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その価格「222億円」。自動車史上最高金額にて取引された「メルセデス・ベンツ 300 SLR クーペ」とはどういったクルマなのか

その価格「222億円」。自動車史上最高金額にて取引された「メルセデス・ベンツ 300 SLR クーペ」とはどういったクルマなのか

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| メルセデス・ベンツ 300 SLR クーペはモータースポーツへの参戦履歴がないにもかかわらず「非常に高い評価」を得る |

生産台数はわずか2台、ニックネームは「レッド」と「ブルー」

さて、先日はランボルギーニ・エゴイスタが「1億1700万ドルで」コレクターに売却されたと言う報道がなされ業界を震撼させていますが、上には上がおり、それは「1億4200万ドルで」売却されたメルセデス・ベンツ 300 SLR クーペ。

これは現在のところ「もっとも高額にて取引された自動車」として記録されており、2022年にメルセデス・ベンツがその博物館の所蔵物をコレクターへと売却した際、それまでの最高記録であった、(2018年に)7000万ドルで取引されたフェラーリ250GTOの記録を大きく超えて「最も高額なクルマ」となったわけですね。

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ランボルギーニが同社史上最高額、183億円にてワンオフモデル「エゴイスタ」をコレクターに販売したもよう。戦闘機とスーパーカーとのハイブリッド構造を持ち「永久所蔵品」だと言われていたが
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メルセデス・ベンツ 300 SLR クーペはこんなクルマ

いくつかのクルマは、その卓越したパフォーマンス、印象的な外観、あるいはユニークさと希少性によって自動車史に名を刻んでいて、このメルセデス・ベンツ 300 SLR クーペもそういったクルマのひとつであり、別名「ウーレンハウト・クーペ」としても知られています。

その登場から長い年月が経った後でも、SLRはじめメルセデス・ベンツのハイパフォーマンスカーにおけるインスピレーション源となっており、その意味でも「存在の大きさ」を伺うことができるかもしれません。

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メルセデス・ベンツが公式に300SLRを182億円で売却したと発表!「自動車史上もっとも高価なクルマになり、メルセデス・ベンツの価値の高さが証明された」
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メルセデス・ベンツ 300 SLR クーペ(実際には二台しか存在しない)は、モータースポーツの世界に起源を持ち、非常に悲劇的な状況によりその歴史が形作られていますが、この”ウーレンハウト・クーペ”がどのようにして誕生したのか、そしてその後の数十年にわたる物語を振り返ってみたいと思います。

この非常に希少でとんでもなく高価なクルマは、自分自身でクルマを所有したことがない人物にちなんで名付けられ、しかし、彼は数多くのクルマを設計し、メルセデス・ベンツの歴史において非常に重要な人物です。

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その人物とは、1930年代から1970年代にかけてメルセデス・ベンツで活躍したイギリス生まれのドイツ人エンジニアでデザイナーのルドルフ・ウーレンハウトその人で、彼はメルセデスのモータースポーツプログラムにおける功績により、自動車史に名を刻んだ偉人としても知られます。

ルドルフ・ウーレンハウトはロンドンでドイツ人の父親とイギリス人の母親のもとに生まれ、ミュンヘンで工学を学びますが、その後1931年にメルセデス・ベンツに入社し、41年間にわたり同社に勤めることに。

彼はモータースポーツ部門のリーダーを務め、また優れたドライバーとしてメルセデス・ベンツのレースカーのテストやレースにも参加したという記録が残りますが、第二次世界大戦がはじまるとモータースポーツイベントが中止され、ルドルフ・ウーレンハウトはその「2つの国籍」のため、ゲシュタポに監視される身にになってしまいます。

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この期間、ウーレンハウトは航空機エンジンの開発に取り組んだと言われていますが、戦後は再び自動車の世界に戻って1948年には再びメルセデス・ベンツに加わり、その4年後、彼の名を冠したクルマの開発が始まるものの、完成したのはそのずっと後だと言われます。※ルドルフ・ウーレンハウト本人は1972年に引退し、1989年にシュトゥットガルトで亡くなっている

そしてこの”ルドルフ・ウーレンハウトの名を冠した”「ウーレンハウト・クーペ」こそがそのクルマなのですが、これは簡単に言えば、メルセデス・ベンツのもっとも象徴的なレーシングカーである300 SLRの「ロードリーガルな」クーペバージョン。

当時2台が製作されることとなり、それぞれのプロトタイプは「レッド」と「ブルー」と名付けられ、これらのニックネームはインテリアカラーにちなんでいますが、実際にはその色だけでなく、細かい部分にも違いがある、とのこと。※例えば、レッドにはトランクの下に給油口があるものの、ブルーにはそれがないなど

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メルセデス・ベンツの当初の計画では、これらの2台はレースもに投入される予定であったといい、ルドルフ・ウーレンハウトとそのチームはこれらを完成させ、メキシコで開催される伝説的な”カレラ・パナメリカーナ”に出場させる予定を持っていたのだと伝えられています。

しかし車両が(試作車として)完成する頃には、1955年のル・マン24時間レースにおける悲惨な事故の影響もあって肝心のカレラ・パナメリカーナが中止されてしまい、ここでメルセデス・ベンツは2台の完成したプロトタイプを「持て余してしまう」わけですね。

2台のうち「ブルー」は社用車としてしばらく使用されシュトゥットガルトにあるメルセデス・ベンツ博物館に展示され、「レッド」もまた博物館に展示されていたものの、この「レッド」のほうが2022年にコレクターへと売却されることで記録破りの車としてニュースとなり、今なお最も高額なクルマとして君臨しています。

参考までに、「高額で取引される条件」には一般に「モータースポーツでの好成績」が含まれるのですが、このウーレンハウトクーペはその実績がなく、それでも高い評価を得ているのは、その希少価値に加え、ベースとなった300SLRが獲得した”圧倒的な勝利”に起因するのかもしれません。

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参照:Mercedes-Benz

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