| オーナーが変われども、現代のランボルギーニは当初のDNAを忠実に反映している |
ランボルギーニは「スーパーカーの定義」を形作ったと言っても過言ではない
さて、ランボルギーニが「1963年の5月5日にアウトモビリ・フェルッチオ・ランボルギーニS.a.s.が設立され、そこからちょうど60年が経過した」と発表。
そこからランボルギーニは幾多のオーナーの手にわたり、現在はフォルクスワーゲングループ傘下に収まることとなっていますが、その段階にて社名が「アウトモビリ・ランボルギーニS.p.A.」へと変更されています。
そしてランボルギーニは記念すべき「60周年」という折に様々なイベントを世界各地にて開催しており、1月にはサンタアガタ・ボロニェーゼ(本社所在地)に新装オープンしたランボルギーニ・ミュージアムの落成式とその展示イベント「The Future Began In 1963」展でスタート。
その後には 鈴鹿サーキットで開催された「ランボルギーニ・デイ・ジャパン - 60th Anniversary」、4月29日にシルバーストーン・サーキットにて催された「ランボルギーニ・デイ・UK - 60th Anniversary」へと続いています。
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ランボルギーニは世界で最も「設立の動機が明白な」自動車メーカーである
なお、ランボルギーニは「世界で最も設立の動機が明白」な自動車メーカーだとも言われており、その理由は「エンツォ・フェラーリへと(フェラーリの)改良提案を持っていったが無下に断られ、そこでフェラーリを超えるスーパーカーを作ろうと決意した」という逸話に由来するものと思われます。
ただしこれには様々な説があるようで、ランボルギーニ夫人は「フェルッチョ・ランボルギーニは、エンツォ・フェラーリに抗議していない」、ミウラやカウンタックを設計したパオロ・スタンツァーニは「そういったストーリーを周知させることで、フェラーリに対抗する熱意ある若者という偶像を作り上げようとした」と語り、一方でフェルッチョ・ランボルギーニの実子であるトニーノ・ランボルギーニは「実際にエンツォ・フェラーリに抗議をしに行った」。
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おそらく今となってはその事実が明らかになることは永遠になさそうですが、フェラーリのエンブレム、シボレーのボウタイエンブレムの由来などとともに(諸説あるものの)本当の理由が表に出ることはない「自動車業界における永遠のナゾ」なのかもしれません。
フェラーリとランボルギーニはこう違う
なお、フェラーリとよく比較されることが多いランボルギーニですが、もともと「フェラーリへの対抗から」生まれた(とされる)メーカーだけあって、なにかと対象的な部分があり、そのエンブレムはフェラーリの「馬」に対してランボルギーニでは「牛」、フェラーリがモータースポーツをバックボーンに持つのに対し(設立当初は)ランボルギーニではモータースポーツに参加しないという姿勢を貫いています。
加えて、(当時の)フェラーリのスパルタンさに比較し、ランボルギーは「快適なGT」イメージを押し出したり、フェルッチョ・ランボルギーニ自身が(ランボルギーニの名を広めるため)フェラーリを見つけてはバトルを挑み、打ち負かすことでその性能を証明していたというので、フェルッチョ・ランボルギーニ自身が「フェラーリと比較されること」を好んでいたということもわかりますね。
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いずれにせよ、60年前に「一人の男の野心によって設立された」自動車メーカーがここまで成長し、その過程では「スーパーカーを定義する」かのような、ウェッジシェイプとシザースドアを持つカウンタックを発売したり、それ以前には(今では当たり前の、しかし前例がなかった)大排気量ミドシップカーであるミウラをリリースするなど、「自動車業界の常識を変革し、それをリードしてきた」ことは間違いないかと思われます。※様々な見方があるかとは思うが、フェラーリが「ウェッジシェイプ」「ミドシップ」という「スーパーカーの新定義」を取り入れたのはランボルギーニの影響によるものだと認識している
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参考までにですが、2022年の販売台数はフェラーリが13,221台、ランボルギーニは9,233台。
まだまだ差はあるものの、ランボルギーニの販売台数がフェラーリに迫っていることは間違いなく、「3年近く」のバックオーダーを抱えていると述べていることからも、今後この差を大きく詰めることになるものと思われます(ただ、フェラーリの場合は希少性の担保といった理由にて販売台数を急激に伸ばすことはできないという事情もあり、台数のみでの比較はフェラーリにとって不公平かもしれない)。
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参照:Lamborghini