■駄文(日々考えること)

阪神高速にて「ポルシェがトラックに追突、運転手が死亡」→”ポルシェ”と報道する必要はなくとも報道される理由を考える

2018/11/25

| ポルシェは何をやっても、良くも悪くも報道の対象になってしまう |

Yahoo!ニュースによると、11月25日正午過ぎ、尼崎市(兵庫県)阪神高速道路にて、”トラックにポルシェが追突し”、そのはずみでトラックが横転することになり、残念ながらトラックを運転していた男性が亡くなった、とのこと。
たしかに「ポルシェがトラックに追突」したのはその通りだと思われるものの、他のクルマとは異なって、ポルシェやフェラーリ、ランボルギーニあたりは「メーカー名とともに報道される」のはよくある傾向だと思います。

これは「ポルシェ」やフェラーリ、ランボルギーニにはブランド価値があり、よって報道においてもその価値が見出されるためだと推測され、「乗用車がトラックに衝突」よりは「ポルシェがトラックに衝突」と報道した方がニュースとしての価値が高いからなのでしょうね。

そして動画のサムネイルを見てもわかる通り「ポルシェが追突」が”赤い文字”で強調されているのはその証左とも言えそうです。

良くも悪くもポルシェには「ニュース価値」がある

同じような例としては、「女性が」よりは「美人OLが」のほうがニュース価値が高く、不祥事においては「公務員が」よりは「警察官が」のほうがニュース価値が高いということになり、メディアはそういった「価値がある人」が起こした事件を好み、かつ事件を起こした人に「価値」を見出そうとすることもまた一つの傾向なのかもしれません。

そういった理由で「ポルシェが」「フェラーリが」「ランボルギーニが」、ひいては「ポルシェオーナーが」「フェラーリオーナーが」「ランボルギーニオーナーが」というのはメディアの格好の的となり、普通の車や人では問題とならないようなことでも「問題」となってしまうことも。

これは、たとえばトヨタ車だと「トヨタに乗っている」という表現で済むものが、ポルシェに乗っていると「ポルシェを乗り回している」と言われるのと同じで、なにかと高級車やスポーツカー/スーパーカーオーナーは矢面に立たされることが多いようにも思います。

おそらくは「パトカーにGT-Rは不要」「制限速度以上の速度が出る車は不要」といったものと同じ印象が高級車やスポーツカー/スーパーカーに対しても持たれているものと思われ、何かあった時に「それみたことか」と噴出するのかもしれません。

加えて「スーパーカー」となると世界統一で「悪人指定」されることもある模様。

そして罪のないスーパーカーや高級車が「みせしめ」のために破壊される例が世界ではいくつかあり、これもそれらのクルマが持つ価値を”利用”したものだと言えそうですね。

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