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今日のポルシェ718ケイマン。ボクがポルシェオーナーだと知らない人(非ポルシェオーナー)がボクの前でポルシェを批判し始める

2020/07/22

| 何かを批判し貶めるということは、同時に自分をも貶めている |

さて、今日のポルシェ718ケイマン。

実際にはケイマンを運転しているときではなく、降りているときの出来事です。

ぼくは世間一般にはクルマ好きであることを隠して生きていて、それは「クルマの話題は災いを呼ぶことが多いから」。

似たような例だと「宗教」「スポーツ」「音楽」「カメラ」「オーディオ」といったものがあり、そういった話題は共通の認識、共通の知識レベルを持った人とでないと話が噛み合わないという経験をした人も多いかと思います。

加えて、乗っているクルマによっては思わぬ嫉妬を買うこともあり、そのためにぼくは初対面の人とはクルマの話をしないようにしているわけですね(ぼくは親兄弟に対してもクルマの話、何に乗っているかを話したことがない)。

それでも事件は起こる

そんなぼくの日常ですが、たまたま(クルマとは全然関係のない)意見交換会というものに呼ばれることになり、その場でなぜか出てきたのがポルシェの話。

もちろん周りの人はぼくがポルシェに乗っているということを知らないわけですが、そこである人が「ポルシェは壊れてばっかりで話にならない」というわけですね。

加えて維持費が高い、遅い、燃費が悪い、等ネガティブなところをひとしきり挙げることに。

そして別の人が「ポルシェを所有してたことがあるんですか?」と尋ねると、ポルシェを徹底的にこきおろしていた人は「そんなモノは買ったことはない」。

つまりその人はポルシェに触れたことすらないのにポルシェを批判していたということになりますが、その理由はちょっと不明です(よっぽどポルシェが嫌な思い出に直結してるんだろうな・・・)。

なお、以前にも同じような状況に遭遇したことがあって、そのとき同様、今回も感じたのは「未だにポルシェはそういったステレオタイプなイメージを引きずっているのか」ということ。

もちろんぼくはその場では波風を立てないよう意見交換会の「本題」に集中してポルシェに触れず議論していたわけですが、こういった状況を「片腹痛い」というんだろうな、と実感した次第です。

ポルシェを攻撃していた人を批判するつもりも見下すつもりもありませんが(ぼくはそもそも、腹をたてるほど他人に対して興味や関心を持てない)、この「片腹痛い」の語源は「傍ら痛し」で、「傍らで見ていて、いたたまれない気になり、心苦しい(痛い)」というのが本来の意味。

「傍ら痛し(かたはらいたし)」が「片腹痛い」へと変化したとされていますが、ポルシェを知らない人がポルシェを批判し、そしてぼくは自分のクルマを批判されているように感じたために「傍らにいずらかった」ということになります。

なお、この事件の教訓としては「何事も批判してはならない」。

何かを批判したとして、もしかするとそれを聞いた人のいずれかが当事者だったり、その分野のエキスパートだったりするかもしれず、仮にそうだったとしたら著しく自分の価値を下げることになるわけですね。

そう考えると、何かを批判し貶めているという行為は、同時に自分自身をも貶めているということなんだろうな、と考えています(だからぼくは何かを批判したくはないし、プラスの側面だけを見ていたい)。

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