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ポルシェ創業者、1937年に“トラクションコントロール”を発明していた?あまりにも時代の先を行き過ぎていた天才の「光と影」

ポルシェ

| 1930年代、常識外れのパワーと“空転”の問題 |

ポルシェ創業者、フェルディナント・ポルシェが最も重視したのは「効率」である

さて、ポルシェ創業者、フェルディナント・ポルシェは1898年に電気自動車「ローナー・ポルシェ」を製造したことでも知られていますが、1933年にはLSD、1937年にはトラクションコントロールを発明していたという事実が今回明らかに。

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この1930年代、ドイツはモータースポーツを国威発揚の場と位置付け、ナチス政権の莫大な資金がメルセデスとアウトウニオンに注ぎ込まれていたという状況ですが、当時のアウトウニオンのグランプリカーは、フェルディナント・ポルシェの設計による「V16スーパーチャージャー搭載」というモンスターマシンです。

  • 1933年 タイプA:295馬力
  • 1934年 タイプB:375馬力
  • 1935年 タイプC:520馬力

現代でこそ、この馬力は「際立って大きい」ものではありませんが、当時のタイヤやシャシーではとても扱いきれるものではなく、時には時速160km超でホイールスピンすることもあったと記録されています。※ただ、現代のクルマであっても、運転支援システムなしでこの馬力をドライバーが適切にコントロールすることは容易ではないだろう

LSDの発明、そして“トラクションコントロール”へ

そこでフェルディナント・ポルシェはまず1933年にリミテッド・スリップ・デフ(LSD)の特許を出願し、ZF社と協力して1935年のタイプCに搭載。

これは戦後に入ってから自動車に広く普及してゆくことになりますが、LSDもフェルディナント・ポルシェの「発明」であったわけですね。

しかし彼の探求はさらに進み、1937年、フェルディナント・ポルシェは「トラクションコントロールシステム(TCS)」の特許(DE 695718C)を申請し、こちらは1940年に認可されています。

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この仕組みは現代のTCSと基本原理は同じではあるものの、当時の技術では電子制御(コンピュータ)などは存在せず、機械式・油圧式・発電機を用いた電気式の3方式が考案されることに。

  • 駆動輪と非駆動輪の回転数を比較
  • 駆動輪が速すぎれば、エンジンのトルクを制御して空転を抑える


中でも電気式では、前後車軸に発電機を取り付け、電圧差で空転を検知してキャブレターを制御するという仕組みを持ち、ダッシュボードに警告灯まで点灯するという構想を持っています。

つまり、これは完全機械式のトラクションコントロールであると理解でき、TCSが実際に市販車へと導入されたのは1971年のビュイック「Max-Trac」からなので、フェルディナント・ポルシェは約35年先を見据えていたことになりますね。

参考までに、フェルディナント・ポルシェがメルセデス・ベンツやアウディを辞して自身の会社を興したのは「効率的なクルマを作りたかったから」で、その思想は彼の「世界中を皆渡した時、私が求める小型で効率的なクルマはどこにも存在しなかった。だから自分で作ることにした」という言葉の中に見ることも可能です。

実際のところ、フェルディナント・ポルシェは「大パワー、それを発生する巨大なエンジン」を追求するメルセデス・ベンツ、アウディの経営方針に反発していたといい、それでもこの「大パワー」を制御する方法を考えていたというのは興味深い事実かもしれません。

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戦争と闇の側面

残念ながら、この特許が実際のレーシングカーや市販車に搭載された形跡はなく、第二次世界大戦の勃発によってレース活動は一時中断。

さらにフェルディナント・ポルシェはナチス政権と深く関わり、兵器開発のほか、強制労働者を使用したフォルクスワーゲン工場の運営にも加担したという理由によって「戦犯」として終戦後に捕えられ、その後の長い勾留を経て1948年にようやく釈放。※逮捕前にはフォルクスワーゲン車の完成を見ることができず、釈放されたその日に自身が設計したフォルクスワーゲン車が工場から出荷されるのを見て涙したという

