| トヨタはレクサス含めて車名の由来について公開しているが、意外や「LEXUS」の由来は明かされていない |
レクサスはトヨタにとって6年越し、そして大金をかけたプロジェクトだった
さて、日本が誇る高級車ブランドといえばレクサスですが、その名称を決めるに際しては200以上の「候補」があったのだそう。
ちなみにレクサスの主戦場は北米であり、よって「Luxury Exports US」からLEXUSという名称が付けられたという説もあるようで、しかし実際には「Luxury(高級)」と「Elegance(エレガンス)」とを組み合わせた造語、というのが現在の通説です。
ただしトヨタはこの「レクサスという命名の正式な由来」について公式にアナウンスしておらず、しかし今回そこに少しでも近づこうとしているのがカーメディアのCARBUZZ。
実際のところ、レクサスは「ラグジュアリー+エレガンス」ではなかった
同メディアによると、レクサスというブランド名を考案したのはニューヨークを拠点とするイメージコンサルタントのリッピンコット&マルギーリーズ(L&P)。
上述の通り、メインマーケットが予め北米だと定められていたため、北米にコンサルタント会社に命名を依頼するのは(自社で考えるよりも)理にかなった選択であり、そこで出てきたのが「ヴェクター、ヴェローネ、シャパレル、カリブル、アレクシス」を含む200以上のブランド名で、しかし最終候補に残ったのがそれら5つだけだったのだそう。
そしてトヨタの理事会がもっとも気に入ったのが「アレクシス」であったとされ、しかし「クルマのブランドに人の名前をつける」という手法を好まず、よって「アレクシス」をもじって「レクサス」になったといい、つまりこれまで報じられた語源は「事実ではない」ということに。
参考までに、トヨタ自動車の「トヨタ」はもちろん創業者である「豊田一族」の名字ですが、この読みは「とよた」ではなく「とよだ」。
じゃあなんで社名が濁点のないトヨタになったのかというと、それは1936年には初の乗用車販売を機に新エンブレムを公募し、全27,000点の応募から選んだのがこのカタカナ版の「トヨタ」だったから。
濁点がない理由について、トヨタは公式に「創業者である”とよだ”という人名ではなく、”とよた”とすることで、個人的企業から社会的存在への発展を目指す」と説明しており、つまりは公共性を担保するために個人名を避けたということになりますね。※1937年4月にこのエンブレムが商標登録され、1937年8月8日に「トヨタ自動車」が設立されている
これを踏まえると、もし(当時のレクサスの命名に関わった)トヨタの理事会メンバーが、この「トヨタ」設立のいきさつを知っていたのであれば、ブランド名に人命を使用することに反対することにも納得がゆこうというものです。
なお、トヨタはこういった「命名」含め、ブランドの立ち上げに(現在の貨幣価値で)31億ドルを投じたといい、これは日本円にすると4400億円くらいになるので、文字通りの一大プロジェクトであったことがわかります。
そしてこの「世界最高のクルマを作る」というプロジェクトには「60人のデザイナー、1,400人の高度な資格を持つ人材からなる24のエンジニアリング チーム、2,300人の技術者、220人のサポート ワーカー」から成り立っていた、と報じられています。
レクサスLSはメルセデス・ベンツ、BMWの販売を奪うことに
このプロジェクト立ち上げから6年後、レクサスの最初のクルマであるLS400(日本ではトヨタ・セルシオとして知られる)が1989年のデトロイト・モーターショーにてデビューを飾っていますが、実はその前にケルンにて発表会が開催されたといい、このケルンはトヨタの開発拠点のひとつであるとともにメルセデス・ベンツとBMWの本拠地から「クルマで数時間の距離」。
つまりトヨタは敵の本拠地に乗り込み、そこで大胆にも挑戦状を叩きつけたと考えてよく、果たしてその後デトロイトでワールドプレミアがなされるやいなや大反響を獲得し、北米におけるメルセデス・ベンツの販売が19%、BMWに至っては29%減少し、レクサスの購買層の35%が「キャデラックやリンカーンを下取りに出した」とされるので、当時いかにレクサスの登場がセンセーショナルであったかがわかります。
そのほか、レクサスにはこんな逸話がある
ただ、レクサスの道のりは順風満帆であったわけではなく、というのも発売初年度に「会社が潰れかねない」リコールを出したことがあるため。
これは「オルタネーターとバッテリー間の接続が不十分であること、上部に取り付けられたリアブレーキライトのプラスチックカバーが歪んでいること、クルーズコントロールが解除されないこと」を理由としたものですが、レクサスはここで日本の会社ならではの「おもてなし」精神を発揮し、リコール対象となったLS400のオーナーに電話をかけ、クルマを引き取りに行く都合の良い時間を手配して必要な修理を行い、さらには「洗車、満タン返し」というおかけまでが付いており、これによって「レクサスは顧客を第一に考える」という評判を確固たるものにしたようですね。
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そのほか、フォードの重役(後にCEOとなる)アラン・ムラーリーはレクサスLS430を「世界で最高の車」と大々的にコメントした上で実際に注文を入れたそうですが、当然ながらこれについては大きな批判を浴びることに。
その一方、レクサスのクルマづくりからも重要なことを学び取り、のちに「ワン・フォード」戦略としてこれを反映させたと言われています。
これはレクサスが「全世界に向け、統一の設計を持つクルマを販売していること」をフォードにも取り入れるというもので、これによってフォード車(の一部)にも世界共通の仕様を持たせ、製造や開発コストを引き下げよう、という計画です。
レクサスは1台だけ「ひどいクルマ」を販売したことがある
レクサスのクルマはいずれのモデル、いずれの世代も高い評価を受けているものの、そんなレクサスの中にあって「唯一の失敗作」と言われるのが二代目SC(日本ではソアラとして発売され、2005年にレクサスブランドへと移管されて初代SCとなった)。
その理由としては「ターゲットが不明確であったため、よくわからない、しかし高価なクルマ」となってしまったことだとされ、不安定なサスペンション、パワーとトルクに欠ける4.3リッターV8、制御があいまいな6速AT、とんでもなく重い車重、そしてそれに耐えることができないブレーキ、そしてインテリアだと(とうの昔に廃れてしまった)カセットデッキを積んでいたことなど。
実際のところ、SCはこの代で販売終了となっているので、「よほど」評判が芳しくなかったのかもしれませんね(ぼくも中古を何度か購入しようと考えたが、その都度踏み切れず今に至る)。