| ミシュランは先見の明を持っていた一族によって運営されてきた |
ここまで優れたマーケティング戦略を持っていた企業は自動車業界だとそれほど多くない
さて、ぼくがもっとも信頼するタイヤメーカーがミシュラン。
経験上「真円度が高く、バランスに優れ、摩耗に強く、軽い」という認識を持っているからですが、実際のところミシュランはタイヤ業界におけるリーダーでもあり、ブガッティやケーニグセグ、リマックといったハイパーカーに採用されていることからもその性能がわかろうというもの。
さらには環境負荷の低いタイヤの開発に取り組むなど社会的責任に対しても真剣に取り組んでいる「優良企業」といった印象も持っています。
ただ、ミシュランにはよくも悪くも「自動車やモータスポーツの歴史を作ってきた」場面があり、そこでミシュランを語る際には外せない「5つの事実」を見てみましょう。
1.ミシュランはF1グランプリで大きなミスをしたことがある
現在のF1はタイヤメーカーを自由に選択することはできませんが、かつてF1には装着するタイヤを自由に選べた時代があり、各チームはどのタイヤメーカーを選択するかによってマシンの設計を決めており、たとえばタイヤのグリップを強化することでダウンフォースを減らして最高速を向上させるといった戦略を取ることが可能であったわけですね。
こういった「タイヤを含めたパッケージング」がF1における勝敗の行方を予測不能なものとしていたのですが、2005年だとミシュランは7チームにタイヤを供給しており、しかし同年のアメリカGPにて大きな問題が生じます。
どういった問題かと言うと、 金曜日のプラクティス中にミシュランタイヤのみにトラブルが発生したというもので、これは使用するコースの再舗装部分に問題があった(ミシュランタイヤと相性が悪かった)ことが調査によって判明しています。
一方のブリジストンは、インディを通じて同コースを走るレーシングカー向けにタイヤを供給したことがあったのでミシュランのような問題が生じなかったわけですが、ミシュランはタイヤを供給する7チームに対して「ターン13で速度を落とすよう」「タイヤが保つのは10周のみ」と告知することに。
そして当時のF1は「給油は認められるもののタイヤ交換は認められていなかった」ため、そして安全上の問題からも(実際に2台がプラクティスにてクラッシュしている)7チームはレースに参加せず、よってグリッドに並んだのはわずか6台のみといった「珍事」が生じています。
もちろんこれはミシュランの(アメリカにおける)評判を大いに落とすこととなってしまったわけですね。
2.ミシュランはもともと「ミシュラン」ではなかった
ミシュランはちょっと複雑な歴史を持っており、その起源は1929年にまで遡ることが可能です。
この当時、ゴムがベンジンに溶けることを発見した化学者(チャールズ・マッキントッシュ)の姪であるスコットランド人のエリザベス・ピュー・バーカーが、オーヴェルニュ在住のフランス人起業家エドゥアール・ドーブレと結婚することに。
彼女は夫の工房にて、彼女の叔父がやっていたのと同様に商売としてゴムボールを作り始め、これが大ヒットとなりますが、エドゥアール・ドーブレは従弟のアリスティド・バルビエと一緒に農業機械とゴムを扱う「バルビエ & ドーブレ社」を興します(1932年)。
この会社はホース、バルブ、ジョイントといったゴム製品を展開することで大いに繁盛したといい、しかしエドゥアール・ドーブレとアリスティド・バルビエが1963年と1964年に相次いで亡くなることで会社は一気に財政難に。
そこで登場するのがアンドレとエドワールの「ミシュラン兄弟」。
彼らの両親はバルビエ & ドーブレ社創業者の一人、バルビエの娘のアデルで、このアデルが結婚した男性がジュール・ミシュラン。
よってアンドレとエドワールはミシュラン姓を持っており、この二人とアデルが経営に加わることで「Michelin & Cie(ミシュラン&カンパニー)」が誕生しています。
ちなみにこの時点ではまだミシュランはタイヤを作っておらず、しかしブレーキパッドを製造販売していたと言うので、クルマを走らせるタイヤよりも、それを止めるブレーキパッドのほうを先に作っていたということになりますね。
3.ミシュランマンはこうやって誕生した
その後ミュシュランはタイヤを手掛けるようになり、そこで誕生したのが「ミシュランマン」。
ミシュランマンのアイデアは、1898年にエドワールがタイヤの山を見て「腕を追加するだけで人型のようなキャラクターになる」と思いついたことが発端だそうですが、当時こういった「イメージキャラクター」は非常に先進的であったかもしれません(現在に至るまで、タイヤ含む自動車部品メーカーでキャラクターを採用している会社をあまり思いつかない)。
そこでエドワールはフランスの芸術家で漫画家のマリウス・ルシヨン(オ・ギャロという名でも活躍していた)に依頼し図案化することになるのですが、この原型となったのはマリウス・ルシヨンがビール会社のために描いた、しかしボツになった「ビールを飲む太った男」。