その後、息子フェリーがオーストリアでポルシェ社を設立し、356を生み出すことになりますが、フェルディナント・ポルシェ自身は1951年に75歳で死去しています。

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フェルディナント・ポルシェ、150年目の評価

2025年はフェルディナント・ポルシェ生誕150周年。

彼は自動車史に残る天才的エンジニアであり、LSDやTCSの先駆的発明を残し、しかし同時にナチス体制に協力し、その恩恵を受けた人物としても語られます(現代のポルシェはその暗部については触れようとせず、自社のルーツは「356誕生以降」としているようだ)。

よって、ポルシェという会社のほか、フェルディナント・ポルシェ個人として彼の遺産を語るとき、以下の両面を忘れることはできないのかもしれません。

  • 技術革新の先見性
  • モータースポーツ史への多大な影響
  • そして歴史の暗い側面
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フェルディナント・ポルシェが開発した「兵器」とは

上述の通り、フェルディナント・ポルシェは、第一次世界大戦から第二次世界大戦にかけて、いくつかの兵器開発に関与しており、特に第二次世界大戦における重戦車・駆逐戦車の設計で知られています。

ただ、本人はとくに「特定の政治的思想」に基づいてこれらの兵器を開発したわけではなく、「資金と開発環境を提供してくれるならば、そのパトロンは誰でもよかった」のだと評する論者も。

実際のところ、「大パワー、大排気量」を非効率だとして嫌いながらも、それを制御するシステム(TCS)を開発した」という経緯もあり、フェルディナント・ポルシェは単に「技術の可能性」を追求していたい、目の前の課題を技術によって解決したいという”生粋の科学者体質”であったのだと思われるふしもあり、ここは他の自動車メーカーの創業者とは大きく異なるところなのかもしれません。

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参考までに、彼が設計に関わった主な兵器は以下の通り。

  • ティーガーI重戦車(ポルシェティーガー)の試作型・・・ドイツ軍の新型重戦車の開発にあたり、ヘンシェル社と競作で設計案を提出。ポルシェ案は、電気駆動方式という先進的なシステムを採用していたものの、複雑で信頼性が低いという問題から、ヘンシェル社の設計が採用され、後の「ティーガーI」となる。しかし、ポルシェはヘンシェル社との競作の採否を待たずに先行して90両分の車体を製造している
  • エレファント重駆逐戦車(フェルディナント) ・・・上記で余剰となった90両のポルシェティーガーの車体を活用して開発されたのがこの駆逐戦車。強力な88mm砲を搭載し、分厚い正面装甲を持つこの車両は「フェルディナント」と名付けられています。しかし、近接戦闘用の機関銃を持たなかったため、歩兵による攻撃に弱いという欠点があり、後に改修され、「エレファント」と改名される
  • 超重戦車「マウス」・・・ヒトラーの要請によって、当時としては規格外の超重戦車として開発されたのが「マウス」。こちらもポルシェが設計を担当し、電気駆動方式が採用され、200トン近い重量を持つこの戦車は、当時のいかなる兵器でも破壊することが困難なほどの重装甲と強力な主砲を備えていたものの、その巨大さゆえに実用性に乏しく、試作車が作られたのみで実戦に投入されずに終わる
  • キューベルワーゲン・・・大衆車である「KdFワーゲン」(後のフォルクスワーゲン・ビートル)をベースにした軍用車た。シンプルな構造で信頼性が高く、悪路走破性にも優れていたため、第二次世界大戦中のドイツ軍で広く使用される。そのほか「約とワーゲン」などいくつかのバリエーションも
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フェルディナント・ポルシェによる兵器設計には、自動車開発で培った独自の技術思想が反映されており、特に電気駆動方式へのこだわりが顕著に見られます。

しかし、その先進性がゆえに、当時の技術水準では故障が多発するなど、実用面で課題を抱えることも少なくはなく、しかしその反省からか「極度にシンプルな」キューベルワーゲンが誕生(1940年)しており、これが後の(その息子、フェリー・ポルシェの設計ではあるが)ポルシェ初の市販車(ポルシェ356は1948年に登場)に繋がった可能性もありそうですね。

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参照:Motor1

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