>ランボルギーニ・ウラカン ■近況について ■駄文(日々考えること)

おそるべしイタ車の魅力!こんなにハマるとは思わんかった。その理由を考える

2018/12/17

まさかイタリア車に乗る日が来るとは思ってもみなかった

さて、ぼくはランボルギーニ、ガヤルド、そしてランボルギーニ・ウラカンといった感じでイタリア車を2台乗り継いでいますが、けっこうイタリア車に乗ると人生が変わるな、と考えています(たぶん、スーパーカーでなくとも、フィアットでもアルファロメオでも、マセラティでも、イタリア車であれば同じなのだと思う)。

ガヤルドはぼくにとって初めてのイタリア車で、ガヤルドを購入するまでは自分がイタリア車に乗るということをあまりイメージできなかったものの、ひょんなことからイタ車乗りとなってきたわけですね。

イタリア車=壊れる?

それまでぼくは国産スポーツを改造してはぶっ壊したり、BMWやポルシェといったジャーマンカーを乗り継いでいて、イタリア車というと「整備性が悪く、壊れる(その割に速くない)」というイメージを持っていたわけです。

そして、集まると「トラブル自慢」のようになってしまうイタフラ車(イタリア車とフランス車)乗りを見るにつけ「理解できない」と考えていたのですが、ランボルギーニがアウディに買収され、「ドイツ車品質になったのであれば買っても大丈夫だろう」ということで、ついにぼくもランボルギーニ・ガヤルドとイタリア車の世界へ入ったのが2009年のこと。

つまりは「ドイツ品質」を期待してイタリア車を購入したので、ぼく的にはあまり「イタリア車に乗っている」という感覚が希薄なのも事実であり、よって「イタリア車って壊れます?」と聞かれても、一瞬「え?イタリア車には乗ってないけど?」と思うものの、「いや、よく考えるとこれはイタリア車だったな」と思い直すことも。

つまりはそれくらいぼくにとって「イタリア車」ということが重要な要素ではなかったわけですが(ガヤルドが欲しかったわけで、イタリア車が欲しかったわけでははない)、いざ乗ってみるとイタリア車にはなんとも言えない魅力があり、気がつけば身の回りに「イタリア」なものが増えることに。

たとえば衣類にしても「イタリアンブランド」を積極的に選ぶようになったり、イタリア国旗がついているものを選んでしまったり、料理もなんとなくイタリアンなものを好むようになったりということで、そういった意味では(イタリア車に乗る前と後とでは)けっこうライフスタイルが変わったな、とも考えています。

さらに、買おうかどうか迷っている製品でも、「イタリア製」だったり「イタリアンレザー使用」とか書いてあると、やはりついつい買ってしまう自分もいるわけですね。

輸入車に縁がなかった頃は、イタリア車、たとえばフェラーリに乗っている人はイタリアンなファッションに身を包み、イタリアンなレストランに行って、家でもイタリアンなワインを飲んでいるといった印象がありましたが、気がつけば自分がそんな感じになってしまった、というのはちょっと衝撃的でもあります。

なお、不思議なのはこれまで日本車やドイツ車を乗り継いでも「日本の国旗」や「ドイツ国旗」をモチーフにした小物を選んだり、日本食やドイツ料理を好んで選んだり、日本やドイツブランドの製品を選んだりということはなかく、しかしなぜかイタリア車に乗ったのちはイタリアに親近感を感じるようになってしまったということ。

L1060793

イタリア人はイタリアの製品にプライドを持っている

イタリア車は純正においても「イタリアンフラッグ」をモチーフにしたストライプやバッジが与えられることが多いようですが(フェラーリ458に至っては車名が”イタリア”である)、ドイツ車で「ドイツ国旗カラーを純正にて用いる」「ドイツ国旗モチーフのカスタム」はあまり見たことはなく、これは決定的な相違だと言えそう。※アパレルでもヒューゴ・ボスはドイツのブランドであるが、とくにドイツ色を押し出しているわけではない

同じように「フランス車」はやはりフランス国旗をモチーフにしたカラーを用いることがあり(とくに最近のルノーやアルピーヌ)、これもイタリア車同様の傾向。※ルコックなどのフランスブランドは、やはりフランス色を押し出すことが多いように感じる
それを考えると、フランス車に乗ったとしたら、やはりライフスタイルが「フランス風」になるのだと考えられ、さすが「イタフラ車」という分類が生じるだけのことはある、と感じることも(おそらくはアメ車も同様に、人生を変えてくれる何かを持っていると考えている)。

EU統合の時も、イタリアからは「メイド・イン・イタリー」という表記がなくなることは許容できないという抗議があったと聞きますが(メイド・インEUになる)、それだけイタリア人は自国や自国の製品にプライドを持っている、ということなのかもしれません。

もちろんどいつも自国の製品に誇りを持っているはずですが、それとはちょっと「現れ方」が違うのでしょうね。

L1060797

ドイツ車とイタリア車はこんなに違う

なお、最近特にドイツ車とイタリア車との違いを感じたのがこの動画。
ポルシェはドイツ車の代表のような車ですが、さすがに合理的なつくりをもっていて、オイル交換も非常に簡単。

一方でフェラーリとともにイタリアを代表するスーパーカーであるランボルギーニの場合は「信じられないほどオイル交換が困難」。
「いや、わざわざこんな作りでなくてもいいやろ・・・」と驚かされますが、これがドイツとイタリアとの差ということになりそうです。

こんな感じで「どう考えてもドイツ製品のほうが優れている」とは思うのですが、なぜかイタリア製品に惹かれる人も(ぼくを含めて)多く、そしてイタリアンな人はとことんイタリアンなライフスタイルになってしまうようですね。

合理的なドイツ製品を好む人も多いとは思いますが、一方でこういった「合理的ではない」イタリア製品を好む人も多く、それはつまり「理論(ロジック)」なのか、「感情(エモーション)」なのかということに置き換えることもでき、エモーションからその製品に入り込むと、それだけ感情移入も大きい、ということなのかもしれません。

たとえば人が人を好きになる時も、「スペックが優れるから」よりも「感情に訴えかける」というとろが優先されるように思われ、イタリア製品には「スペックを超えた何か」があるのだろう、と考えています。

この記事が気に入ったら
いいね ! しよう

->ランボルギーニ・ウラカン, ■近況について, ■駄文(日々考えること)
-, , , ,