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【ネタバレ】思いがけずいい映画に出会ったな・・・。「エンツォ レーサーになりたかった犬とある家族の物語」

【ネタバレ】思わずいい映画に出会ったな・・・。「エンツォ レーサーになりたかった犬とある家族の物語」

| 原題「The Art of Racing in the Rain」には大きな意味がある |

ボクはもっと早くこの映画を観るべきであった

さて、その存在は知りつつも今まで観る機会のなかった映画「エンツォ レーサーになりたかった犬とある家族の物語」。

ぼくがこの映画を積極的に観ようと思わなかったのは「犬と子供が登場する映画は無理やり感動を誘おうとする傾向が強い」からで、そういった手法に反感を覚えているということが理由です。

ただしこの映画はまったく予想とは異なった

しかしながらこの「エンツォ レーサーになりたかった犬とある家族の物語」はそういったお涙頂戴の映画とは全く異なるもので(それでも涙が出てきそうになるが)」、真正面から犬とその飼い主の人生にぶつかったハードな映画です。

なお、原題は「The Art of Racing in the Rain」、そのまま訳すならば「雨の日のレースにおける芸術」。

つまり邦題とはまったく異なるタイトルというわけですが、ここには大きな意味があり、主人公(デニー=犬の飼い主)、そして犬(エンツォ)がリスクに踏み込むことの重要さ、挑戦することの大切さをあらわしているわけですね。

どういうことかというと、主人公デニーは「雨の日のレースが得意な」レーシングドライバー。

つまるところ優れたスキルを持つドライバーということになりますが、その理由は「リスクに踏み込むから」。

雨の日のレースが恐ろしいのは「グリップをコントロールすることが難しいから」というのが大きな要因ですが、主人公はそれを理解しており、「いつ滑るかわからないのであれば、滑るところまで踏み込み、滑ってからコントロールすればいい」と考えています。

つまり、「滑るまで」はいつ発生するかわからない「予見できないリスク」ではあるものの、一旦滑ってしまえばそれは「すでに発生し対応できるリスク」であり、リスクを恐れてチャンスを逃すよりは、リスクに踏み込んでリスクをコントロールするという方法を選んでおり、これがタイトルの「The Art of Racing in the Rain」に繋がっています(あえてリスクを発生させ、リスクを支配下に置くという考え方。そうすればリスクは懸念でも恐怖でもなくなる)。

いったいなぜ犬はレーシングドライバーを夢見るのか

そこで登場するのがエンツォと名付けられた犬。

物語自体は「(老衰のため)死を直前に迎えた」エンツォが過去を振り返ることからはじまるのですが、このエンツォは子犬の時にダニーに飼われることとなり、そこで「エンツォ」と名付けられます。

もちろんこのエンツォとはかの「エンツォ・フェラーリ」から取られた名であることはいうまでもなく、ダニー自身は才能がありながらもチャンスに恵まれずに芽が出ないレーシングドライバー人生を送っており、レースのみならず私生活においても様々な苦境に直面することに。

一方のエンツォは非常に賢い犬で、ダニーといっしょにサーキットへと行くうちにすっかりモータースポーツの虜になってしまい、さらにはテレビを見ながら育ったために一定の人語を理解することができるわけですね。

そしてあるテレビ番組で「生まれ変わる人生に対する準備ができている犬は、来世で人間になることができる」という特番を見て「人間に生まれ変わり、レーシングドライバーになる」ことを夢見るように。

その意味では邦題の「エンツォ レーサーになりたかった犬とある家族の物語」はエンツォ(犬)視点、原題の「The Art of Racing in the Rain」はダニー(人)の視点からという興味深い相違があることもわかります。

F1ドライバーとなったダニー、そしてエンツォとの再会

そしてここからはネタバレなのですが、ダニーはようやくチャンスに恵まれフェラーリのテストドライバーにスカウトされてマラネロに。

残念ながらその直前にはエンツォはこの世を去っており、しかしその9年後にダニーはスクーデリア・フェラーリのF1ドライバーに昇格していることを推測させる場面が描かれていて、そこでサーキットに現れたのが「ダニーのファン」だという親子。

父親はダニーを「もっとも偉大なドライバー」だと称え、レーシングドライバーを志す息子を紹介するのですが、その息子は9歳、そして名前はなんと「エンツォ」。

つまりその息子は亡きエンツォ(犬)の生まれ変わりであり、エンツォは「準備ができた犬」だったので人間に生まれ変わってレーシングドライバーへの道を歩み始め、そしてダニーとも再開するという「超」ハッピーエンドで終わるのがこの映画。

公開からすでに6年が経過しており、当時から「フェラーリが登場する」ことで話題になっていたので作品の存在そのものは知っていたものの、上述の理由から触れる機会がなく、しかしようやくこの映画を見た今、「なんでもっと早く見なかったんだろう」とちょっと後悔するほどの一本がこの「エンツォ レーサーになりたかった犬とある家族の物語」です。

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