスリフトモデルを発表し、インテリアのプラスチックはより高い水準に達し、改良されたエンジン、より信頼性の高いエアマティックシステムが採用されています(よってW220は後期モデルを購入すべきである)。
さらにS55 AMGにはスーパーチャージャーが追加され、2004年にはパワフル極まりないS65 AMGが登場するも、すでにW220型Sクラスの評判は地に落ちており、これらをもってしても名声を復活させるには至らず、このフェイスリフトはつまり”遅きに過ぎた”ということになるのかもしれません。
かくしてW220型メルセデス・ベンツSクラスは「Sクラスの系譜の中で最悪のクルマ」と見られるようになってしまい、ありとあらゆる欠陥や不具合に見舞われた不幸なクルマではありますが、責めるべきはW220型Sクラスそのものではなく、当時の「収益性を維持し、新参者に対抗するために、それまでの過剰とまで言われたエンジニアリングを持つクルマづくりをやめなければならなかった」という状況、そして最大の過ちとされる「ライバルを凌駕しようとせんがため、まだ試されていない新技術や新機能を搭載したクルマの市場投入を急がせた」というメルセデス・ベンツの方針なのだと思われます(同世代のメルセデス・ベンツの品質が軒並み低いとされることから、Sクラス固有の問題ではないということがわかる)。
さらにメルセデス・ベンツにとって不幸であったのは、それまでのメルセデス・ベンツの品質が「オーバークオリティ」とされるレベルで高かったことであり、当然ながら多くの人々がW220にもそれを期待していただけに、W220の品質の低さには「高い期待値の反動で」より大きな失望を抱いたのだと思われます。※ただしW220型Sクラスは新規顧客を獲得することに成功し、1998年から2005年の間に合計484,683台が生産されるなど、販売面では一定の成功を収めている
実際のところ、同じ時代を生きたBMWのE65/6型7シリーズは欠陥だらけであり、機械的な問題としては、タイミング・チェーン・テンショナーやバルブ・シールの問題が特定のモデルで発生し、加えて電気系統の問題も多く、さらにはギアボックスやサスペンションといった基本構造に関わる不具合も。
そして同様の問題はアウディA8(D3)やレンジローバー(L322世代)でも報告されていますが、それでもW220型Sクラスが批判されるのは「それだけ期待値が高かったから」にほかならないのでしょうね。
ただしメルセデス・ベンツはW220から多くを学ぶ
そしてメルセデス・ベンツの素晴らしいところは「同じ過ちを繰り返さない」ところであり、W220以降の世代(W221、W222、W223)では明確な品質への回帰が見られ、多くのテクノロジーが搭載されている一方で、以前よりも耐久性が大幅に向上しています。
つまりメルセデス・ベンツは「商業的には成功したものの、メルセデス・ベンツの評判を失墜させたW220につき、何が問題であったのか」を正確に把握しその対策を行ってきたと考えてよく、こういった姿勢がある限り、メルセデス・ベンツは今後も「王者」たりうるのかもしれません。
参照:Mercedes-Benz, CARBUZZ