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なぜ世の中の人は「なんか楽しいことでも起きないかなー」と考えるのか。ボクは「楽しいこと」は与えられるのではなく自分で作ると考えている

2021/01/31

シャネルの腕時計、J12

| 楽しくないと言う人は、自分が他人にとっても楽しくない人間だということに気づいてない |

さて、どうやら延長されそうな緊急事態宣言。

正直言って、ぼくは緊急事態宣言について否定的ではなく(肯定的でもない)、仮に外出が規制されても何ら問題はない、と考えています。

ただ、世の中の多くの人は外出できなくなると大きな不満やストレスを抱えるようで、しかしぼくは基本的にインドアはなので問題はないわけですね(正確に言うと建物ではなく、自分の殻の中にこもるようだ)。

何かを作れる人と、そうでない人がいる

そして今回のコロナウイルスのパンデミックによって明らかになったのが、世の中には多くの「生産性が低い」人間がいること。

つまり家に閉じ込められるとやることがなくなってしまう人々ですね。

そういった人々は常に外部や他人から「楽しみ」を与えられることに慣れており、言い換えると自分の楽しさを他人任せにしていて、よって「やることがない」「ヒマ」なのも自分ではなくて他人のせいにしている、ということになります。

ただ、ぼくからすると「やることがない」「ヒマ」なのは、その人が「何もできない」からだと考えていて、つまりは「空っぽ」なんじゃないかと思ったわけです。

何かを自分で生み出せる、そして生産できる人であればこういった「やることがなくてヒマ」な状況には陥らないんじゃないかと考えていて、どんな状況であっても楽しさを見いだせるかもしれません。

同じ状況に複数の人を置いたとしても、その環境においてある人は何らかの楽しみを見つけるかもしれませんし、またある人は何も見つけられないかもしれず、そして楽しみを見つけられない人はそれを他人のせいにするのかもしれません。

そう考えると、一部の人々は自分が楽しくない状況にあること、やることがないという状況を(自分自身が面白くない人間であることを棚にあげて)他人のせいにし、つまり「楽しませてくれない周りが悪い」と考えるのかもしれず、自分で生産を行えないばかりか、他人の時間まで浪費するんじゃないかと考えたり。

とにかく今回のコロナ禍においては、自身あるいは人々の行動について考えさせられる機会が多く、あらためて世の中には様々な人々がいるんだなあ、と思った次第です。

世の中は多様性で成り立っている

ただ、こういった「生産できない人々」がいるということについては「悪いこと」ではなく、ほとんどの人が生産性を持たないからこそ、生産性の高い一部の人々が活躍する場があり、様々な職業、そして生産が成り立っているのだとも考えています(外出に刺激を求めるのも悪いことではない。それで多くの産業が潤うから)。

つまり人々の多様性が現代の社会や経済を構成しているということになりますが、ぼく自身については、「楽しいこと」「やること」とは人に与えられるのではなく、自分で見つける、そして作るものだと捉えています(ずいぶん内向的な性格でもある)。

つまり、「あーなんか楽しいことないかなー」「いいことないかなー」「人生が一変するようなイベントがないかなー」ではなく、そういった機会は自分で作り出してゆくということですね。

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