ぼくはどんなに無理をして買った車でも後悔したことはない
こと車の購入に関して、ぼくは「後悔」したことが(ほとんど)無いのですよね(売ったことを後悔した車はある)。
ぼくは車を購入するときに、「無理」をすることは以前に述べたとおりです。
「今、無理をせずに安全に購入できる範囲」の車を購入することは、ぼくにとって成長の停止を意味しますし、成長を否定することにもなる、と考えているためです。
むしろ後悔したのは「無理をせずに買った」車だ
なので、無理をして車を買って、その車に見合った自分になろう、と努力することで今まで自分を保ってきたという側面も。
「できること」だけを手堅く行う人生はぼくの意図するところではありませんし、挑戦し、それを乗り越えることで可能性を模索する、というのがぼくの生き方であります。
そういった意味では、高価な車を購入して、たとえどんなに支払いがきつくても「買わなければよかった」とは思ったことがありませんし、逆にあとになって「あの時無理をしてあの車を手に入れたからこそ、今の自分がある」と思えるのも事実。
2002年当時かなり無理をして購入したボクスターSですが、あのとき支払いを無事に終えたあと、ぼくの中でLVが上がったような気がしたのも確かです。
そういった意味ではあのボクスターSを購入した経験が今のぼくを支えているのだと考えて良いでしょうね。
逆に、無理をせずに「買える範囲で」車を買って後悔したケースが1件だけあって、それは「フォルクスワーゲン・ルポ」。
そして、その経験が、「妥協せずに、努力して欲しいものを手に入れろ」という教訓となり、ぼくの中に生きています。
たとえば、ルポに乗っていて、信号で停車したとき、となりにミニが並んだりすると、よく「もうちょっと頑張ればミニが買えたのになあ」と考えたものです。
そのような後悔は人格を捻じ曲げかねませんし、しかし車を購入するときに頑張っておけば(本当に欲しい車を買っていれば)、その「後悔」が「自信」にも変わり得ると思うのですよね。
なんどか述べたように、ぼくはモノにたいして非常に強い執着があり、モノによって物事を推しはかるという性質を持っていますので、とうぜん多くの人がぼくと同じように考えるとは思いません。
だからこそ多くの種類の車が路上を走っているわけですが、ぼくはいつも、運転しながらこのようなとりとめのないことを考えるわけです。