このボツ案にに書かれていた文字がローマの詩人、ホラティウスの作品に登場する「Nunc est Bibendum(今こそ飲み干す時)」というラテン語で、この一部分が「ビバンダム(ミシュランマンの本名)」の名となったのだそう。
そう考えると何がどうなるかはわからず、誰かにボツにされた案であっても、別の誰かはそれに価値を見出すということがわかりますね。
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ちなみにこの「飲み干す」というのは、当時の道路に散らばっていた様々な障害物から(ミシュランの空気入りタイヤが)衝撃を吸収する=飲み込むということを表現していたといい、その図柄、キャッチコピーともども先進的であったことがわかります(フィナンシャル・タイムズは、2000年にビバンダムを”今世紀最高のマーク”に選出している)。
なお、「タイヤがモチーフなのに黒くない」のには理由があって、それは当時のタイヤが灰白色もしくは半透明であったから。
現在のようにタイヤが黒くなったのは1912年に「ゴムにカーボンを混ぜると結合が強化され安定する」ことが発明された後だと紹介されています。※さらに言えば、当時のタイヤは自転車のタイヤのように断面が丸かったため、ビバンダムの表面も丸く膨れ上がった面で構成されている
4.ミシュランガイドはドライブを推奨するために誕生した
そしてグルメの指標となる「ミシュランガイド」もこのタイヤメーカーのミシュランが発行したものであり、「なぜタイヤメーカーがグルメガイドを」と不思議に思うかもしれません。
このガイドブックはフランスの道路を走るクルマの台数が 3,000 台未満だった1900年に無料ガイドとして創刊されており、当初は地図、タイヤの修理と交換の手順、フランス全土の整備士、ホテル、ガソリン スタンドのリストなどが情報として掲載されていたといいます。
ただ、その後自動車がレジャーの手段として注目されるようになると、ミシュラン兄弟は人々に「より遠くへでかけてほしい」と考えるようになり、それは「より多くの距離を皆が走れば、その分タイヤが摩耗してタイヤが売れるから」。
こういったところを見てもミシュランの卓越したマーケーティング能力を伺うことができますが、当時このガイドを作成するには相当な労力を要したものと思われます。
やがてこのガイドブックは「グルメ」に特化するようになり、現在1つ星は「そのカテゴリーで非常に優れたレストラン」、2つ星は「素晴らしい料理、寄り道する価値があるレストラン」、3つ星は「特別な旅をする価値のある素晴らしい料理を提供するレストラン」を意味します。
余談ではあるものの、このガイドブックが当初無料であったのに有料となったのにも商業的な理由があり、有料化のきっかけはミシュラン兄弟が自動車修理工場を訪れたとき、無料のガイドブックが無造作に積まれて乱雑に扱われていたのを見たからだと言われていて、そのときに「有料化し、お金を出して買ってもらうようにすれば、買った人はそれを大切にするだろう(ミシュランガイドが価値を持つようになるだろう)」と考えたのだそう。
もちろん有益な情報を掲載しなければ人々はお金を出そうとは思いませんが、ミシュランガイドがここまで成長したということは、「継続して金額以上の価値を提供し続けてきた」と捉えて良さそうです。
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5.ミシュランは第二次世界大戦にも「独自の方法で」参戦した
なお、ミシュランは第二次世界大戦において連合軍の勝利に大きく貢献しており、まず端的なものとしてはミシュランガイドがおおいに役に立ったこと。
どういうことかというと、ノルマンディー上陸作戦の際、ドイツ軍は道路標識をすべて破壊して方角をわからなくしていたそうですが、戦争前に発刊されていたミシュランガイドに詳細な地図があり、それをもとに連合軍が作戦を遂行できた、と伝えられています。
そのほかにもミシュランは自社の倉庫を病院に改造して320床の施設として提供したほか、負傷兵に食堂、娯楽室、図書室、コンサート、会議、映画館、写真スタジオなどを提供し、ミシュランの英国と米国の子会社も医薬品と抗破傷風血清を供給したといいます。
ただしこれだけにとどまらず、ミシュランは徴兵された(ミシュランの)従業員の妻や子供たちに補助金を提供し、未亡人や戦争孤児にも年金を支払ったうえ、航空機の製造のためにと工場を改装し、最初の100機をフランス軍に提供したうえ、残り(合計2,000機以上)を原価にて軍に販売した、とも。
加えて爆撃やパイロットの精度を向上させるための訓練学校を創設し、1916年にはオルナに世界初の堅固な空港滑走路を建設し、どのような天候でも飛行機が離陸できるようにしたそうですが、まさに一つの企業の枠を超えた支援であったと考えて良さそうです。
ぼくら日本人はミシュランというと「グルメガイド」「タイヤメーカー」くらいの認識しかないものの、フランス人にとっては「国を支える素晴らしい企業」というイメージがあるのかもしれませんね。
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