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| F.K.P. オマージュは単なるヴェイロンへのオマージュにとどまらない |
物理の限界に挑んだ男、ピエヒ氏の遺産
ブガッティはワンオフモデルとして「F.K.P. オマージュ」を発表していますが、これはポルシェ一族の末裔にしてフォルクスワーゲングループの元会長、そしてVWグループへとブガッティを引き入れ見事復活へと導いたフェルディナンド・カール・ピエヒ氏へのオマージュです。
そして自動車の歴史において、フェルディナンド・カール・ピエヒ氏ほどエンジニアリングとデザインの境界を押し広げた人物は他におらず、彼の妥協のないビジョンは「サーキットでの圧倒的パフォーマンス」、そしてその対極にある「オペラ鑑賞にも正装で乗って行ける」というコンセプトにふさわしい洗練さを両立させたハイパーカー「ブガッティ・ヴェイロン」を誕生させたことでも知られます。
この記事の要点
- F.K.P. オマージュの誕生: ヴェイロン構想から20年を経て、当時実現できなかったアイデアを具現化した特別プロジェクト
- 「次の機会に」という哲学: 2009年に提案されたテールライト案やドアデザインなど、ピエヒ氏が「未来のために」温存したアイデアが現代に結実
- 技術への深い理解: 自らプロトタイプをテストし、わずかな言葉で本質を突くピエヒ氏の圧倒的な指導力
- 世代を超える革新: 最新モデル「トゥールビヨン」に採用されたディへドラルドアも、ピエヒ氏が2013年から描き続けていた夢
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ブガッティ F.K.P. オマージュ & 元祖ヴェイロンの特徴
「F.K.P. オマージュ」はフェルディナンド・カール・ピエヒ氏へのオマージュとして彼の誕生日に発表されていますが、F.K.P. オマージュは1台限りの特別なプロジェクト。
オリジナルのヴェイロンはピエヒ氏の見果てぬ夢から始まっていて、そしてその延長線上にあるのがF.K.P. オマージュであり、トゥールビヨンベースのこのクルマにはピエヒ氏が当時なし得なかった、「願い」が込められているのだそう。
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ブガッティ・ヴェイロンという“常識を超えた夢”を実現した人物──フェルディナント・ピエヒとは何者だったのか。けして限界を受け入れなかった男
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「ピエヒ魂」が宿る革新の系譜
| 項目 | ヴェイロン・スーパースポーツ | F.K.P. オマージュ / トゥールビヨン |
| 目標値 | 1,200 HP / 430 km/h | 物理の限界を超える究極の調和 |
| ドア形状 | 従来の横開き(検討段階で上開案あり) | ディへドラルドア(ピエヒ氏の悲願達成) |
| デザイン哲学 | 機能が形状を決定する | 過去にボツになった最高のアイデアの再統合 |
| 開発の核心 | 空力と冷却の完全制御 | 伝統の継承と未来への橋渡し |
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時代が追いついた「ピエヒ・ビジョン」の真実
ヴェイロン開発当時であっても(ヴェイロンは)異常なまでにこだわり抜かれたクルマではありましたが、いかにピエヒ氏の情熱をもってしても技術的限界によって実現できなかったディティールがあり、そしてF.K.P. オマージュには「現代の技術だからこそ可能になった」同氏のこだわりが反映されていて、ブガッティの現社長クリストフ・ピオション氏、そしてデザインディレクターのフランク・ヘイル氏は当時のピエヒ氏との仕事を「限界への挑戦そのものであった」と振り返っています。
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1. 20年の時を経て実現したデザイン
2009年、ヴェイロン・スーパースポーツの開発中にへイル氏が提案したテールライトのデザイン案は当時は採用されず、しかし、ピエヒ氏はそれを否定せずに「At the next opportunity(次の機会に)」という言葉を残したとのこと。
その「次の機会」こそがF.K.P. オマージュであり、F.K.P. オマージュに採用されるテールランプはまさに今だから実現できたもの。
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ポルシェ創業者一族、フェルディナント・ピエヒ氏が亡くなる。アウディ・クワトロ、ブガッティ・シロンなどVWグループの「顔」をつくり続けた豪傑
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2. 「静かな権威」とエンジニアの矜持
