| まさか、ここまで来るとは思ってもなかったな |
ボクはいつも、現実的にものごとを考える
さて、早いもので、ぼくがはじめてのポルシェ(986ボクスターS)を購入してからはや20年。
ぼく自身、普通の家庭の出身で(ぼくの一族は警察官はじめ公務員が多い。父親もずっと官舎住まいで家を持たなかった)裕福でもないけれど貧しくもないという身の上です。
普通に大学を出て、普通に就職をして、しかしそこで努めていた会社が(一部上場だったのに)倒産してしまい、そこで自分でビジネスをはじめたわけですが、それが軌道に乗り始めた頃に「ポルシェを買おう」と考えたわけですね。
ポルシェは自分とは無縁のクルマだと考えていた
ちなみにぼくはずっとポルシェに憧れていたり、ポルシェを買うために努力していたわけではなく、(収入的に)ポルシェが射程圏内に入ったときに「ふと」ポルシェを買おうと考えるようになり、これはクルマだけではなく、自分の身の回りすべてのことに言えることで、ぼくは自分とはあまりにかけ離れている人や事象に興味を持てず、しかし「手を伸ばせばなんとか届く範囲」に入ってきたときにはじめて興味を持ち始めます(それまでは、ゲンロクとかル・ボランとか、多くの輸入車専門雑誌に特集されるクルマを見ても「誰がこんなクルマを買うんだろうな・・・」と考えていた)。
よって、それまではポルシェなんぞは別世界の人間が乗るもので自分とは縁遠い乗り物だと考えていて、しかしある日「無理すればなんとかなるんじゃないか」と考えることになったわけですが、この「無茶」ではなく「無理」というところがポイントで、ものごと冷静に考える必要があるわけです。
当時の印象的には「ポルシェは雲上人が乗るもの」というもので、その金額は当時の986ボクスターでおおよそ600万円くらい。
これにオプションや諸経費をプラスすると乗り出しで700万円くらい(当時はそれほど多数のオプションがなかった)となり、残価設定ローンを使用すれば3年ローンの場合は(車体価格の55%が残価として)330万円の支払いを猶予でき、700万円から330万円を差し引いた370万円を3年かけて支払えばいい、ということになります。
ただ、370万円を単純に3年(36回)で払うとなると毎月(金利はノーカウントで)10万円くらい支払う必要が出てきて、これは「無理」。
しかし頭金が100万円あれば、残り270万円を36回(3年)で割ると7万5000円に、そして200万円あれば毎月4万7000円でボクスターが買える計算となります。
そこでぼくは「200万円頭金を貯め、その後は毎月4万7000円を支払ってボクスターを買う」と決めてボクスター購入プロジェクトを発足させ、ボクスターを買おうと決めてからおよそ1年半後くらいに150万円ほど貯めた時点でボクスターを注文し、そして納車までの8ヶ月位の間にさらに50万円を貯めて「頭金の200万円を」貯めたわけですね(計画通り)。
とくにこの話には教訓もなにもないけれど
この話について、なんら教訓があるものではありませんが、ぼくがその時(20年前に)思ったのは「こうやってちゃんと考えてみると、一見して手が届かないように見えるものであっても、なんとか手が届くんだな」ということ。
そして手が届かないものでも手が届くということを「知った」意味は非常に大きく、そこからは「別世界のように」思えたことも「自分の手が届く射程圏内」であるように感じられるようになり、つまり今まで自分とは無縁だと考えていたものも、手を伸ばせば届く存在であったこと、そして無理だと諦めていたのは自分の先入観でしかなかったことに気づいたわけですね。
要はいつもぼくが引き合いに出すパウロ・コエーリョ著「アルケミスト」の一節に尽きると考えていて、ぼくはは「自分がそれをできることを知らず、自分でそのチャンスを先送りにし、やがてはそのチャンスを失ってしまう」ことのメタファーであるパン屋の主人だったのかもしれません。
「あそこにパン屋がある。あの男も子供の頃は旅をしたがっていた。しかし、まずパン屋をしてお金を貯めることにした。そして年をとったらアフリカで一ヶ月過ごすつもりだ。人は、自分の夢見ていることをいつでも実行できると、あの男は気づいていないのだよ」。
そう考えると、今現在、ぼくが「無理だ」と考えることであっても実は実現可能であるかもしれず、しかし実現を妨げているのはぼく自身の恐れや不安なのだとも考えられ、そういったときにもやはり「アルケミスト」でオアシスの民が語るこの一文を思い出すわけですね。
「人は、自分の必要と希望を満たす能力さえあれば、未知を恐れることはない」。
最初にポルシェ・ボクスターを購入した時、まさかここまで来るとは考えてもみませんでしたが、未知を恐れることなく行動し、もし20年経ち、そこで20年を振り返ったならば、「まさかここまで来るとは思ってなかったな」と自分でも驚くような人生にしたく(ただしそのときにまだ生きていれば)、そのためには「行動しないための理由」を探すのではなく、「行動するための理由」を常に探し続ける人間でありたい、とも考えています。