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フェラーリはやっぱり「馬」?乗り手の要望や要求を理解し、操作に対する準備が常にできている

2018/07/26

| フェラーリはやっぱり「馬」そのものだ |

ferrari

フェラーリ・ポルトフィーノを試乗して思ったのは、「ポルトフィーノは、自分の予想と想像、期待を遥かに超えている」ということ。
ディーラーさんに良くして頂いているという関係もあり(ありがとうございます)、ぼくは近代におけるフェラーリのほぼすべてを試乗していますが、その中でもポルトフィーノはずば抜けている、と言えます。
ハンドリングに関して言えば今でも「458スペチアーレ」がベストだと考えているものの、普段乗るならやはりポルトフィーノだろう、と考えているのですね。※ぼくの場合、あくまでもランボルギーニを別に保有していることが前提ではある

フェラーリは人の感性を何より重視している?

ポルトフィーノに乗って思ったのは、フェラーリは「人の感覚に訴えかける」クルマづくりをしている、ということ。
前々からそれは感じていて(488あたりから顕著)、しかしポルトフィーノの試乗でそれは確信に変わることになり、フェラーリはそのエンブレムに象徴されるようにまさに「馬」(エンブレムに馬を用いているのは、馬を意識したクルマづくりを目指したからではありませんが)なのでは、と思った次第。
しかも非常に優れた馬で、それに乗る人が次に何をしようとしているのか、何を求めているのかを察知してその準備がいつでも出来ている馬。

ポルトフィーノでは、そのエキゾーストシステムの素晴らしさに驚くことになりましたが、それは「音質」「音量」だけではなく、「音が欲しいときに、欲しいだけの音が出る」という感覚。
多くのハイパフォーマンスカーは回転数やドライブモードによってバルブが開閉して「音が大きく」なり、たとえば「エンジン回転数3000回転以上になるとバルブが開いて音が大きくなる」「スポーツモードに入れると音が大きくなる」といった具合。

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ですがポルトフィーノの場合は、メインの音量制御ファクターが(おそらく)エンジン回転数ではなく、踏み込めば(バルブが開いて)エキゾーストサウンドが大きくなる模様(このあたりのロジックは究明したい)。
つまり加速しようと考えて、低いエンジン回転数からアクセルを踏むと、エンジン回転数が上がるよりも(感覚的には)早くエキゾーストノートが勇ましい唸りを上げます。

しかし一般的な開閉式バルブを持つクルマの場合(ドイツ車に顕著ですが)、回転数が上がらないとバルブが開かないので、低回転から加速しようとアクセルを踏み、加速しはじめてからようやく「ブボォ!」と音が大きくなることに。※一定回転数を境に、というキッチリした制御はいかにもドイツ的

「サウンドラグ」はなぜ重視されない?

現在のところスポーツカーはどんどん「ダウンサイジングターボ」化されており、そしてターボラグが問題となっていますが、ぼくはここで「なぜ、この”サウンドラグ”というべきギャップが問題視されないのか」と感じたわけです。

アクセルを踏むと同時にサウンドが盛り上がるフェラーリ。
一方、アクセルを踏んで加速したのちに音が大きくなるクルマ。

どちらが気持ちいいかと言えば圧倒的にフェラーリだと思うのですね。
なお、世間で「ターボラグ」が問題視されるのは、アクセルを踏んだときにぐっと出る「リニアな加速」に欠けるためだと認識していますが、加速の即時性だけで言えばハイブリッドや、むしろEVのほうがはるかに上。

しかしハイブリッドやEVは「スポーツカー」愛好家には軽視されており、つまりはなんだかんだ言って重要だと皆が考えるのは「大排気量自然吸気エンジンのリニアな加速」ではなく、「音」何じゃないかと思ったり。
つまりリニアな加速よりも「リニアな音」のほうが、より「感覚的に気持ちいい」と感じるんじゃないか、ということですね。

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そこでぼくが思ったのは、「ターボラグは、サウンドラグを解消することで解決できるんじゃないか」とも。
人は感覚に頼っている生き物なので、ターボエンジン搭載車であっても、ターボラグが発生するより”先”にサウンドが大きくなれば、「加速している感」が得られて気持ちよく感じるんじゃないかということですね。

なお、フェラーリのV8ターボエンジンは「ターボラグゼロ」を謳っており、そのためにはギアごとに過給圧を変えて「より人の感覚に近い」フィーリングを目指しています。
そのため3年連続でエンジン・オブ・ザ・イヤーに選出されることとなっていますが、フェラーリは488GTBあたりから「ターボラグ」だけではなく「サウンドラグ」にも注目し、サウンドラグをゼロもしくは「マイナス(つまり加速するよりも早くサウンドが大きくなる)」にすることで”気持ちいいターボエンジン”を実現したんじゃないか、と考えているのですね。※もしそうだとすると、ターボ化によってはじめてこれに着目されたということになり、ターボ化はそのきっかけを作ったといえる

コイツはオレのことをわかってる

そういったこともあってフェラーリ・ポルトフィーノは生きた馬のように感じられ、しかも自分がそうしようと考えたときには「待ってました」とばかりに反応するので、”コイツはコレのことをわかってる”という歓びが湧き上がってくるのかもしれません。

ランボルギーニのV10自然吸気エンジンを6000回転以上回したときには「このまま死んでも悔いはない」という異常な高揚感と歓喜に満たされますが、フェラーリ・ポルトフィーノの「常用域」での気持ちよさもまた、新しい世代における、別のクルマの楽しみ方だともいえそう(その意味で、フェラーリ・ポルトフィーノの試乗体験は革命レベルであったといえる)。

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現在世の中には多くのスーパースポーツが選択肢として存在し、かつ新興メーカー、これまでそういったクルマを発売していなかった自動車メーカーもここへ参入。
ですが、実際に色々と乗ってみると、数値ではわからない部分がたくさんあり、そしてそれこそが最も重要な部分である、とぼくは考えています。

ポルトフィーノのサウンドについては「演出」だとバッサリ切り捨てることも可能かもしれませんが、誰もがサーキットでスーパーカーの限界性能を試せるわけではなく、むしろスピードを出すことが悪だとも捉えかねられない現代では、こういった演出こそが求められているのかもしれません。

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