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「ディアブロ後継」として発売直前だった「ランボルギーニ・カント」。発売キャンセルの理由とは?

2018/07/23

| 発売直前まで行っていた、幻の”次期ディアブロ” |

ザガートがデザインした「ディアブロ後継モデル」、”Canto(カント)”ことスーパーディアブロ(1998)。
コードネームは「L147」とされる場合と「P147」とされる場合があるようです。
なお、Cantoはイタリア語で「歌」の意味。
エンジンは6リッターV12(640馬力)、後輪駆動、6速トランスミッション、最高速度は350km/hで、デザインは当時ザガートに在籍していた原田則彦氏、とされています。

ランボルギーニは7回も経営が変わっている

ランボルギーニは現在フォルクスワーゲングループが所有しているものの、それまではオーナーが(初代含めると)7回変もわっています。
そしてV12モデルのモデルライフはおおよそ10年で、ディアブロが現役の時代だと、そのオーナーはクライスラー(~1992)、メガテック(1992~1995)、Vパワー(1995~1998)と3社が変わることに。

そしてディアブロの登場は1990年なので「2000年には」モデルチェンジをする算段となっていて、そこで当時ランボルギーニが「次期ディアブロ」としてザガートに依頼を行い、出来上がったデザインがこの「カント」。
当時ランボルギーニは実際にこのクルマを市販しようと考えており、ディアブロ後継として400台の限定にて発売される予定だったのですが、1999年6月にランボルギーニはフォルクスワーゲングループに吸収されることに。

そこでフォルクスワーゲングループのフェルディナント・ピエヒ氏(ポルシェ一族)がこのカントを見て「このデザインは気に入らないから発売してはならぬ」とツルの一声でプロジェクトがキャンセルされたが「カントが発売されなかった理由」。
同氏は(カウンタックのような)もっとエッジの効いたデザインが好みで、かつリアの巨大なエアインテークに「我慢がならなかった」とされています。



このエアインテークについては対ピエヒ氏用として「小さく作り直した」個体があるとされ、それでもピエヒ氏は納得しなかったため、5台のプロトタイプが製造されたのち(一台はザガート博物館、一台は日本のコレクターが保管していると言われる)永遠に「お蔵入り」することに。

なお、フェルディナント・ピエヒ氏の絶大なる権力を表すエピソードとして他にも「フォルクスワーゲン・フェートンはピエヒ氏の意向で造られ、販売不振にもかかわらず長年販売された」「超弩級スーパーカー好きなのでブガッティ・ヴェイロンもピエヒ氏の号令で造られた」というものが。

当時のランボルギーニが「ミウラ」「カウンタック」をデザインしたベルトーネもしくはマルチェロ・ガンディーニ氏ではなく、ザガートにそのデザインを依頼した経緯は不明ですが、モトとなるディアブロは元来マルチェロ・ガンディーニ氏のデザイン。
「モト」となったのは”P132プロトタイプ”と呼ばれるモデルで、これはガンディーニ氏特有の「シャープな」スタイリングを持っていたとされるものの、当時の親会社であったクライスラーの意向によって「やや丸みを帯びた」デザインへと変更されています。

ただ、その後フォルクスワーゲングループにランボルギーニが吸収され、その際に上記のように「次期ディアブロを2000年に発売するはずであったが、デザイン上の問題で発売できず」、しかしディアブロのデザインを「モトのガンディーニ案に近い、シャープなデザインに戻して2000年に発表」されたのが「ディアブロ6.0」。
このデザインはガヤルドやムルシエラゴを担当したルク・ドンカーヴォルケ氏(今はヒュンダイに在籍)ですが、2001年にムルシエラゴが登場するまでの間、ディアブロをフレッシュに保つことに貢献したモデルだと認識しています。

なお、ベルトーネやガンディーニ氏は「鋭い」デザインが得意なのに反し、ザガートは「丸い」デザインが得意。
この「カント」もそうですが、ガヤルドをベースにした「5-95」も同様ですね。

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丸っこいという点では、1995年に発表され、ガヤルドとして発売されたかもしれない(しかし結局発売されなかった)ランボルギーニCALA(カラ/カーラ)も同様。
こちらも何らかの理由で計画がキャンセルとなり、2004年に「ガヤルド」として実現しています(こちらのデザインはジウジアーロ)。

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