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なぜ日本ではスターウォーズはオワコンになったのかを考える

2016/01/20

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もちろん商業的に成功したことは理解していますが、どうも世界中の雰囲気を見ると「スター・ウォーズ:フォースの覚醒」は日本では不発に終わった模様。

スター・ウォーズはぼくの人生の一部と言っても過言ではない作品ですが、だからといって過剰に入れ込んでいるわけではなく、ジェダイ教の存在も信じていませんし、その世界観にどっぷり浸かることもありません。

ぼくはただ、スター・ウォーズに出てくるメカや小物、生物が好きなだけで、「映画としてのスター・ウォーズ」は実のところ(これまでのいずれの作品も)面白くない、と考えているのですね。

たとえばストーリーは難解(後付が多いので)で説明が難しく、破綻のあるものとなっています。
ロード・オブ・ザ・リングだと、

指輪を拾った
指輪に取り憑かれた
指輪を捨てに行く

という三行での説明が可能ですが、スター・ウォーズの場合は家族に焦点を当てるべきか、帝国軍と反乱軍との戦いに焦点を当てるべきかなど視点(テーマ)自体も複数あります。

これはまず「一つのテーマに則った原作ありき」の映画とそうでないものとの差異ですが、スター・ウォーズはジョージ・ルーカス自身が公開日には酷評を恐れて山にこもっていたという話もあるくらい(そのほかにも最近だと”ネットを見ない”等、ルーカス監督は評価をかなり気にする人物である模様)で、もともと私的な側面を持つ作品であり、かつここまで話が拡大する予定ではなかったと思うのですね。

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なお、この「メカや小物、生物」というところが重要で、ジョージ・ルーカスの語る通り「常に新しい物を登場させてきた」ことがそれに当たります。
ダース・モール、AT-AT、ヌビアン、ポッドレース、諸刃のライトセーバー、フォース・ライトニング、イウォーク、そして惑星にしてもそうですね(雲、水、溶岩など)。

しかしながら今回の「スター・ウォーズ:フォースの覚醒」については砂の惑星→そして辺境で宇宙を夢見る少女→あるきっかけをもとに能力が覚醒→大活躍、という感じで、これはよく言われる通りエピソード4の焼き直しと考えても良いわけです。
とくにあたらしいメカや生物の登場はなく(BB-8ドロイドくらい)、人物においてもディズニー得意の商業主義からくる「総出演」で、フギュアの売上を見込んだんだろうと思わせる側面も。
これは「アヴェンジャーズ」でも同じで、「アイアンマン」シリーズの配給権がディズニーに移ってからの展開と同様だと思います。

これについては「愛する我が子(スター・ウォーズ)を奴隷商人に売り渡してしまった」というジョージ・ルーカスの発言が端的だと考えており、まさに懐古趣味の映画になってしまった感はありますね。

ただ、こういった作品になることも納得はでき、ディズニーはスピンオフ含めてこれから多数の作品を展開する予定なわけです。
となると「ベース」を理解させる必要があり、今回の「エピソード7」ではあえて新しい人物やメカを登場させず、「そもそもスター・ウォーズとは何なのか」を新しい潜在的ファン(つまり若年層、現在スター・ウォーズを知らない人、これから知るであろう人々)に理解させるのが本作の役割とも言えるわけですね。

監督のJJエイブラムスは生粋の映画人であり、作品を作る際にはそのルーツやバックボーンを大事にする人で、それは「スタートレック」を見ても明らか。
そういった人が「意図的に」懐古趣味のスターウォーズを作ったとも考えられるわけです。
上記の「新しい人に序章を理解させ、今までの登場人物を理解させる」ことに加え、これからの展開を考えて”外せない”ためにオールドファンも納得出来るだけの「オマージュ」を盛り込んだとも推測できるのですね。

そういった見方をすると、逆に「スター・ウォーズ:フォースの覚醒」は非常に優れた作品である、ということになります。

その意味では本作に対してぼくは現時点でポジティブでもネガティブでもありませんが、それでもスター・ウォーズがやはりぼくの人生の一部であることにはかわりはありません。

なお日本においてスター・ウォーズは一般に受けず、それが逆に「一般には理解できないスター・ウォーズを理解できる自分カッコイイ」的な雰囲気を作り出しており、ナイキやウラハラ系のファッションが好きな人、マックブックを持ってスターバックスでドヤァする人が好んで語る題材になってしまった雰囲気もありますね。

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