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「ロードスターの父」マツダのデザイナー、トム・マタノこと俣野努氏が逝去―享年76歳、「ミアータ・パパ」として親しまれる

「ロードスターの父」マツダのデザイナー、トム・マタノこと俣野努氏が逝去―享年76歳、「ミアータ・パパ」として親しまれる

| また一人、偉大なデザイナーがこの世を去る |

マタノ・ツトム氏、76歳で逝去

マツダ・ロードスター(MX-5 ミアータ)の「父」として知られる自動車デザイナー マタノ・ツトム(俣野努 / トム・マタノ)氏 が2025年9月20日に亡くなったことが明らかに。

享年76歳、10月9日には77歳の誕生日を迎えるはずであったといい、死因は公表されていないものの、家族や複数の信頼できる関係者によって訃報が確認されています。

スポーツカー文化への多大な貢献

俣野努氏は、GM、BMW、そしてマツダで活躍した世界的なカーデザイナーで、特に有名なのは、初代MX-5(ユーノス・ロードスター)の開発における重要な役割。

初代ロードスターのデザインは主に田中俊治氏(2021年逝去)によるものでしたが、俣野努氏はプロジェクトリーダーのひとりとして、その方向性を決定づけた人物であり、また、彼はFD型RX-7 のデザインにも深く関わり、さらにオーストラリアのホールデンやドイツのBMWでもキャリアを積んだことでも知られています。

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マツダでは北米デザイン部門のエグゼクティブディレクターを経て日本本社のグローバル先行開発スタジオに戻り、最終的には マツダデザイン本部長 として全世界のデザイン戦略を統括するというキャリアを積んでいます。

マツダ RX-7(FD3S)のデザイナーが当時、そして現在の”再評価”を鑑み「全体的に見て、私たちはやりたかったことを達成し、30年を経てその点を証明したと思っています」
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デザインと教育の架け橋

サンフランシスコに拠点を移した後、2002年からはサンフランシスコの アカデミー・オブ・アート大学 にてインダストリアルデザイン分野を指導し、後に名誉ディレクターへと就任。

自動車デザイナーとしてだけでなく、教育者・ジャーナリストとしても後進に影響を与え続けたことも知られています。

「ミアータ・パパ」として愛された存在

マタノ氏は自らを「Miata Papa(ミアータ・パパ)」と呼び、アメリカのカーイベントにも積極的に参加。

愛車のミアータで会場に現れ、ファンと交流し、チューニング相談に乗り、帽子やクルマに「Always inspired」とサインを残す姿は多くの人々に親しまれ、FacebookやReddit、YouTubeには、ファンとの交流を振り返る投稿やドキュメンタリーが溢れており、その多くが「彼は常にオープンで、愛情をもってクルマと人に接してくれた」と語ります。

まとめ:ロードスターが残した「Always Inspired」

マタノ・ツトム氏は、単なるデザイナーではなく、自動車文化を愛し、人と共有し続けた稀有な存在でもあり、世界中のロードスターファンやスポーツカー愛好家にとって、彼の功績はこれからも生き続けることは間違いなさそうですね。

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