ピエヒ氏は多くを語らない人物だったようですが、そのエンジニアリングへの理解は非常に深く(なんといっても生粋のエンジニアであり、アウディ”クワトロ””5気筒エンジン”の生みの親でもある)、チームに「不可能」を疑わせる隙を与えなかった人物としても知られます。
「あらゆる解決策を検討しなければならない。それ以外に道はない」という彼の姿勢が”量産車の常識を覆す”ヴェイロンを完成させたことは疑う余地はなく、当時のフォルクスワーゲングループの財力、それに加えてピエヒ氏の「圧倒的な権力」がヴェイロンを形作ったのだとも考えられます。
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【ブガッティ・ヴェイロン誕生秘話】ピエヒのW18構想から始まった究極のハイパーカー開発の軌跡
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3. トゥールビヨンへと繋がるバトン
2013年、ヴェイロン後継モデル、シロンの開発初期にピエヒ氏が熱望していた「上方に開くディヘドラルドア」。
当時は実現に至らなかったものの、その構想は最新作「トゥールビヨン」でついに現実のものとなり、これはピエヒ氏の意志が現在のメイト・リマック体制のブガッティにも脈々と受け継がれている証拠でもあり、そしてF.K.P. オマージュにも当然ながらこれが採用されることとなっています。

こういった感じで「ピエヒ氏の夢」が盛り込まれているのがF.K.P. オマージュということになりそうですが、まだまだこれらの他にも開発秘話が隠されているものと思われ、そしてそれらは徐々にブガッティ自身によって語られることになるのかもしれません。
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結論:比較されるものは、もはやブガッティではない
エットーレ・ブガッティの格言「比較できるなら、それはもはやブガッティではない(If comparable, it is no longer Bugatti)」を、現代において最も忠実に実行したのがフェルディナンド・ピエヒ氏。
参考までに、フェルディナンド・ピエヒ氏は「ブガッティブランドありき」で1,000馬力のハイパーカー計画を考えたのではなく、自身が考えた「1,000馬力のハイパーカー」を実現するのにふさわしいブランドを探しており、そこで思いついたのがブガッティ。
もちろんそれは上述のエットーレ・ブガッティの信念を思い浮かべたからで、「誰もやったことがないクルマを作る」にはブガッティしかない、ということでブガッティの商標権を取得して「フォルクスワーゲングループの一ブランド」として機能させるに至ったわけですね。
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【幻の最強ヴェイロン】かつて1,341馬力の「スーパーヴェイロン」計画が存在したことが明らかに。なぜブガッティはその計画を破棄したのか
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よってヴェイロンは「1,000馬力のとんでもなく速いハイパーカー」にとどまらず、ピエヒ氏の執念そして挑戦が形を成したクルマであるとも考えられ(ブガッティを復活させたわけではなく1,000馬力、時速400キロを実現するハイパーカーを作りたかった)、そしてF.K.P. オマージュもまた過去の振り返りではなく、ピエヒ氏の思想を現代の技術によって「実現した」ヴェイロン後継モデルともいうべき存在です。
さらにこのF.K.P. オマージュは「優れたアイデアは決して消え去ることはなく、ふさわしい時が来れば必ず形になる」という革新の継続性を示しており、ピエヒ氏が築いたハイパーカーという概念、それを形にすることに対するこだわりは、今もなおブガッティの魂として、アトリエで働くすべてのエンジニアとデザイナーを鼓舞し続けているというわけですね。
参考:ピエヒ氏の真の凄み
多くの経営者が「コスト」や「効率」を優先する中、ピエヒ氏は「10年後、20年後にどうあるべきか」を常に問い続けていたといい、今回明かされた「一度不採用になったアイデアを未来のためにストックしておく」というエピソードは「ブガッティ=歴史的連続性を持つブランド」という評価を強固にする重要なファクターです。
よって、ぼくらが今日目にする最新ハイパーカーの細部には、10年以上前に一人の天才が描いたスケッチのディティールが隠れているのだとも考えられ、そして10年後に目にするハイパーカーにもまた、「今は技術的な問題によって実現できないものの、そのときには実現可能になった」アイデアが盛り込まれているのかもしれませんね。
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